言葉狩りの次はタバコ狩り?

『コンフォール』

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――先生とタバコとの出会いをお聞かせください。

 終戦後のもののないときに、母親が大阪から鹿児島までよく買い出しに行っていたんですよ。そして葉タバコを見つからないように体いっぱいに巻き付けて帰ってくる。闇で売るためです。それをちょろまかして吸うようになったのが最初ですね。小学校4年生のときだったから、10歳くらいかな。もうそんな時期から吸っていました。

 タバコが店で売られるようになってからは「ゴールデンバット」を買うようになって、その後は「光」なんかも好きで吸っていました。いろんなタバコに手を出しましたけど、私が好きになる銘柄に限ってなくなる(笑)。最近は、少し前までは「プレミア・ワン・ボックス」、いまは「メビウス」の「ディースペック」を吸っています。

 タバコと名のつくものはなんでも吸ってきたから、葉巻やパイプもやりましたよ。メキシコの「トレンド」という細巻きの葉巻が好きで、一時期よく吸っていました。いちばんよく吸っていたのは「ゴルゴ13」の連載が始まる3年くらい前ですかね(連載開始は1968年)。だからゴルゴが吸っている葉巻も「トレンド」なんですよ。

 禁煙したことも2、3度あります。最初は18歳のとき。そのころストレートのジンばかり飲んでいて、飲みすぎたせいで血を吐いたんです。それで医者に止められて、しばらくやめていた。別に吸わなくても何とも思わなくなっていたんですが、二十歳のときに漫画仲間と3人で東京に出てきて、他の2人が吸うタバコの匂いを嗅いでいたらどうしても吸いたくなってしまって、また始めてしまった(笑)。そのあとも、まわりがどんどんタバコをやめていくのに乗せられて禁煙したことはありますが、続きませんでした。いまとなっては、もうやめる気はありませんが、そう考えると、もう60年以上も吸い続けているわけだね。

 ――お仕事中もタバコをお手元に置いていらっしゃるのでしょうか。

 いつも吸いながら仕事をしています。いまは1日に40本ほど吸っていますが、それでもずいぶん減りました。以前は、吸い終わったタバコの火で次のタバコに火をつけるようなチェーンスモーカーでしたから。

 ――修正液をタバコで乾かしたりされていたとか。

 よくやりました。急いでいるときにね。少しくらいの修正液ならすぐ乾くんです。ただうっかり原稿を焦がして描き直さなければいけなくなって、逆に時間がかかったこともありました(笑)。

 実は、タバコをやめていたときに絵がおかしくなってしまったことがあったんです。周りから「絵がとげとげしくなった」と言われた。そう言われてみるとそんな気がして、これはタバコのせいではないかと思ってまた吸い始めてみたら絵が元に戻りましてね。そういう意味では作品の重要な要素に直接関わってくるわけですから、タバコは仕事道具の一つとして欠かせないものと言っていいでしょうね。

 アイディアを練るときも常に吸いながらなので、タバコがないと気になって、アイディアどころではないでしょう(笑)。ただ、今日は体調があまりよくなくて、そんなときに吸うタバコはやはりあまりおいしくない。まさにタバコは健康のバロメーターといったところですね。

海外にはもう行けません


 禁煙・分煙化が進んでいますが、うちのプロダクションでも吸う人間と吸わない人間がいますので、2フロアある仕事場のうち、2階と3階で禁煙・喫煙を分けているんです。そうやって仕事場では吸えるんですが、移動のときは困りますねえ。 飛行機でタバコが吸えなくなったでしょう? あれから海外には行けなくなりました。10年前にハワイに行ったのが最後になりますか。そのころはまだハワイの禁煙事情もいまほどじゃなくて、ずいぶんゆるかった。ゴルフ場に灰皿がなくて、ここじゃタバコが吸えないのかと思ってキャディーに聞いたら「コースのどこでも吸えますよ」と教えてくれた(笑)。国によっては、レストランでタバコを吸おうと思ったら「外で食べてくれ」なんて言われたこともありましたが。

 ただ、飛行機に乗っている長い時間をタバコなしで過ごすことはできませんから、もう海外には行きたくても行けなくなってしまいましたね。

 国内の移動もなかなか大変です。タクシーなんか、喫煙できる車両も用意しておけばいいと思うんですよ。喫煙車とわかるように表示してね。

 新幹線も東北新幹線は吸えなくなったから、先日、ホームでタバコを吸おうと思って喫煙スペースに行ったんです。狭苦しいところに追いやられて、しかも周りは女性ばかり。そんな中で吸うのは、あまりいい感じはしなかったですね。最近、女性には逆に吸う人が増えているんじゃないかな。よく見かけるようになりましたよ。

 ただし、歩きタバコはしません。タバコを指に挟んで歩いているときの手の高さって、子供の顔の高さと同じでしょう。危ないからね。いつも携帯灰皿を持ち歩いて、吸いたくなったら道端で立ち止まって吸うようにしています。マナーは守らないとね。でも、移動のときになかなか吸えなくなってきたから、その分、吸う本数が少なくなってきたというのはありますね。

