嫌煙カルト教団と戦おう!

『コンフォール』

読了まで18分

すぎやまこういち(作曲家)
島地勝彦(エッセイスト&バーマン)


「禁煙歴30回」


 島地 先生はいつごろからタバコをお吸いなんですか?

 すぎやま ぼくは意外ときっちりしていて、満20歳の誕生日に最初の一服。それから62年間ずっと吸っています。いまは1日に3、40本くらい。とは言っても、軽いタバコだから、たいしたことないんだ。昔はずっと「缶ピース」を吸っていましたが。

 島地 シガレットは缶ピースがいちばんうまいですよね。

 すぎやま その前には、もっと強い「光」を吸っていたこともあります。若いころはキセルをいろいろ買って刻みタバコも楽しみました。あれもなかなかいいものですね。

 島地 江戸時代からずっと日本で親しまれてきたものですから。

 すぎやま 浮世絵で花魁が長いキセルをもってスッとたたずんでいる姿なんか、いいよね。

 島地 ぼくは16歳からずっと吸っています。親父が学校の先生をしていたものですから、隠れて押入れとかで吸っていたんですが、見つかるんですよ、匂いで。

 すぎやま そりゃあ、見つかるよ(笑)。

 島地 親父は明治の男だから、いつものようにぶん殴られると思っていたら、「男は隠れて吸うな。堂々と吸え! うちでは許す」って言われた。親父は「ホープ」を吸っていて、母親に買ってこさせるんだけれど、そのとき「ぼくも!」って頼んで吸っていました(笑)。高校時代、まわりもみんな吸っていましたよ。大人への好奇心みたいなものなんでしょうね。

 すぎやま 大人になる儀式ですね。

 島地 お酒はお飲みにならないんですか。

 すぎやま ダメなんですよ。たぶんアルコール分解酵素欠落症だと思います。日本人の3割はアルコール分解酵素がないらしいですからね。ロシア人なんかだと99パーセントが分解酵素を持っているらしくて、持っていないやつらはシベリアでとっくに死に絶えているという話もあるくらいです(笑)。

 島地 二十歳からずっと吸っていらっしゃっても健康で、大病はされてないんでしょう。

 すぎやま 手術したのは盲腸だけですね。盲腸じゃ病気の数のうちに入らない(笑)。あるインタビューで、「先生は80歳を過ぎてもお元気ですね。健康法は?」と聞かれて「喫煙」と答えたら、インタビュアーが固まった(笑)。

 島地 ニコチンと糖分は脳の栄養になる。順天堂大学の奥村康先生が力説していらっしゃいました。

  シガレットを27歳でやめたのはなぜかというと、ぼくは編集者で〝紙〟を売っているから、紙を燃やすというのにちょっと釈然としない思いがあったから。それに、味がケミカルですよね。柴田錬三郎先生に葉巻とパイプを教わってから、そっちに移ってしまいました。先生は葉巻やパイプはやらないんですか。

 すぎやま 吸ったことはありますけれど、持ち歩きはシガレットのほうが楽なものだから。紙といえば、戦後、吸殻をバラして葉っぱを取り出して、買ってきた紙で巻いてみんなが吸っていたのを覚えていますね。

 島地 大人がそうやっていたのを見ていらっしゃったんですね。辞書の紙で巻くと味がよかったらしいですね。

 すぎやま 辞書の紙は薄くていいんですよ(笑)。親父もヘビースモーカーだったし、祖父も吸っていたから、自然にぼくも吸うようになった。

 でも、タバコを吸っていた人がやめると、逆に健康に悪いみたいですね。『ドラゴンクエスト』の作者の堀井雄二さんは、タバコをやめた時から瞬く間に体重が5、6キロ増えて、「また吸おうかなぁ」って言っていますよ。

 島地 成人病になってしまう。

 すぎやま それでまた思い直して禁煙して、体重が増えて、また吸ってということを繰り返しているので、彼は「禁煙歴30回」といばっていますよ。そんなもの、いばれるか(笑)。

 島地 「トム・ソーヤ」の作者マーク・トウェインは「私は100回禁煙した」って言っていたそうです(笑)。

自分でバスのパートを歌いながら


 島地 先生の音楽は独学だとか。これはすごいことですね。音楽学校に行こうとは思われなかったんですか。

 すぎやま 行きたいとは思いましたが、どこの音楽大学もピアノの試験があって、ぼくは弾けないからあきらめました。でも、音楽大学で習う作曲法というのは〝文法〟のようなものです。文法だけ習ってもね。

