政府が年間20万人の外国人労働者の受け入れを検討し始めた。韓国出身の評論家・呉善花氏は移民受け入れ拡大に慎重な姿勢を示す。1983年に留学生として来日し、その後帰化した自身の経験を踏まえながら、「安易な開国」のリスクを指摘する。

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「年間20万人」という数字ありきの移民政策はあまりにも短絡的に思える。私自身の経験を踏まえて言えば、来日する移民が日本文化を理解し、社会に溶け込んでいくことは容易ではない。

 外国人との間に存在する文化や習慣の違いは想像以上に大きい。例えば韓国はすぐ隣の国だが、食事の作法では日本人が茶碗を手に持つのに対して韓国では食卓に置いたまま食べ、左手は膝の上に置くのがマナーとされている。靴を脱ぐ時に日本人は靴先を外に向けて揃えて置くが、韓国では室内に向けるか、あるいは特に揃えなくても咎められることはない。

 いわゆる「わびさび」といった感覚も外国人にはなかなか理解しづらい。日本人が古びた陶器などに趣を感じる一方、韓国では食器は金ピカのものを好む。些細な違いと思ってはいけない。生活習慣の差は職場や地域におけるコミュニケーションの大きな障害となる。

 私自身の経験としては、「ありがとう」と御礼を言う習慣を身につけるのに苦労した。韓国では親しい間柄の相手には、水臭いという感覚で「ありがとう」と言わないことがほとんどだ。日本人はそうした分け隔てをしない。

 日本に住み始めた頃は「ありがとう」と言わなかったため親しい知人に注意され、それでも習慣づけるには随分と時間が掛かった。移民の労働力が期待される介護分野などは特に、専門知識やスキルだけでなく円滑な意思疎通が求められる。それができなければ介護される側にストレスが溜まってしまう。

 閉鎖的な国を目指せということではなく、移民を受け入れるのであれば日本文化や慣習について学ぶ機会を設けるべきであり、丁寧なフォロー体制が必要だ。そうした意欲を持つ移民希望者もいるはずだが、「年間20万人」という数値目標を立てるやり方とは両立しない。

 文化や習慣の違いを軽く見てはいけないのは、それが日本人による移民差別につながりかねないからだ。

 日本人は電車のホームやバス停できちんと並んで乗車する。しかし中国人は割り込みが当たり前。そうした日常的な感覚の違いについて「嫌だな」と感じることが差別の萌芽となり得る。諸外国の例を見ても移民を大量に受け入れれば、集団で住む地域が生まれがちで、そうなると文化の壁はなかなか取り払われない。

 在日コリアンの歴史から私たちは学ぶべきだ。固まって暮らす習慣や言葉の違うグループに対して差別感情が生まれ、派生する様々な問題が起きた。これは日本人にも在日コリアンにも不幸なことだった。

 数十年が経って在日コリアンも3世、4世の世代になり、普通に日本文化に同化してきた。むしろ彼らが韓国に住もうとしたら、習慣の壁に突き当たることになるだろう。私も韓国の親戚や友人のために骨を折っても、「ありがとう」と言われないことに寂しい思いを感じるようになった。

 人口減少にどう対応するかは議論すべきだろう。しかし、単純に移民の「数」で問題を解決しようとすると、大切なものがこぼれ落ちかねない。

SAPIO 2014年6月号