 周囲でもやめる人がどんどん増えています。そういう裏切り者(笑)に限って煙をすごく嫌がる。医者には禁煙を勧められますが、「やめるつもりはない」とつっぱねるので、医者は苦笑いしています。

 通院するときにいつも寄っている近くのレストランは、以前は喫煙席があってテーブルでタバコが吸えたんですが、このあいだ行ったら1メートル四方くらいの喫煙ボックスができていて、そこでしか吸えなくなっていた。

 店の人に文句を言うと「検討します」と一応は答えるんですけど、変わらないでしょうね。本当にイジメられている気分です。喫煙者はもっと文句を言ってもいいのに、やさしい人が多いのかな、大人しく従っていますね。

 文句を言っても逆に諫められてしまいますからね。

「ゴルゴ13」は終わらない

 
 ――先生の作品の中で、タバコは小道具としてどのような役割を果たしているのでしょうか。

 間(ま)を取るものですね。小道具としてのタバコというより、タバコを吸っているシーンを挟むことによって、そこに流れる時間や空気感を表現しているんです。これは映画の手法と同じですね。もともと私が劇画を描き始めたのも、映画のようなものを描きたいと考えてのことでしたから。

 だから、タバコを描くなと言われると困りますねえ。出版社からは「もう登場人物に吸わせないでくれ」とか言われるので、ある程度抑えていますよ。でも、扉なんかではどうしてもタバコを吸っているところを描きたいと思うことがある。そのときはあえて描くようにしています。まさかゴルゴに禁煙させたりしたらおかしい(笑)。

 ――出版社から言われることもあるんですね。

 言われますよ。一時期、〝言葉狩り〟というのがあったでしょう。時代劇が描きづらくなってね。「坊主」という言葉も使えない、「百姓」という言葉も使えない。たとえば、同業者で、女優の松山容子氏と結婚した棚下((たなか)照生(てるお)氏のいちばんのヒット作「めくらのお市」が出せなくなったんです。「めくら」という言葉がだめなんですね。

 私にもそういうことが多々ありました。以前、「ザ・シャドウマン」という作品で、超人になるために真っ黒な姿になるというのを描いたら、それは「黒人蔑視だ」と言われてしまった。正義の味方なのにね。それで出版してもらえず、眠ったままになっています。

 そう考えると「ゴルゴ13」がやれるのは不思議だね。ましてや国から賞までいただいたりして(さいとう氏は2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章)。

 ――「ゴルゴ13」は今年で45周年。これほど長く続いている理由は何でしょう。

 何でしょうねえ。もともと長く続けられるとは思っていなかったから、実は私も驚いているんです。ああいう作品ですから、話のパターンなんて、すぐに出つくしてしまうわけですよ。宝探しとか復讐とか追っかけとか、せいぜい10パターンくらいのものです。だから最初は10話で終了する予定で、最終回も用意していたんです。いまでも私の頭の中にコマ割りまで完璧に残っています。それがいつの間にかこんなにも長く続いてしまった。

 「最終回用の原稿はすでに用意されている」なんてよく言われるみたいですが、それは連載の最初の時点で、すでにあったわけです。これからそれが掲載されるようなことはありませんけどね。連載の終了は考えていませんし、いまとなっては、やめるにやめられない。「ゴルゴ13」という作品は、すでに私の手を離れて読者のものになっていますから。

 ただ、もともとゴルゴは私の一歳年上ということで描きはじめたもので、33歳の設定だった。だから本当はいま77歳になっていなければいけないんですが、彼は永遠に年を取らない。そういう矛盾はついて回ります(笑)。

 ――「ゴルゴ13」は2度映画化されていますが、映画については、あまり好ましく思われていないそうですね。

 世界を飛び回る話ですからね。漫画であれば簡単ですが、実写でちゃんとしたものを撮ろうと思うと制作費が莫大なものになる。そんなお金をかけるのなら、まったく別のものを撮ったほうがいいんじゃないか。私が撮るとしたら、映画のための新しい話を書いて、それで撮るでしょうね。

 映画はいまも週に10本は見ています。ただ、最近の映画の多くは、見た目に派手だったり綺麗だったり、視覚的な部分にばかり重きが置かれていて、中身に乏しい印象がありますね。

 ――「ゴルゴ13」の連載が始まった頃は、世界情勢として東西の冷戦が背景にありましたが、冷戦が終結したことで描きにくくなったということはありませんでしたか。

 それは冷戦終結当時にもよく聞かれましたが、私にしてみれば、何を言っているんだろうという思いです。

 当時の東西の対立は、それぞれのルールにのっとって行われていたんです。それが終わったことによって、逆に、ルールの裏側に隠れていた、より多くの問題が表面に噴出してきた。食糧問題や宗教問題、領土問題など、それこそ、それまで以上に描くテーマが増えてきたわけです。

