別冊正論27『「美しい日本」ものがたり』 (日工ムック) より


黒鉄ヒロシ(漫画家)



「恥」に拘りもつ日本人


 何事やらん、善行を施した武士が立ち去ろうとするを押し留めた婦人が「せめて、お名前を――」と縋(すが)るに、「名乗る程の者ではござらぬ」といなして「タビのコロモはスズカケのォ~」などと謡(うた)いながら闇に溶けていく。

 時代劇映画に於いては頻繁に出喰わすシチュエーションで、鼻垂れ小僧の分際にも「カッコイイ!」と感じ入るシーンであった。

 身に付いたかはさて措(お)き、アレは日本人的美徳の、教育の一環であったやも知れぬ。

 美徳とは、ある価値観に支えられた、西欧なら〝ダンディズム〟、日本なら〝武士(もののふ)の心〟という辺りに落ち着くのであろうが、これに無反応、無関心などころか、先の婦人と武士の係わりに重ねれば、「名乗らなきゃ意味がなく、お礼だって貰(もら)えないじゃないか――!」というお国柄もある。

「名乗る程の――」の幼児教育が功を奏したものか、先輩達の他国民に成した善行を、日本人の多くが知らない。

 更には、学校教育でも触れないし、家庭に於いても話題に上ることもなかった。

 全ての因(もと)を「名乗る程の――」の科白(せりふ)に吸収させては安易に過ぎよう。

 かくも善行に対し沈黙するは、日本人の美徳と云えばそれ迄(まで)だが、自己宣伝はともかく、ある程度の自己検証なくば、ことあらば嘘のレッテルを貼ろうと手ぐすね引いている国まである昨今である。

 原因のひとつは、日本人の「恥」に関しての拘(こだわ)り方にあるのではないか。
 一口に恥と云っても、そのカタチは一様ではない。

 恥への助走は、スタート以前に既に用意されていて、行動しなかったことに対する恥、したことに対する恥、結果に対する恥――と、ここまでは真っ当な歴史を有する国なら文化として定着していよう。

「真っ当な歴史」とは、その良し悪(あ)しや好悪の判断はさて措き、人類の発展の通過儀礼の如くに、封建制度の経験の有る無しに掛かるようである。

 更に恥は細分化されて国柄の一翼を担う。

 行動の結果、人救けとなって成功であった場合にも、日本ではその後の対処にも恥は付き纒(まと)う。

「名乗る程の――」の禁を解いて、抜け抜けと書きつければ、善行の点に於いて、他国に比べ、我国の圧倒的な数の多さは何の所為(せい)に因を求めればよいか。

 いざ、具体例に転じて検証せん。