大発見と持て囃されてからたった2カ月で、小保方晴子氏の研究不正が認定された。しかしSTAP騒動の本質は「小保方問題」ではない。幹細胞研究の第一人者である論文の共著者の行動と、国を代表する研究機関である理化学研究所の対応を取材すると、日本の科学の根幹が大きく揺らいでいることがみえてきた(2014年4月執筆)。
Wedge編集部

遠ざかる〝夢の細胞〞

 「it is no exaggeration to say this represents something of Copernican revolution for developmental biology.(発生生物学におけるコペルニクス革命のようなものだと言っても過言ではない)」

 STAP細胞の論文の著者の1人で理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が理研のホームページに載せた文章の一部だ。マウスの細胞を酸性の液体に浸すだけで、体のあらゆる組織になる万能細胞に変化する。地動説という歴史的発見と比べられるほど衝撃的な内容だった。

 1つ1つの細胞は本来、体のあらゆる細胞になる遺伝情報を持っている。しかし、受精卵から分裂を繰り返して筋肉や皮膚などに分化したあとは、他の種類の細胞になるための遺伝情報はロックされる。このロックがはずれ、受精卵のときのようにどんな種類の細胞にもなれる状態に戻ることを「初期化」と言い、人為的に起こすのは難しい。

 初期化された細胞は多能性細胞とか万能細胞と呼ばれる。有名なのは、京都大学の山中伸弥教授が作ったiPS細胞で、分化した細胞にいくつかの遺伝子を入れることで強制的に初期化を引き起こした。それに比べて酸性の液体に浸すだけ、という手法のシンプルさがSTAP細胞の特徴だとされた。

 「将来は、病気やけがで失われた手足が生えてくるようになるかもしれない」

 論文の筆頭著者の小保方晴子研究ユニットリーダーは、1月28日に開かれた成果発表の記者会見で〝夢の細胞〞の可能性を語っていた。

 しかし、事態は急展開する。実験データがおかしいと指摘する声が相次いだことから理研が調査したところ、数々の問題が発覚。論文発表からおよそ2か月後、理研の調査委員会は論文の核心部分のデータが捏造であると認定した。

 「未熟な研究者が起こした問題だ」

 理研の野依良治理事長は、記者会見でこのように述べ、小保方氏の責任の重さを強調した。調査委に不正を問われたのは小保方氏だけで、笹井・若山両氏については関与はなかったとされた。画像の捏造などわかりやすい「研究不正」だけを調査対象にしたからだ。しかし、STAP騒動の闇はもっと深い。

ずさんな実験放置する第一人者


 理研側の説明によれば、小保方氏には今回の論文を書くだけの経験や技術はなく、『Nature』や『Cell』などのトップジャーナルへの掲載回数も多い笹井氏が全体の構成を組み立てたとしている。その論文を丁寧に見ていくと、1つ1つのデータを慎重にチェックすべき笹井氏が、データがあいまいなまま成果を誇張していたのではないか、という疑問が浮かび上がってくる。
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 小保方晴子氏らは『Nature』論文で、酸性の液体に浸して作ったSTAP細胞の存在を3段階にわけて証明した。万能細胞で特徴的なOct4と呼ばれる遺伝子が働いているかを確かめたのが第1段階。細胞を試験管などで培養したり、マウスの皮膚の下に移植したりして、体のいろいろな組織に変化するかを調べたのが第2段階。第3段階は細胞がマウスの全身の組織に変化するかを調べた。 問題になったのは、第2段階の実験の写真。皮膚や筋肉、それに腸の細胞として掲載された3組の写真(写真A)のうち下段3枚が、3年前の小保方氏の博士論文に「細い管を通す刺激によって作った細胞」として掲載している写真(写真B)の下段3枚と酷似。酸と細い管では、実験方法が全く異なる。小保方氏はミスと主張するが、調査委員会は、写真は「STAP細胞の多能性を示す重要なデータ」で、「実験の方法の違いを認識せずに使ったという小保方氏の説明を納得するのは困難」だから、捏造と認定した。小保方氏から提供された細胞でマウス実験を行っていた山梨大学の若山照彦教授は「自分が行っていた実験が何なのかわからなくなった」と漏らしている。

 まず疑問なのは、いったん分化した細胞を人工的に初期化できたのか、という論文の根幹部分の証明があいまいなことだ。体内には、分化する前の万能性のある細胞がわずかに存在するという報告があるた め、それをSTAP細胞と誤認していないことを証明する必要がある。

