STAP騒動は、理化学研究所のみならず、わが国のアカデミア全体に本質的な問いを投げかけている。この問題で数々の取材を受けてきた改革委員会委員が、自らの言葉で思いを綴る(2014年9月執筆)

市川家國 (理化学研究所・研究不正再発防止のための改革委員会委員/ 信州大学特任教授)

 今回のSTAP細胞事件は、多くの日本の代表的大学病院を巻き込んだ降圧剤ディオバンをめぐる不正事件などとは異なり、たった一人の若い研究者による研究不正だった。にもかかわらず、メディアの騒ぎようは異常ではないか。こういった見方は当初よりあった。

 筆者も問題の根の深さとなると、虎の子のデータの解析を、利益相反も甚だしいノバルティス社の社員に丸投げし、それを「是」としていた数多くの医学部教授の存在とその存続の方が、わが国全体の研究者の倫理観という点では、はるかに深刻と考える一人だ。
 STAP細胞事件のメディアの扱いの原因には、『Nature』という注目される雑誌に掲載されたことに加え、最初の華々しい記者発表や、「リケジョ」という珍しさも背景にあったであろう。しかし、調査内容を限定し、あたかも隠蔽と解釈される理研の姿勢に対する国内の生命科学領域の研究者の危機感がメディアの重要な踏み台となった、と筆者は見ている。

 わが国の生命科学系の研究者が声を上げたのは、たった一人の過ちとは言え、作製に成功したとされるSTAP細胞の持つ科学的意味の大きさと、その後浮上した不正と疑惑の派手さから、今後世界の教科書に載る不正として注目を浴びることを予感したからに他ならない。
 
 疑惑の解明に対して理研が煮えきらない姿勢をとり続けるほど、「一個人の不正」の域を脱して、「わが国を代表する研究機関の不正への姿勢」へと解釈は拡大する。わが国からの論文の信用度の低下は彼らにとって研究者生活を続けていく上で死活問題なのだから、理研の姿勢を見て声は大きくなる。日本分子生物学会の再三にわたる理研への申し入れもその一環だ。

 一連の理研の対応に、米国の国立科学財団(National Science Foundation)のある高官は筆者にこんなメールを送ってきた。

 「STAP事件は研究倫理教育の教材としてうって付けのものを豊富に含んでいる。なかでも、研究不正疑惑が持ち上がった時、組織はどのような行動をとってはいけないかという点だ」

アクションプランに対する評価


 6月に改革委員会が提出した「研究不正再発防止のための提言書」に対する回答として、理研は8月末、「再生のためのアクションプラン」を発表した。筆者は、内容はよくできていると評価している。残る問題は、発表までに時間がかかりすぎたことと、誰がこのプランを実行するかの2点である。

 改革委が指摘したのは、一言で言えば、管理職のマネジメント能力不足だった。時間がかかった原因もまさにこれだ。

 理研は4月の段階からSTAP現象の有無を確かめる「検証実験」を始めた。なぜ不正調査の対象が論文上の一部の疑義に留まり、徹底した事実の解明を行わないのか。一方で、それとは直接関係がない検証実験だけがなぜ進むのか。多くの大学人が抱くこの不満を筆者は共有する。理研とわが国の科学に対する信頼回復へ向けた本気度を世界に示すには、疑惑解明と組織改革もさることながら、検証実験を行うに至る理研内の動きを検証することが必要になったと考えている。

 理研改革の道が多難であることは想像に難くない。まず、組織内の認識。狂牛病事件を例にとるまでもなく、「一件の不祥事が、全体への信用を失墜させ、その回復には全体による極めて大がかりな取り組みが必要となる」……経験した者が持つこの常識を組織内で共有できるか。監視、教育、審査等の新たな役目を仰せつかる研究者が、どれほどその務めを果たすのか。

 極めて反応が遅く、一般企業であれば倒産の憂き目を招いたと思える経営陣。彼らが今のポストに居座りたいなどというエゴと言ったものを持っているとは到底思えない。彼らはむしろ、慣れない責務に対して憔悴し、もうウンザリであるはずだ。

