三浦陽二(日本ダルク本部ディレクター)

 ASKAさんの再逮捕は残念ですが、覚醒剤をやめる努力が足りなかったという一言に尽きると思います。実は私も、かつて覚醒剤を常用し、二度逮捕された経験があります。

 私は小学校のころからいじめにあっていました。中学校に入学してもいじめは続き、中学1年の自分の誕生日に「一発逆転を図ってやろう」と思って、十数人と喧嘩したんです。やっぱり勢いというのはすごいもので、その喧嘩に私が勝ってしまい、そのときから自分の居場所が学校の中にできたような気になっていました。

日本ダルク本部ディレクターの三浦陽二氏
日本ダルク本部ディレクターの三浦陽二氏
 ただ、虚勢を張らないとまたいじめられてしまうと思い込むようになり、それ以来、酒もタバコもやり始めました。中学2年のときには先輩からシンナーを勧められ、最初のうちは断っていたのですが、「お前は不良のくせにシンナーも吸わないのか」と煽られ、もしこの誘いを断ったら、自分は仲間外れになるんじゃないかと思って吸ったのがシンナー依存の始まりでした。

 ある時、朝起きたら少年課のおまわりさんと両親が立っていて、「病院に行くか、警察に行くか」と突然迫られ、そのまま精神病院に入院しました。そのころはシンナーを吸ったままオートバイで出かけたり、家の中で隠れて吸って大きな声を出してバレたこともありましたから、きっとこのままでは危ないと思ったのでしょう。当時を振り返ると、シンナーは毎日吸っていたと思います。中でも、一番よく吸っていたのは、ウェットスーツを補修するためのゴム糊。値段は7~800円で、中くらいの歯磨き粉くらいの大きさだったでしょうか。それを1日1本くらい吸っていました。シンナーを続けていたせいで歯茎がジンジンと痛み、それを止めるために吸うことも多かったと記憶しています。

 私の父はボクシングの日本チャンピオンで、母は皮膚科の医師でした。両親は私に期待をかけていましたが、その期待を裏切るようにグレてしまった。中学卒業後は都内の高校に入ったのですが、「お前は勉強ではダメそうだから、ボクシングをやれ」と父から勧められ、ボクシングを始めました。実は私が通った高校には当時、ボクシング部はなかったのですが、父が校長先生にかけあってボクシング部が創設されたんです。ボクシングを始めるようになってからはシンナーをやめていたのですが、高校1年のときに出場した大会の決勝で負けたことがきっかけで部活をやめました。その後は学校に行くふりをしてはシンナーを吸うようになり、やがて退学しました。