安宿緑(ライター)

 初めまして。安宿緑と申します。私は「在日コリアン」です。

 本業は編集者とかライターをしてまして、仕事で韓国や北朝鮮、中国などに行ったりしています。時々このPNで、暇つぶしに北朝鮮日記を書いたりしています。それ以外はたいして教養もなく、適当な人間です。基本的に在日、日本人問わずいい人に助けられ何不自由なく生きてきましたが、差別もなくはありませんでした。それに対し復讐を考えたこともありましたが、表には出さず、自分なりに知恵を絞って乗りきってきました。それ以上に、周囲の素敵な人々と付き合うほうが大事でした。

 周知のとおり、「在日特権を許さない市民の会」のヘイトスピーチと、それに反対する人々のデモ衝突が各所で起きています。

 これ、実は私が朝鮮学校に通っていた中学2年生の時に脳内で起きていた光景ですが、これが「引き寄せの法則」でよくいう「思考の現実化」なのかと驚いた次第です。まさか今頃になって目の当たりにするとは思いませんでしたが。朝鮮学校の先生が言っていた「悪いほうの日本人」のテンプレみたいな人々がワラワラ出てきてニヤけてしまいましたし、特に蝶ネクタイは想定外で、思わず声を出して笑いました。
 
 しかし、実はそこまで笑えません。
 「朝鮮人を殺せ」、この言葉が当事者にとっていかに脅威的か、筆舌に尽くしがたいです。平気なふりをしていても、やはり悲しく、恐ろしい。これを生で聞いた当初は顔では笑っていても、生命を脅かされるような恐怖を感じ、鼓動が乱れ手足は震え、全身から汗がにじみ精神がかき乱され、周辺をグルグルと徘徊してようやく気を落ちつけていました。元横綱・朝青龍がファンから殺人予告を受けた際、「俺が殺してやる」と殺人予告し返した事件がありましたが、そんなメンタルが強い人間はめったにいません。

 出自に関わる差別とヘイトスピーチは絶対悪であり、在特会が「在日特権」という虚構を経典とする教条的カルト集団であることは疑う余地がありません。このカウンターとして立ちはだかったのが「レイシストをしばき隊(現C.R.A.C)」であり、彼らの登場によりレイシズムとヘイトスピーチが異常なものであることが市民の意識に強く焼き付けられることになりました。


 試しに在特会側の主張を静聴しますと、一理ある部分もありますが大筋はトンデモ感溢れるもので、ここに差別感情が加味されて手に負えないのがわかります。これが頼んでもないのに毎週路上に出てきてしまうのですから、カウンターデモをせざるを得ない状態になっています。明らかに、無慈悲な鉄槌が下されるべきです。

 しかし、一方で「カウンターデモ側」の一部の分子はレイシストを制圧するためにたびたび暴力事件を起こしたり、ネット上で反対意見を持つ人を見つけては「サブカル」などという言葉を用いて言論弾圧するなど過激な手法が目に余るようになり、批判も増えています。一説では最近、在特会との裁判で、在特会側の傍聴人に暴行を加えたという情報もあります。このような、暴力団によって治安が維持されているような状態は健全ではないと思います。ヤクザAをヤクザBが鎮圧したからといって、ヤクザBを素直に支持できるでしょうか?

 こうした暴力的な方法論については既に多くの人が論理的に指摘をしていますが、私はさらにこのムーブメントに賛同したり関わっている一部の人物の思想について疑問視しています。それは「どっちもどっち論」などという生ぬるいものではありません。「証拠」をもって問いかけたいと思います。

 まず前提として在日コリアンは、朝鮮学校通学歴の有無にも大きく左右されるところがありますが、さまざまな民族構成要素(言語、血筋、生活習慣、地域の共通性、共同体意識など)のうち共有するものが少なく、その立場や志向性、自己形成の過程は千差万別です。帰化をしていないだけで内面は日本に帰順している人、またはその逆もいます。ニューカマーもいます。そのため外野が在日コリアン社会について語る場合、その中の一側面だけを抜き出して賛美したり、こき下ろしたりするのは間違いです。

 その理由と背景を主に2つ挙げます。

 在日コリアンは南にルーツを持つ人が99.9%、北にルーツがある人は0.1%ですが、約2000万人の離散家族を生んだ朝鮮戦争に翻弄され、南出身でありながら北を支持した人、またその逆もいます。長年、北を支持していた人が南の故郷にいる家族が危篤であると聞き、最期を看取るため泣く泣く朝鮮総連を脱退した例もあります。このように在日であっても本国、そして南北を完全に切り離して論じることは不可能です。

