日本人選手に肘の故障が多発するのはなぜか?

玉村 治 (スポーツ科学ジャーナリスト、科学ジャーナリスト)

 大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースで鮮烈なデビューを飾った田中将大投手は、右肘内側側副靭帯の部分断裂で7月、故障者リスト(DL)入りした。昨年の東北楽天ゴールデン・イーグルス時代の24連勝に続き、前半戦だけで12勝と快進撃を見せつけていただけに、多くのファンは突然のニュースに驚かされた。肘の治療は自己血注射による再生医療が中心で手術を免れ、9月21日、ニューヨークでのブルージェイズ戦で復帰して75日ぶりに先発登板。6回1死までを5安打1点に抑え13勝目を挙げた。大リーグで現在投げる日本人投手では、松坂大輔(ニューヨーク・メッツ)、和田毅(シカゴ・カブス)、藤川球児(シカゴ・カブス)らが肘の手術を受けている。ダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)も8月に肘の炎症を訴えてDL入りした。肘の故障はなぜ起こるのか、日本人投手に起こりやすいのか、肘痛を回避するにはどうしたらいいかを考える。

腕の振りの加速が大きいほど肘にストレス

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図1 投手のしなりがもっとも大きい時(最大外旋位)に肩やひじには大きなストレスがかかる。最大外旋位は剛速球投手では150~160度を超えることがある。
 (提供:筑波大・川村卓准教授)
 「東洋人は肘に何か問題があるの」

 日本人選手の相次ぐ肘の故障(痛み)に、大リーグ関係者の間ではこんな言葉がささやかれているという。しかし、肘の故障はアメリカ、中米出身の選手でも起きている。いいピッチングをしていた日本人投手が突然のように、肘の痛みを訴えて戦列を離れる意外性から発せられたものであり、それだけ日本人が活躍していることの証左である。投手にとって、肘の故障は、肩痛より起きやすいトラブルなのである。

 では、なぜ肘を痛めやすいのか。それは、一連の投球動作の中で、前に移動する腰、肩、上腕(二の腕)と異なり、前腕(肘から手首)は後ろに取り残され、中でも上腕と連結している肘に大きなストレス(力)がかかるからである。

 この力は、静止していたものが急に加速する時に働く慣性力(止まっているものはずっと止まり続けようとする力)だ。反力ともいう。停止した電車が前進するとき、乗車している我々が後方に倒される力である。

図1を見て欲しい。

 前腕が最も後方にしなっている状況は「レイバック姿勢」と言われ、前腕が後方に最も強く引っ張られる瞬間である。上腕の振りの加速が大きいほど、この力は大きくなる。大まかにいうと、剛速球投手ほど、腕のしなりは大きくなり、それだけ後ろに引っ張られる力も大きい。

 この時、重要なのは、理にかなった投球動作をすることである。正しくないフォーム、例えば、肘が両肩を結んだ線より下がっていたり、前腕が肩から遠く離れすぎたりすると、肘への負担はさらに大きくなってしまうからだ。

田中投手の肘の故障原因と治療法は?


 田中将大投手が傷めた、内側側副靭帯(ないそくそくふくじんたい)の部分断裂とはどういうものか。内側とは肘の内側というものだ(図2)。

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図2 内側側副靭帯のある部位
(参照:『「野球医学」の教科書』(ベースボール・マガジン社)
 上腕は上腕骨一つだけだが、前腕には尺骨と橈骨(とうこつ)という二つの骨がある。尺骨は手のひらを上に向けた時に内側にある骨で、この尺骨と上腕骨を結びつけているのが内側側副靭帯だ。この靭帯は、細かくいうと3つからなるが、投球で最も傷めやすいのが前束(前斜走線維)だ(図3)。正常な靭帯は、強固な線維の束となっているが、度重なる酷使で線維が切れてしまったり、ほぐれて広がったりしてしまうと痛みを伴ってしまう。注意しなくてはならないのは、痛みがなくても損傷は進んでいることがあることだ。