 論文によれば、この証明にはT細胞と呼ばれるリンパ球の一種が使われている。T細胞が働く際には「TCR再構成」と呼ばれる特有の現象を起こす。仮にT細胞が初期化され万能細胞に変化したとしてもこの現象の痕跡は残るため、T細胞から作ったとされるSTAP細胞や、STAP細胞から作ったマウスでTCR再構成の跡が見つかれば、初期化が成功したことを証明できる。

 しかし論文を読んでも、STAP細胞を含む細胞の固まりで確認されたというデータがあるだけで、STAP細胞自体にあったかどうか、よくわからない。さらに、STAP細胞から作ったマウスのしっぽの細胞で調べたという記述はあるが、具体的な実験データは載っていない。にもかかわらず、成果発表の記者会見で笹井氏はこう述べた。

 「間違いなく分化した細胞からできている」

 不正疑惑発覚後の3月5日に公表されたSTAP細胞作成の手順書には、驚くべき事実が書かれていた。STAP細胞を変化させたSTAP幹細胞にはTCR再構成の跡は確認できなかったというのだ。

 ある免疫学の専門家は「分化した細胞からSTAP細胞ができたという証拠はどこにもない。初期化説は危うくなった」と厳しく指摘する。

 論文をめぐっては、ほかにも、実験の結果がはっきり出ないような種類のマウスや、細胞の識別法が選択されているといった問題が指摘されている。この分野の第一人者である笹井氏がこうしたずさんさを認識していなかったとは考えにくい。

 理研の調査委が小保方氏に実験の詳細を記した「実験ノート」の提出を求めたところ、3年間で2冊しかなかったという。日付も含め、記述は断片的、かつあいまいで石井俊輔委員長は、「数十人指導した経験があるが、これまでに見たことがない」というような内容だったそうだ。笹井氏は「研究者の命」とも言われる実験ノートすら事前に確認していなかったのだろうか。

成果の誇張再現性の軽視


 成果発表の記者会見では、理研のプレスリリースとは別に、笹井氏からA4の資料が配られた。題名は「STAP細胞が明らかにした新しい原理の補足解説」。問題なのは、iPS細胞と比較した内容だ。

 資料には、STAP細胞の作成にかかる期間は2日から3日、作成効率は30%と書かれている。一方、iPS細胞は、作成期間が2週間から3週間、作成効率は0・1%。iPS細胞と比較して短期間に効率よく作ることができる、ということを強調した内容だった。

 しかし実は、ここに書かれたiPS細胞のデータは、iPS細胞が初めて作成された8年前のものだった。5年前にはすでに作成効率は20%まで向上。昨年には、イスラエルのグループが7日間で100%の作成効率を実現したとするなど、状況は一変している。幹細胞研究では世界トップレベルと言われる笹井氏がそのことを知らないはずはなく、研究成果を誇張する目的だと指摘されても言い逃れできないだろう。

 理研は、山中教授らからの指摘を受け、「誤解を招く表現だった」として謝罪。この資料を撤回することを明らかにした。科学者にあるまじき無責任さが、ここにも見え隠れする。
 
 今回の研究における最大の問題は、実験結果が本当に正しいのか、発表前の確認が不十分で、疑惑発覚後も適切な検証をやろうとしないことだ。
 
 科学の分野では、研究成果が他の研究機関で同じように再現できるか確認されて初めて成果として認められる。そのため、再現性の確認は重要なプロセスだ。「コペルニクス革命」「iPSを超える」と発表するレベルの研究なら、「研究成果を発表する前に研究室の責任者などが、別の研究者に同じ条件で実験をやらせて再現できるか何度も確認するのが普通」という声もある。実際、山中氏は何度も実験を繰り返して徹底的にデータをとり、確証を得てからiPS細胞の発表を行ったという。


 そもそも共同研究者は性善説に立ち他の研究者を疑わないという文化がある。加えてSTAP細胞の研究は、情報の漏えいを防ぐために研究内容が秘密にされていたようだ。しかし、そうした事情はあっても、若い研究者を教育し、研究を主導する立場にあった笹井氏が、実験を小保方氏一人に任せきりにして一切同席しなかったのは理解に苦しむ。

 不正疑惑の発覚後も、小保方氏の実験の様子を公開すれば、STAP細胞が作成できるかどうかすぐにわかるはずだがそうしない。それどころか、小保方氏が単独で再現実験を行い、3つある段階のうち(11頁の図の説明文参照)、第1段階までしか成功していないにもかかわらず、理研は一時「再現に成功した」と発表していたのだから聞いて呆れる。