 東西の対立は読者にもわかりやすかったのに比べて、それらの問題は複雑なものが多くて、その説明をしなければならないという難しさはありますけれどね。これからも、まだまだ取り上げるテーマには事欠きません。

漫画を大人のものに


  ――「鬼平犯科帳」も20年にわたる連載となっています。池波正太郎氏作品の劇画化にはほかに「仕掛人 藤枝梅安」もありますね。池波作品を取り上げた理由は――。

 私は池波正太郎さんの小説が好きで、どうしても劇画にしたいと考えていたんです。それで池波さんにお願いに行ったんですけれど、断られてしまった。映画化やドラマ化はしているのに、漫画はダメなのかとガッカリしました。

 池波さんが亡くなってから、あらためて奥様にお願いにいったところ、あっさり「いいですよ」と許諾をいただけて、ようやく描けるようになったんです。

 ところが、いざ描いてみると、これがなかなか難しい。やはり小説には小説でしか表せない部分がある。それを絵で表そうとすると、どうしても無理が出てくるんです。だから、これはもう小説を劇画にするのではなくて、小説をベースに私の劇画として描こうと。そうしていまのスタイルにたどり着いたというわけです。

 気がつけば「鬼平犯科帳」も、もう20年続いているのですが、「ゴルゴ13」と長期連載を二本も抱えていると、なかなか新しいテーマに取り組めないのがちょっと残念です。とくに、「ゴルゴ13」の場合は調べ物をするのにすごく時間がかかるので、出版社からも「新しいものを」と言われることはありませんしね。

 描きたいテーマで描いたのは「サバイバル」(1976~78。『少年サンデー』連載)が最後です。ただあれも、本当は大人の物語にしたかったのですが、連載していたのが少年誌ということもあって、主人公が中学生になってしまった。

 ――先生は最初から大人向けの劇画を志向されていたのでしょうか。

 そうです。かつて漫画は子供のものと言われていたんですが、一時期、貸本屋向けの漫画というものがあって、それはもう少し高い年齢層向けでした。私は貸本漫画を描きながら、漫画は大衆小説と同じようなジャンルになり得ると考えて、最初から青年向けのコミックを志向していました。

 周りはみんな子供向けの漫画を描くべきだと言っていたのですが、私はある時期から、いちばん人口の多い団塊の世代を対象に定めたんです。この世代が注目を集めるようになったのは、彼らが大学生くらいになった七〇年前後でした。

 大学生が電車で漫画を読んでいると、驚きとあざけりの意味を込めて話題になった時期がありましたが、それはそうですよ。この世代は子供のときに漫画を読み始めて、そのまま漫画から離れずに成長していったわけですから。大学生になっても、社会人になっても読んでくれる。

 『少年マガジン』で「無用ノ介」という漫画の連載(1967~70)を始めるときに編集長から「少年マガジンを卒業していく大人に向けて描いてほしい」と言われたんです。それは非常にうれしかったですね。

 ――劇画というジャンルと同時に、分業体制によるプロダクション・システムを確立されたのも先生でしたね。

 私が東京に出てきたのと同時期に、30人くらいの漫画家が東京に出てきたんですが、そのなかで残ったのは私一人です。私自身、これほど長くやれるとは思っていませんでした。東京で事務所を開いたとき、私は数字にからっきし弱かったもので、神戸大学を出て会社員をやっていた兄貴に来てもらったんです。そのときも兄貴に「自分自身は10年持つかどうかわからないけれど」って言いました。いろいろな人に力を貸してもらって、ここまでこられた。

 ――最近の漫画については、どのような目でご覧になっていますか。

 〝音〟がわかりづらいですね。擬音で書かれた文字からどんな音がするのかが想像できない。それと、吹き出しかな。吹き出しの先がなかったりして、誰が話しているのかわからなかったりしますね。

 ただ、それも時代なのかなと思います。これからはスマートフォンやタブレットなどで読むようなかたちに変わっていくんでしょうね。本というのは重くてとてもかさばるものですから。前に、本の重みで2階の床が抜けたというニュースがありましたね。だから電子書籍というのは非常に優れた媒体だと思う。

 まあ、私の作品を電子書籍で読んでもらうのもいいんだけど、それだけじゃ面白くない。若い漫画家さんたちには、これからは、タブレットなどでどう読ませるかを考えてほしいですね。電子媒体に特化したものが出てきてもいいのではないでしょうか。私自身は、最近ようやく携帯電話を持たせてもらえるようになったくらいで、そっちの方面にはうといから、いままでどおりやっていきます(笑)。

さいとうたかを(劇画家)
 1936年和歌山生まれ、大阪府堺市育ち。本名・斉藤隆夫。17歳で描いた「空気男爵」でデビュー。上京後、仲間と「劇画工房」を結成。大人の鑑賞に堪えうる「劇画」を定着させ、1960年、分業制による「さいとう・プロダクション」を設立し、出版業にも進出 (のちの「リイド社」)。1968年連載開始の「ゴルゴ13」は、現在まで一回も休載することなく続いている。1976年に小学館漫画賞受賞。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章受章。

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