8月8日の玉音放送を受けて、保守と目される論者から、「天皇が政治的発言をしてはならない」との批判の声が上がった。何を超少数派が、と侮るなかれ。政府が招集した有識者会議でも、「天皇の発言が国政に影響を及ぼすことが無いように」との配慮がなされている。

 政府の法制官僚が東大憲法学なのはともかく、世に正しい言論を問うべき立場の論者までが宮沢の詐術に騙され続けているとはどういうことか。

 正しい理解には、世界中の文明国で共有されている、バジョットの立憲君主に関する見解を復習すべきであろう。
外相公邸跡に建てられた「日本国憲法草案審議の地」の記念碑=10月17日、東京都港区
外相公邸跡に建てられた「日本国憲法草案審議の地」の記念碑=10月17日、東京都港区
 バジョット曰く、「立憲君主には三つの権利が残されている。警告する権利、激励する権利、相談を受ける権利である。賢明な君主ならば、この三つの権利を行使して、国政に影響を及ぼすだろう」と。

 立憲君主は、国政に関する権限(Power of command)を有さない。たとえば、立法権は議会に、司法権は裁判所に、というように。だが、君主は物言わぬ傀儡ではない以上、三つの権利は残される。もちろん、大臣との内奏などの限られた場で賢明な君主の発言を、政治家が無視すれば、結果は言うまでもない。ただし、君主の意見を聞くかどうかは、政治家の責任である。これを君主無答責の原則と言う。以上の前提で、立憲君主は国政に影響力(Power of influence)を行使して良いのである。

 これは日本国憲法でさえも、本当は認めている。

 日本国憲法第四条
 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 権能(Power of command)を有さないだけで、結果として影響力(Power of influence)を行使することまでを封じていない。

 8月8日の玉音放送において、陛下は「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います」とはじめ、「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています」と締めくくられた。

 警告する権利と相談を受ける権利の行使に、ほかならないではないか。

 超少数派が「天皇は政治的発言をすべきではない」と批判するが、何のことだろう。

 そもそも、皇位継承が政治なのか。仮にそうだとしても、天皇はロボットであれと言うのか。一切の発言が許されないのか。

 現行憲法を押し付けた占領軍の意図を飛び越え、日本人が天皇をロボットにしている。

 これを打破することより重要な憲法論議があるだろうか。この意識改革は条文の改正以前の問題である。

 天皇はロボットではない。物言えぬ傀儡ではない。国政に関する権能は有しないが、影響力を行使して良い。ただし、聞くかどうかは政府次第、責任も政府が負う。

 宮沢憲法学から離れ、このような当たり前の文明国の常識に立脚することだろう。
 
 
 憲法を論じる際、核心は天皇である。

 そして今、絶対に負けるわけにはいかない、しかし負けるはずがない戦いの場にいるのである。

 今こそ二千六百年の歴史と一億の国民の強さを見せつける時だ。

 国体は永遠に不滅であると。