無責任の連鎖 専門性と権威の壁


 ずさんな実験内容や検証の怠慢。そして成果の誇張。問題を引き起こしたのは、こうした無責任の連鎖ではないか。そしてその連鎖は研究グループ内にとどまらない。

 理研は3月14日の中間発表で、「STAPの真偽は科学界の検証に任せたい」と繰り返したが、「疑惑のかかる論文の検証を第三者が金と人をかけてやると思うのか」と記者に指摘され軌道修正。最終報告では、1年間かけてSTAP細胞が存在するかどうかをゼロから実験する計画を明らかにした。

 しかし、この計画、よく見ると論文の実験プロセスとは異なる方法でSTAP細胞ができるかどうかを確認しようとしている。これでは、再現ができてもできなくても、論文で書かれたSTAP細胞が本当は何だったのか、疑問が残ったままになってしまう。

 前述のとおり、体内には分化する前の万能性ある細胞がもともとわずかに存在するとされていて、それが酸性の液体に浸すことで選び出された可能性。さらに、受精卵から作られるES細胞など他の万能細胞が実験中のミスで紛れ込んだ、または意図的に混入された可能性も指摘されている。実際、公表されているSTAP細胞の遺伝子データを分析したところ、ES細胞に非常に近いという結果が出た、という情報もある。インターネット上では、この1か月ほど、STAP細胞が存在するのかを巡ってさまざまな議論が行われていた。

 理研は最終報告を公表した記者会見で「すべての実験プロセスを検証する必要はない」とコメントしたが、「無責任ではないか」という記者からの指摘を受け、「やるつもりだ」とここでも前言を翻した。しかし、どういった手順で何を調べ、いつまでに結果を出すのか、具体的な計画は明らかにされていない。その上、検証に不可欠なはずの実験データや試料の確保が十分できているか疑わしい。

 調査委員会が小保方氏らに研究室の出入りを禁止し、証拠の保全を行ったのは、予備調査の開始から1か月がたった3月13日。研究室に残された画像の中には、元になった試料がなんなのか特定できなかったものもあるという。実験ノートが3年で2冊というのも驚きだが、調査委が実験ノートの提出を求めたのが3月19日というのはもっと驚きだ。対応が遅すぎるのではないか、という指摘に対し、石井委員長は「研究不正の判断にはこれで十分」という説明を繰り返すだけだった。

 「問題の全容を解明せず、なぜ再発防止策が立てられるのか」。

 記者からの質問に対し、理研側から明確な回答はなかった。

 分子生物学のある研究者は、「結局、研究成果に問題があっても、誰も指摘しないし、不正が明らかになることはほとんどない」と話す。STAP細胞の論文が掲載された『Nature』の採択率はわずか数%ほど。数ある科学雑誌の中でも狭き門の1つだ。

 しかし、『Nature』のシステムは、論文の審査を行う専門家の人選について著者側が希望する人、しない人を伝えられる仕組みになっている。トップジャーナルといえども、不正や内容の厳密なチェックは期待できないのが実情だ。

 さらに生き物を扱う生物学では実験の条件を厳密に揃えることが難しいこともあり、ほかの分野に比べ、実験結果を他の研究機関が再現できないケースが目立つという。例えば、ある製薬会社が実施した調査では、医学と生物学の論文の70%以上が再現できないという結果だった。再現ができない理由が検証されないため、不正は見つからず、論文の著者の責任が問われるケースはまれだ。

 「専門性が高いので、専門家でなければ問題に気づくのは難しく、簡単にはバレない。見て見ぬふりをする無責任な体質は、科学界全体に蔓延している」と前述の研究者は話す。

製薬業界でも相次ぐ不正

 
 専門家の無責任さは、命や健康にかかわる医学の分野でも問題になっている。昨年から今年にかけ、武田薬品工業とノバルティスファーマがそれぞれ販売している高血圧の薬の効果を調べた臨床研究で、相次いで不正が発覚。武田薬品工業の薬「ブロプレス」の効果を調べた臨床研究で、広告に使われた研究結果を示したグラフが、論文のものに比べて武田の薬に有利なように書き換えられていた疑いがあることが今年2月、明らかになった。

 研究は京都大学が中心となって行われた。広告では、書き換えられたグラフを元に、研究グループのメンバーや当時の日本高血圧学会の幹部らは広告でブロプレスの有効性を強調。「長期間使うと効果が高い」などと、研究結果と異なる発言を繰り返していた。研究グループの1人は、「広告の内容は誤りで、事前にきちんと確認すべきだった」と、メディアの取材に対し率直に責任を認めた。現在、厚生労働省などが調査を進めている。