図3 内側側副靭帯の模式図。青い矢印が靭帯の前束
(参照:『カラー人体解剖学』(西村書店)
 「最新のMRI(磁気共鳴画像診断)で判明することも少なくない」と筑波大附属病院水戸地域医療教育センターの馬見塚尚孝講師(整形外科医)は語る。馬見塚さんは、筑波大野球部部長を務める一方、『「野球医学」の教科書』(ベースボール・マガジン社)を執筆し、ジュニア野球選手の野球肘などの故障を回避するための指導法の在り方に一石を投じている。

 田中投手の故障は、この前束の靭帯の部分断裂とされる。同じ部位を損傷した松坂、和田、藤川らが受けた肘靭帯再建術(いわゆるトミー・ジョン術)を選択せずに、自らの血液から血小板が多い部分を集めて注射する「多血小板血漿:PRP(Platelet Rich Plasma)療法」を選んだ。

 この治療法を簡単に説明すると、①自分の血液を採取する ②遠心分離という方法で血液の中から血小板が多く含まれる部分を取り出す ③それを患部に注射する――方法だ。血液から取り出した血小板が多く含まれる液体は「多血小板血漿(PRP)」と呼ばれる。この中には靭帯修復に役立ついろいろな物質が含まれている。

図4 肘靭帯再建術をした患部。内側側副
靭帯を補強するように手首の腱(白い部分)
を移植してある(提供:馬見塚講師)
 靭帯再建術は、損傷した靭帯を補強するように手首や膝裏の正常な腱を切り取って移植する手法。試合復帰するのに1年から1年半近くかかることから、田中投手は、損傷の程度、チーム事情、個人の意思などからPRP療法にかけたとみられる。ただ、PRP療法は新しい治療法であり、どの程度復帰できるかは、まだ臨床研究の段階にある。


原因の一つはスプリットの多投?

図5 昨年と今年の田中投手の全配給の内訳(提供:フェアプレイ・データ)

 では、田中投手の肘痛の原因はどこにあるのか。さまざまな要因が考えられるが、日本のプロ野球の全試合を分析するフェアプレイ・データの石橋秀幸社長(慶應大スポーツ医学研究センター研究員)は、田中投手の「投球の組み立て」に注目する。

 石橋さんが、田中投手の楽天時代の2013年と今年ヤンキースでの配球を分析したところ、スプリット(フォーク)の多投が顕著だったという。

 全配球のデータからもそれが伺える(図5)。昨年は、①ストレート36% ②スライダー24% ③スプリット(フォーク)19%の順だったが、今年は、①スプリット(フォーク)26% ②ストレート22% ③スライダー22%の順に大きく変化した。


 石橋さんは、「大リーグでは田中投手のような切れのある、スプリットを投げる投手は少ない。パワーヒッターが多い大リーグでも十分に威力を発揮しているため、キャッチャーもスプリットを中心に組み立てている」と指摘する。

 その証拠に、今年は初球からスプリットを多く投げている。大リーグでは初球から積極的に打ってくるバッターが多いのと無関係ではない。
 2ストライクと追い込んだ、投手有利な場面でもスプリットが目立っている。昨年は、こうした場面ではストレートを厳しいコースに投げていたとみられるが、今年はスプリットが多く、昨年のストレートがそのままスプリットに置き換わった形だ。早めに勝負球を投げ、球数を減らす狙いがあるとみられる。同じく1-1、2-2などの平行カウントでもスプリットと、ストレートの使用割合が日本時代と逆転しているという。
 こうしたスプリットの多投で何が起きたか。田中投手は、ある程度深くボールをはさみ、指の間からボールを抜く感じで投げている。ボールをリリースした瞬間、腕には急ブレーキがかかるが、フォーク(スプリット)はストレートより大きな力でブレーキをかけなくてはいけない。

 石橋さんは「フォークを多投する投手に聞くと、投げすぎると握力が落ち、手がむくむことがあったという。フォークを投げた時の肘には、ストレートより1.4倍も大きな力の急ブレーキがかかる(図9)。それだけ肘への負担が大きくなる。スプリットの多投は肘への負担を高めた要素の一つ」と強調する。

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図9 直球とフォークボールを投げた時、肘にかかる加速度。ボールをリリースした後、フォークを投げた時の肘には、直球の時の1.4倍も大きなブレーキがかかっている (参照:車谷洋、村上恒二、「フォークボールと肘関節障害」、臨床スポーツ医学 19-4)

