矢板明夫(産経新聞中国総局記者)

軍の暴走が招いた“敗北”


 オランダ・ハーグにある仲裁裁判所は七月十二日、南シナ海を巡る中国の主張を全面的に否定する判断を出した。習近平政権は、外交上で大きな“敗北”を喫したといえる。
中国が実効支配する南シナ海・パラセル(中国名・西沙)諸島のウッディー(永興)島=2015年10月(共同)
中国が実効支配する南シナ海・パラセル(中国名・西沙)諸島のウッディー(永興)島=2015年10月(共同)
 この結果を招いたのは、中国海軍が強引に同海域に進出し、フィリピンやベトナムといったほかの国が領有権を主張する離島で、軍事拠点建設などを始めたことがきっかけだった。中国外交は後手となり、フィリピンが提出した仲裁裁判に対応できなかった。軍の暴走によって中国の国益が損なわれた構図といえる。

 あるベテラン外交関係者は、こう証言する。

「情報を共有せず、勝手なことばかりをする軍に対し、外交交渉の厳しい矢面に立たされる外交官たちは大きな不満をもっているが、文句が言える雰囲気ではない」

 二〇一二年秋に発足した中国の習近平政権は、三十万人軍縮や軍の組織再編を実施するなど、軍の掌握に力を入れてきた。しかし、軍組織はバラバラとなって結束力が低下し、現場から指導部への不満も高まり、各部署は勝手な行動をすることが多くなったという。「改革は決して成功したといえない」と断言する軍関係者もいる。

 南シナ海に限らず、最近は、東シナ海でも中国軍の艦船による尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の接続水域への侵入や、中国軍機が空自機に攻撃動作を仕掛けるなど、日本に対する挑発も頻発している。これらの行動は、必ずしも軍中央から指示を受けていないという見方もある。利権拡大を目指す中国軍の現場を、中央がコントロールできなくなりつつあるようだ。

四人の上将が揃い踏み


 中国海軍は七月五日から十一日にかけて、南シナ海の西沙(英語名・パラセル)諸島付近の海域で大規模な実弾演習を実施した。仲裁裁判所が南シナ海をめぐる問題の裁定を示す十二日の前に、軍事力を誇示するとともに同海域への実効支配を国内外にアピールする狙いがあったといわれる。

 演習には南シナ海の防衛を担当する南海艦隊のほか、ロシアや朝鮮半島方面を担当する北海艦隊、さらに日本や台湾方面を担当する東海艦隊からも複数の主力艦が参加し、計百隻以上の軍艦に数十機の航空機とミサイル部隊が、赤と青のチームに分かれる形で対抗演習を展開した。

 赤は中国人民解放軍、青は米軍を想定しており、赤チームが守る海域に青チームが侵入を試みたが、空、海上、水面下でさまざまな打撃を加えられ、最後は赤チームが完勝するというシナリオだ。

 国営中央テレビ(CCTV)記者は、昨年十二月に配備されたばかりの最新型のミサイル駆逐艦で、赤チームの指揮艦となった合肥艦に同乗。ミサイルや魚雷などを発射する場面を撮影したほか、同艦内に設けられた赤チームの司令部の内部の様子も伝えた。

 司令部のなかには、海軍司令官の呉勝利氏、海軍政治委員の苗華氏、軍事委員会連合参謀部副参謀長の王冠中氏、南部戦区司令官の王教成氏の四人の上将が揃い踏み、海図を前にして相談しながら命令を出す様子がテレビの画面に映し出された。

 中国軍の最高階級は元帥で、その次は大将だが、この二つの階級は日中戦争と国共内戦に参加した軍指導者、計二十人にだけ授与された。すでに全員が物故しているから、現在の実質的最高階級は上将だ。

 日本メディアは、中国軍の「上将」を「大将」と訳す場合が多い。現役上将は約三十人いるが、軍組織各部署のトップやナンバー2などの要職を占めている。

 中国の軍関係者は、「通常の軍事演習の最高指揮官は現場責任者の少将か中将が務める。上将が参加するのは極めて異例だ。しかも、四人もの上将が同時に第一線に出てくることはこれまでありえなかったことだ」と話した。

 中国メディアは、四人の上将が肩を並べて陣頭指揮をとることを大きく伝え、党中央と軍本部が今回の演習を重要視している証拠だと強調した。

 しかし、「船頭多くして船山に登る」という言葉があるように、四人もの軍首脳が同時に演習を指揮することに対し、軍関係者の間では「現場を困惑させるだけ」といった冷ややかな意見が聞かれた。「習近平政権による軍改革後の混乱ぶりを象徴している」と指摘する声もあった。