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武田薬品工業が販売するカンデサルタン(商品名ブロプレス)と、従来使用されてきたアムロジピンの心疾患系イベントの発症抑制効果を比較する臨床試験(CASE-J試験)について、2006年の同じ学会発表で異なる2つの図が登場した。上図Cは追跡期間36カ月でカンデサルタンの線がアムロジピンの線を下回り、再び戻ることがない。長期服用すればカンデサルタンが優れている可能性を示す「ゴールデンクロス」として、14年3月に武田の長谷川閑史社長が謝罪会見するまでの約7年間、プロモーション活動に使われた。しかし実際のデータは図Dであり、36カ月でカンデサルタンの線がアムロジピンの線を下回るものの39カ月で再び上回り、カンデサルタンの優位性は明らかではなかった。
(出所)京都大学医学部附属病院・由井芳樹氏の分析をもとにウェッジ作成
 また、ノバルティスファーマの高血圧の薬「ディオバン」を巡る臨床研究では、研究を行った京都府立医科大学の調査の結果、結論部分につながるデータが、ディオバンの効果が高くなるように操作されていたことが判明している。

 2つの研究の資金はいずれも製薬会社側が負担した。研究の実施と平行して2つの薬の売り上げは増加。これまでの売り上げは、国内だけでいずれも1兆円を超えている。

 「都合の良いデータになるようデータやグラフを少し変える。広告の記事や講演会で、自社の薬の良さを大げさに表現してもらう。製薬会社はそれを期待して医師に金を払い、医師が応える、ということが常態化している。『少し』なら許される、という共通認識が問題の背景にあると思う」とある製薬会社の元社員は話す。

 実は、2つの研究を巡っては、発表された当時から、問題点を指摘する声が一部の専門家から挙がっていた。しかし、その指摘はほとんど検証されることなく、研究結果はさまざまな広告や診療ガイドラインに掲載され、薬は売れ続けた。

 当初から2つの研究の問題を指摘していた、臨床研究適性評価教育機構の桑島巌理事長は「この2社の薬はライバル関係にあるため、よりいいデータを得たいという思惑が働き、不正につながった可能性もある。自分が問題点を指摘しても取り上げられないどころか、強く反論され、学会にまで抗議され、まともに議論もできなかった。専門家の自律など全く機能していない」と話す。

 2つのケースは氷山の一角だとする指摘も多く、「追及がほかの臨床研究に広がらないか、各製薬会社は戦々恐々としている」(前述の製薬会社元社員)。データよりも、自分や組織の利益を優先する。そこには科学とはかけ離れた〝常識〞があった。

無責任では済まされない

 科学研究の不正は、社会に大きな影響を与える時代になっている。アメリカの研究機関の調査によれば、1つの研究論文の不正によって生じる損失は5000万円あまりにのぼるという。薬の効果を偽ることが患者の健康や医療費に影響を与えるのはもちろんだが、STAP細胞のような基礎研究の分野の不正も、発覚しないまま莫大な研究予算とリソースがそこに投入され、大きな損失を生む可能性が高まってきている。

 特に再生医療は国の成長戦略の一環として重要視され、各地に産学連携の拠点も設けられている。民間でも大企業やベンチャーが製品開発にしのぎを削り、経済産業省がまとめた報告書によれば、2012年に90億円あまりだった市場規模は、30年には1兆円にまで増える見込みだ。

 捏造が発覚しないままだと、それを研究テーマにした他の研究者がキャリアを棒に振ってしまうという問題も起こる。研究論文の捏造事件で有名な、アメリカ・ベル研究所のヘンドリック・シェーンの事件では、捏造された論文を元に世界の100以上の研究機関が研究を行い、少なくとも10億円以上の研究費と多数の研究者のキャリアが無駄に費やされた。日本で同じことが起こらない保証はない。 
 
 4月9日、小保方氏は記者会見で「実験は確実に行われていて、私は決して悪意をもってこの論文を仕上げたわけではない」とミスであることを強調し、理研に再調査を求めた。さらに「STAP細胞の作成には200回以上成功」と主張したが、本稿で見てきたようなずさんな実験を何回繰り返したとしても、STAP細胞の存在が証明されるわけではない。小保方氏が主張する「実験の成功」を裏付ける新たな事実が会見の中で示されることはなかった。

 社会と科学の距離が近づく中で、問われているのは科学者としてのあり方だ。専門性の陰に隠れ、ずさんな研究を行い、検証を怠り、結果を誇張するような問題が続けば、研究の自由を奪ってでも、規制や監視を強めるべきだという声が高まることは避けられない。科学者らしい態度とはなんなのか。一連の問題は、科学技術立国を掲げる日本に、重い問いを投げかけている。