 島地 作曲も文章も感性ですからね。

 すぎやま 子供のときから自然に覚えた言葉、つまり〝ネイティブ・ランゲージ〟がいちばん身についているわけです。音楽でもそうだと思う。

 島地 先生の若いころはSPレコードの時代ですか。SPは収録時間が短いですよね。

 すぎやま せいぜい片面3分ですね。

 島地 では交響曲などは何枚にも分けて収録するわけですね。

 すぎやま 鉄のない時代ですから、竹針でした。

 島地 音はやわらかそうですね。

 すぎやま でも、すぐすり減ってダメになってしまうんです。すり減ったら、竹針用のハサミで切って、またはめてサウンドボックスでねじを巻いてかける。再生できる周波数帯域が狭いので、低いコントラバスの音なんか出ない。

 もののない時代でしたが、父親も好きでしたから、当時住んでいた荻窪の駅前にあった「月光堂」というレコード屋に、戦争で焼け残った反物を持ち込んで、物々交換でベートーヴェンのシンフォニー6番、7番のレコードを手に入れてきてくれた。いまだに覚えていますよ、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団。

 でも、コントラバスの低音が出ないから、借りてきたスコアを見て、コントラバスのパートは自分で歌って補うわけ。ラドドドドドソドラシソ……って。そのうちに「こういうハーモニー進行だったら、ベートーヴェンならこうする」というのが肌でわかるようになった。大学の音楽理論の本を見たら「バスのパートをつけよ」という例題が出ていたので、ベートーヴェンならこうするだろうと思ってつけてみると、ピタリ正解だった。古典派から近代音楽に至るまで浴びるように聴いたのがいちばんの勉強になったと思いますね。

 島地 音楽のシャワーですね。

 すぎやま 文法ではなく、ネイティブ・ランゲージです。だから、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンからはじまって、ブラームス、チャイコフスキー、バルトーク、ストラヴィンスキーの近代に至るまで、すべてのクラシックの巨匠がぼくの先生です。

 近代音楽に触れたのは戦後になってから。WVTR、のちのFEN(現AFN)という進駐軍向けのラジオ放送があって、Vディスクという軍用のビニール盤のディスクを使っていたんです。そのすり減ったのがPX(米軍基地内の売店)から放出されてジャンク(スクラップ)屋に出てくる。戦時中の日本は国際著作権条約から除外されていましたから、日本のレコード会社は近代音楽のレコードを出せなかった。だから、ジャンク屋に流れてきたVディスクを必死に探して、プロコフィエフの交響曲第5番の第四楽章の出だし3分が入ったディスクを見つけて、擦り切れるほど聴いたのをいまだに覚えています。

 島地 ご自身で作曲されるようになった直接のきっかけは何だったのですか。

 すぎやま 中学3年のころ、隣に当時の東宝交響楽団(現在の東京交響楽団)の常任指揮者だった上田仁さんのいとこが住んでいた。上田さんが来られたときに会いに行って、「オーケストラの指揮者になりたいんです!」と言ったら、「いいねぇ。ところできみ、ピアノは弾けますか」「かけらも弾けません」「あきらめなさい」って(笑)。でも、「作曲家なら可能性があるかもしれない」と言われた。それがきっかけですね。

 上田さんは抑留されていたシベリアから日本に引き揚げるとき、コートのなかに近代音楽のスコアを隠し持ってきて、それで「本邦初演」をなさったんです。ぼくも喜び勇んで聴きに行きました。そのときのオーケストラのコンサートマスターが黒柳徹子さんのお父さんの黒柳守綱さん。感動して、夢遊病者のようになりました。

 島地 生で聴く音は違いますからね。

 すぎやま 全然違いますよ! 同じ料理でも、缶詰で食べるのと、できたてのものを食べるのとは違う。それと同じです。

 島地 どんなに録音技術が進歩しても、肉声や生の楽器の音には、かなわない。

 すぎやま 左右だけではなく後ろにもスピーカーをつけたり、サラウンドにしたり……いろいろ工夫してどうがんばっても、現場の臨場感にはかないませんね。

オーケストラ演奏は音楽のごちそう


 すぎやま ぼくは完全に理系で、文系の学科が苦手だったので理科2類を受験しました。

 島地 作曲と数学には似ているところがあるのではないでしょうか。

 すぎやま 作曲も演奏も数学的なセンスや頭脳の働きが必要だと言われています。音楽はどちらかというと理系ですね。とくにオーケストラのスコアを書くには理系の頭が必要です。メロディは言ってみれば家の間取り図ですから、アマチュアでも書ける。でも、オーケストラのスコアを書くのは立体的な青図をつくる作業。これはプロの仕事です。理系の感覚と音楽に対する感受性は車の両輪で、どちらかが欠けてもダメでしょうね。