 そこで、新たな管理運営の組織作りということになるのだが、「わが国のエリートは、単線鉄道のエリート」と評される中にあって、研究者が管理能力を系統的に学べるようなシステムは存在しないから、極めて小さい人材プールから適材を選ぶことになる。その上、現在のわが国のメディア環境がある中で、敢えて火中の栗を拾う意欲を持った有能な人物がどれほどいるだろうか。

 当初、調査委員会の委員長であった石井俊輔氏は自身の過去についての詮索にあい、忘れていたような数年前の過誤を理由に委員長辞任に至った。このようなことに覚悟を持つ人物が現れるのであろうか。自分の部下が、大学院生が、何をやっていたかをすべて正確に把握している研究者なぞいないというのが現実であろう。

 となると、自身の研究室を遠い昔に閉じた老齢者となるのか。小保方氏によって不正防止の欠如という不都合な真実を、課題としてハーバードから持ち込まれてしまった理研の大人たちはどのような英知を働かせるのであろうか。

未来に対する責務を放棄してよいのか


 7月、小保方晴子氏の学位(博士号)の資格について過去に遡って調査した早稲田大学の委員会が結論を出した。その内容は「著作権の侵害行為が11箇所あり、形式上の不備等が15箇所あり、論文の信憑性、妥当性は著しく低いのだが、学位取得は認める」というもの。多くの大学人が首をかしげた。裁判で言えば、判決と判決理由の間に普通の頭脳では理解できないギャップを見たからだ。

 この結論の背景については、調査に当たった人物の肩書きを見てみるとおおよその想像がつく、弁護士を委員長とし、いずれも匿名の2人の国立大学医学部名誉教授に2人の早稲田の現役教授を加えた5人の委員会。これに更に3人の弁護士が補佐委員として加わる。読み取れるのは、早稲田の調査委員の選択に当たっての民事裁判への強い意識である。

 STAP事件で理研の調査委員会を立ち上げた際、調査内容を一部に限定したのも民事訴訟を念頭に置いてのことであったことは、既に広く知られている。立ち上げの際の委員長が辞任した後、それを受け継いだのも弁護士であった。

 早稲田が日本のリーダー的存在であるなら、それなりに担うべき使命というものがあるはずだ。それはわが国が輩出するPh.D.の質を世界に向けて保証すること。リーダー的立場の大学が輩出する人材の質が粗悪なら、他は推して知るべしと見られるからだ。


STAP細胞論文の疑義に対する調査の中間報告で、記者の質問に耳を傾ける理研の野依良治理事長=2014年3月
 この保証があってこそ、学位を取得した日本の研究者が世界の場で自信を持って活躍できる。この日本のリーダーとしての責務と、民事裁判で縺れたくないといういわば組織防衛の責務とは相いれ難い。
 
 この2つの責務をかかえた中で、早稲田の首脳は後者を優先した。今後同大でPh.D.を取得していく者の利益より、過去にPh.D.を取得した者の利益を守ったのだ。

 確かに、今回の結果は、乱発された学位を持つ多くのPh.D.に安堵を与え、さしあたりの平和は保たれたように見える。しかし、今後、早稲田はどのような手立てで失地を取り戻そうとするのだろうか。小保方氏によってたまたま、不都合な真実を持ち込まれる先となってしまった早稲田の大人たちは頭をかかえているに違いない。

 小保方氏は日本のアカデミアのパンドラの箱を開けた。たくさんの低品質の学位が乱発され、今も乱発されていること。そして、研究機関が、共同研究・知的財産等の多くの近代的問題を抱える中で、その管理に必要な訓練・経験を積んだ人材を育てていないこと。この2つの不都合な真実に我々はどう向き合っていくべきなのだろうか。

 理研の改革に携わる者が直面する難題を解決できるような成熟した環境をつくっていくために、我々自身にも取り組むべき課題があると思われる。