さて、憲法改正の核心とは何か。

 どこの国の憲法でも、最も大事なことは一条に書く。

 日本国憲法第一条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 占領軍が押し付けてきた日本国憲法でも、第一章は天皇である。その第一条は象徴規定だが、この「象徴」の意味は決して軽くない。

 占領軍は、戦前の天皇を独裁者だと勘違いした。そして、イギリスのような立憲君主にさせようとした。「象徴」とは、ウェストミンスター憲章の用語である。これに困惑したのが、当時の日本政府である。そもそも帝国憲法の天皇条項は英国憲法など欧州各国の立憲君主国を参考にし、運用もそのようにしてきたからだ。
GHQ民政局の素人集団が急ごしらえで日本に押し付けた日本国憲法
GHQ民政局の素人集団が急ごしらえで日本に押し付けた日本国憲法
 「英国のようになれ」と強制する占領軍と、「最初からそうなのですが」と反論する日本政府の、涙ぐましくも間抜けなやり取りの末に、現行憲法では「天皇は象徴」とされた。

 では、象徴とは何のことか。国家元首のことなのである。実際の運用でも、日本の国家元首は天皇である。たとえば、外国大使の信任状を渡すのは国家元首の役割だが、天皇が行っている。天皇が日本の国家元首である。これは厳然とした事実である。

 ところが、それを認めない者がいる。宮沢俊義東大法学部教授に始まる、戦後憲法学である。宮沢はあまつさえ天皇を「盲判を押すロボット」と言い切った。宮沢の影響を受けた学校教育でも、「戦前の天皇は主権者であり国家元首だったが、現行憲法では象徴にすぎなくなった」と教えている。

 「ロボット」云々は論外としても、戦前の天皇は「主権者」「独裁者」「国家元首」だったが、現行憲法で「象徴」に転落したと誤解している向きもないではない。そのような誤解に基づいて改憲を論じるなら、宮沢の嘘を土台にしている時点で戦後憲法学の枠を一歩も出ていないことになる。

 一つ一つ誤りを指摘すると、まず帝国憲法に「主権」などという言葉は出てこない。次に、明治、大正、昭和の三代の天皇のどのような振る舞いが独裁者なのか。1930年代以降、東欧諸国の多くで国王独裁が見られたが、同時代の昭和天皇が同じようなことをしたのか。あるいは、現代のアラブ諸国の専制君主とどこが同じなのか。

 そして、現行憲法の「象徴」とは、国家元首の意味である。母法にあたるウェストミンスター憲章のイギリスが象徴である国王あるいは女王を国家元首の意味で使っているのに、なぜ日本では用語の意味が変改されるのか。

 おそらく誤解の原因は、君主のあり方には、独裁者か傀儡(ロボット)の二種類しかないと思いこんでいることだろう。

 英国の偉大な憲政史家であるW・バジョットは「英国民は、誰も君主が傀儡であることを望んでいない」と強調している。バジョットによれば、君主とは「国家の尊厳を代表する存在」である。すなわち、国家儀礼を行う存在である。

 まさに、今の日本国憲法の天皇である。

 君主のあり方には、独裁者と傀儡の他に、三つ目の「立憲君主」があるのである。憲法を自らの意思で守る君主を立憲君主と称するのだが、君主国における国家元首が君主であるのは自明である。その地位を象徴と呼ぼうが、なんと呼ぼうが構わない。

 お気づきであろうか。現行憲法は、押し付け憲法であるが、占領軍は帝国憲法への誤解から天皇に「立憲君主たれ」と要求したが、「傀儡になれ」とまでは言っていない。むしろ、憲法制定過程を見ると、「象徴とは決して軽い意味ではない」と強調、日本側を説得する姿勢さえ見せている。

 真に天皇を貶めているのは、宮沢以下の日本人である。宮沢憲法学の猛毒は健在である。