 島地 三枝成彰さんは、ベートーヴェンの第一から第九まで、毎年大晦日の昼の1時から夜12時までこの10年間、ずっとやっているんです。

 すぎやま そうそう! 体力あるなぁ。

 島地 ベートーヴェンの原曲をマーラーが編曲したものがあって、それは20分くらい長いんです。深刻にして、マーラーっぽい(笑)。しかも、楽器が倍くらいあってステージいっぱいにズラーッと並ぶ。

 すぎやま マーラーは編成が大きいからね。音楽史的にみると、音量を大きくするのに電気という手段がなかった時代の最後くらいですから、電気のかわりに人数を増やして音量を大きくした。

 島地 ベートーヴェンの時代は、ロウソク代にいちばんお金がかかったらしいですね。客席は暗くてもいいけれど、譜面を見るために舞台ではたくさんのロウソクを使わなければならない。あとから届いた請求書を見てベートーヴェンは卒倒したらしいですよ(笑)。電気って、大変な発明だったんですね。

 すぎやま でも、電気を通さないオーケストラの生演奏の魅力は捨てがたい。

 島地 いま、エレキとか電子楽器が全盛ですけれども、生のオーケストラと電気を使ったパフォーマンスとはそれぞれ別の魅力があるんでしょうね。

 すぎやま ドラムス、ベース、ギター、キーボード、サイドギターくらいの構成でけっこう大きな音が出せる。あれは言ってみればハンバーガーのようなものだと思うんです。パンとソーセージとレタスなど5種類くらいで出来てしまう。けれども、世界中で売れる数といったら膨大なものでしょう。だから、ハンバーガーにもそれなりに社会的な意味がある。

 それに比べて、シンフォニーオーケストラは20数種類の食材を組みあわせた、フランス料理や懐石料理のフルコースにあたりますね。ハンバーガーに比べれば、消費される量ははるかに少ないかもしれないが、値打ちはすごくある。

 オーケストラコンサートの時、お客さんに「ロック・ミュージックはハンバーガーのように社会的な意味があるものだけれども、オーケストラの生演奏を一度も聴かないで一生を終えるのは、本当のごちそうの味を知らずに一生を終えるのと同じだ。もったいないでしょう」と言うんです。オーケストラは、音楽の中でいちばんのごちそうだと思っています。

禁煙運動と慰安婦騒動


 島地 先生はご自分で運がいいとおっしゃっていましたが。

 すぎやま 運は強いですね。空襲で学童の列に機銃掃射を受けたけれど、ぼくには当らなかったし、焼夷弾を迎え撃つ高射砲が空中で破裂して2、3センチの肉厚の鋼鉄が空から降ってくるのにも当たらずにすんだ。

 文化放送に入社したタイミングも、カソリックの経営から株式会社に変わるときに途中入社の試験があって、それにうまい具合に通って入った。

 子供のころからいろんなゲームをやっていたから、いつかはゲーム音楽に携わったとは思いますが、それが「ドラゴンクエスト」だったというのも運がよかった。いいゲームにあたりました。これほど大ヒットするとは思わなかった。

 島地 強運ですよ。人生って、運と縁だと思います。ぼくは、就職難のころに当時あまり有名じゃなかった集英社を受けて、1500人の応募者の中から選ばれた9人の中に入ったおかげで編集者になれた。難関を突破するのは、運と縁以外の何ものでもない。

 柴田錬三郎先生が『週刊プレイボーイ』で人生相談の連載をすることになったのはいいが、「眠狂四郎」で一大ブームを起こした飛ぶ鳥落とす勢いの流行作家ですから、みんな怖がっていた。それで新米のぼくが志願して担当になったんです。これも運だと思う。その柴田先生の紹介で今東光先生にお会いすることもできました。