 アイデンティティの拠り所もさまざまです。国家と民族観は別であるという指摘もありますが、若い世代でも本国の人たちと感情や立場を部分的に共有することで、アイデンティティを保とうとする人も明らかに存在します。本国の人と交流が深まるほど、彼らが大切にしている事柄――例えば政治理念や歴史認識、国家観など――を同意はできないまでも、尊重したいと思うようになります。そこで人間関係が構築されるからです。それは北であろうと南だろうと同じです。

 ところがです。
 最近、海外にお住まいで「反差別論客」と世間に認識されているであろう方がネットニュース上で、「ヘイトスピーチをぶっ壊せ」と言いつつ「北朝鮮はネタ国家」という意趣のヘイトスピーチを行っているのを目撃したうえ、さらに「カウンターデモ」の指導者からは直接、ネット上で「サブカルライター」「箱庭で生きているのか」などという聞き捨てならない発言を受けたのです。

 「正体見たり」と言ったところでしょうか。
 仮にも反差別を標榜しておきながら、差別から保護する対象が属する状況や精神世界を否定するような罵りやレッテル貼りを行うのは理解に苦しみます。特に、北朝鮮問題のライターとして活動している私に「サブカルライター」とは「北朝鮮=サブカル」とおっしゃっているも同然ですし、「箱庭」というのも首を傾げます。数十万人の在日コリアンが、数十万通りの努力と方法で自己の地位向上に努めるのは、暴力的カウンター行為に劣るとでも言うのでしょうか? 被差別階級の全員が表に立って「痛み」を一身に引き受けなければいけないのでしょうか? 

 さて、ここでは実際に「ネタ国家」で「サブカル」であるかどうかは論点ではありません。
 互いの違いを尊重するのが、アンチレイシズムの原則です。
私も個人的にイスラム教が苦手ですが、アラブ系の人に対し「お前らの宗教はサブカル」だなどと言いません。よく知りもしないのに、「シーア派はいいけど、スンナ派はネタ宗派」なんてことも言いません。

 このような人々のいう「在日の友人」とは、一体誰のことでしょう。実在しているのでしょうか?
 おまけに、レイシストの矢面に立っている朝鮮学校のコンセプトを否定していることにもなりますが。
 知識不足から来るものであったとすれば、認識を改めて頂きたいと思います。

 後に知るところによると、どうやら彼らにとって「サブカル」の定義は「何も行動しない傍観者」とのことですが、そうやって語彙を歪曲して用いた責任を、相応に取って頂いた次第でございます。日本人なら、もしくは日本で育ったなら、今後は日本語を正く使っていただきたいものです。まあ、日本語じゃないんですけどね。そして私は生まれながらの当事者であり傍観者ではありませんので、いずれにしろ意味が通りません。
 そして朝鮮学校および在日コリアン社会でも当然ながら、イジメや差別主義者は存在します。
 そんな中「いやいや、あんたも日本人差別してるだろ」と思う場面もありましたし、一部の人たちが同胞に対しソーシャルレイシズムを行う場面も見てきました。私も受けたことがあります。同族であろうとも容姿、職業、性別、学歴、パーソナリティなど差別の下部カテゴリは無数にあることを実体験から学んだだけに、民族・人種差別に「のみ」固執する人を懐疑的に見てしまうのです。「偽善者&レイシストに国境なし、真に粉砕すべき者は誰であるのか皆さんも既にご存知だと思います。もちろん、自分自身にも差別感情がないと言えば嘘になりますので、偽善で隠すのではなく上手く折り合いをつけていきたいと思っています。

 ともかく、危険思想を隠し持つ人と共闘するのは正しい生存方式ではありません。特に在日コリアンは1950年代、日本の政争に加わり破壊活動を行った数万人のせいで、その他大勢の普通の人までもが不利益を被りました。「血のメーデー事件」(1952年)で日本共産党の前方部隊として火炎ビンを投げていた在日本朝鮮統一民主戦線の二の舞になることはありません。時代が違っても本質は同じだと思います。そもそも、レイシストなどをまともに相手すると、逆に彼らをますます先鋭化・理論化させ、より立派なレイシストに育成してしまうことになります。

 さて、長々と語ってしまいましたが私ごとき一介の旅ライター、リバタリアンの遊び人、このような話題に言及するのは最初で最後とし、通常の活動に戻らせていただきます。ちなみにこの駄文については、賛同などより「お前に言われなくても、とっくに知ってるわ!」という批判をいただけると大変うれしく思います。