 今先生はお坊さんだから、唯物史観を嫌がるわけです。むしろオカルティック。「お前は俺に会えたという運がある。この運をもっと強めるには、俺の墓に参ればいい」と、生前からご自身で設計して建てていた墓を見せてもらいに、上野寛永寺に3カ月に1回くらい行っていました。「俺が死んだあと、お前が寂しいとき、困ったときには必ずこの墓に来い。応援してやるからいつでも遊びに来い」って、まるで「家に遊びに来い」とでも言うような調子でおっしゃるんです。ぼくはいまでも新刊を出すたびにお墓に供えています。

 すぎやま 唯物史観にはぜったい反対。ぼくの考え方の出発点はフランシス・ベーコンの「実証主義哲学」。そこから科学技術が発展していった。事実をもとに判断する理系の人間から言わせれば、共産主義はまったく間違っている。宗教の教義と同じで、「こうあるべきだ」という「べき論」だから事実とかけはなれてくる。

 その典型が、メンデルの法則が共産主義に合わないからといって、ルイセンコが提唱した遺伝学です。これは「事実」ではなく共産主義の教義にもとづいた学説です。ソビエトがそれを採用したら、農作物がダメになって大凶作になった。メンデルの法則は事実にもとづく科学で、ルイセンコ学説は教義です。

 いま従軍慰安婦の問題で日本が非難されていますが、事実をもとに判断すれば、慰安婦の強制連行なんかなかったことは明らかです。戦時中に日本の軍部がだした「陸支密受第2197号」という公文書が、国会図書館に保存されています。それを見ると、「慰安婦になることを強制してはならない。強制したものは処罰する」という通達を出していることがわかる。実際、婦女子を連行して慰安婦に売り飛ばした不届きな業者が処罰されたという当時の新聞記事が残っているんですよ。それが当時の日本の軍部と政府の姿勢を示す物的証拠です。強制連行なんかするわけがない。従軍慰安婦問題はまったくの虚構です。

 〝南京大虐殺〟にしても、物的証拠をもとに判断すれば、そんなものはなかったことがはっきりわかる。南京に進駐した日本兵で、当時では珍しく8ミリの撮影機をもっていたお金持ちのボンボンが、進駐後の南京の様子を撮影したフィルムがあるんです。その映像を観ると、路上で床屋に髪を刈ってもらっている日本軍の兵隊とか、買い物に行く親子の姿とか、南京城内の景色はまったく平和そのもの。これが物的証拠です。そもそも当時人口20万と言われていた南京で30万人殺したなんてバカな話があるわけがない。

 島地 明らかに中国のプロパガンダですね。

嫌煙派ヒトラーよりチャーチル

 すぎやま 喫煙に関しても、嘘がまかりとおっている。いまよりも日本の成人の喫煙率がはるかに高かった昭和30年代に比べて、いまは喫煙率が減っています。ところが、肺がん発生率は逆に増えている。その統計データをみても、タバコが肺がんの原因であるとはとても断定できない。タバコと肺がんはまったく逆相関と言ってもいいんですよ。

 アメリカの禁煙団体は病院で肺がん患者を調べたら喫煙率が高かったというリポートを医学界で発表していますが、これは全米に5000以上ある病院のデータのなかから、自分に都合のいいデータを選んでいるわけです。でも、日本全国の喫煙と肺がん発生率のデータや県別データはごまかしがきかない。だから日本のデータを信用すべきだと思います。

 島地 いまの禁煙ブームを見ると、マフィアを生みだした1920年代のアメリカの禁酒法を連想しますね。世界で最初に禁煙条例を出したのはナチスですが、一方、敵だったイギリスのチャーチルは、〝チャーチルサイズ〟の大きな葉巻を1週間で100本吸った。彼は九十歳一カ月まで生きました。ぼくはヒトラーよりチャーチルのほうを信じますね。1週間に100本なんて、朝起きてから寝るまで吸い続けていないと吸えませんよ。ぼくなんて1日に3本くらい。



すぎやま こういち
1931年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業後、文化放送、フジテレビのディレクターをへて作曲家に。ザ・タイガースをはじめ多くのアーティストのヒット曲を手がける。1968年以降、「ドラゴンクエスト」全シリーズの作曲を担当。喫煙文化研究会代表。交響組曲「ドラゴンクエスト」コンサートを各地で開催中。


しまじ かつひこ
1941年東京生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』ほかの編集長をつとめ、現在はエッセイストとして活躍中。喫煙文化研究会会員。著書に『アカの他人の七光り』(講談社)『はじめに言葉ありきおわりに言葉ありき』(二見書房)『迷ったら、二つとも買え!』(朝日新書)ほかがある。現在エッセイスト&バーマンとして活躍中。

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