中4日の登板による疲労説も


 もう一つの要素と考えられるのは、中4日の登板による疲労の蓄積だ。田中投手は楽天時代、中6日で登板していた。この2日の違いは、休養の取り方、投球練習、筋力トレーニングなどの調整の内容、スケジュールに大きく影響する。

 ダルビッシュ投手が「中4日では肘の炎症がとれない。もっと間隔をあけるべきだ」と主張するのは、この投球間隔がいかに過酷であるかを示す悲鳴にも聞こえる。

 このほか、田中投手のフォームは、大リーグの固い、急傾斜のマウンドには向いていないという分析もある。

 下の写真は、このコラム「楽天・田中将大投手 25連勝 強さの秘密」で紹介したフォームである。

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図10 楽天時代の田中投手のフォーム(提供:フェアプレイ・データ)
 文句のつけようのないきれいなフォームであるが、松坂投手のけがの理由について解説した「ダルビッシュと松坂を科学する」でも触れたように、ステップ幅が大きく、重心が低く、体を前に送り出すフォームでは、大リーグの傾斜の高い、固いマウンドでは無理な姿勢で投げなくてはならない。肘への負担が大きくなってしまう。こうした大リーグのマウンドでは、ステップ幅を狭くし、踏み出した足を突っぱねるようして地面からの力(反力)を得て投球するのが理にかなっているのである。

 しかし、大リーグ入り後の田中のフォームには、ほとんど変化は見られなかった。「大丈夫かな」と思っていた矢先のDL入りだった。

 現在、リハビリ中の田中投手は、ビデオ映像を見ながらフォーム改造に着手した。従来のフォームでは肘への負担が大き過ぎると判断したのだろう。幸いヤンキースには、田中と同じような、重心の低いフォームから大リーグ型のフォームに見事修正した黒田博樹投手がローテンションの柱として健在だ。

 石橋さんは「目指すべき姿、目標が近くにあることは大きい。3年目のダルビッシュやシアトル・マリナーズの岩隈久志投手らも大リーグにあったフォームに進化している」と語る。

幼少期からの投げすぎが一因にも

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図11 野球で肘痛を発症した大学生の過去の既往歴との関係
(参照:『「野球医学」の教科書』)
 一方で、馬見塚さんや、筑波大の川村卓准教授(同大野球部監督、スポーツ科学)らは、「ジュニア時代からの投げ過ぎなどが今回の肘障害の背景にある」との見方を提示する。田中投手は中学時代にキャッチャーからピッチャーへ転向し、特に肩や肘を傷めたとの報告はなし。しかし、キャッチャーやピッチャーは、ジュニアではともに肘などの故障がダントツに多いポジションだ。

 馬見塚さんは、「精密なMRI検査をすると、ジュニア時代に繰り返す軽微な肘痛の裏には内側側副靭帯の異常があることが多い。田中投手の場合、肘の障害のきっかけはジュニア時代の障害があったのではないかなど、過去にさかのぼって考える必要がある。これにメジャーでの慣れない環境、中4日登板などによって、疲労が十分に取れない中で、投球数の多さも重なって症状がでた可能性はある」とみる。

 馬見塚さんによれば、大学生で肘の痛みを訴える人の86%はジュニアや高校時代などに肘痛の既往歴があった。大学生になって初めて発症するのは2%に過ぎなかった。発症しやすさは、過去に傷めたことのある人の方が既往歴のない人に比べ25倍も大きいことになる。

 「つまり、大学生からの障害対策では遅い。もっと小さい時からの障害予防の取り組みが欠かせない。成人と同じような、勝利至上の野球は障害の要因になるだけだ。なぜなら、ジュニアと成人では骨や靭帯の発達が違うからだ。肘の場合、子どもは軟骨が多く、耐久性はない。指導法が異なることを指導者は知らなくてはならないが、まだそこまでいっていない」と語る。

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図12 子ども(10歳、左)と成人(27歳、右)の肘のMRI画像。緑色の矢印は軟骨を指す。青色の矢印は靭帯を指す。子どもは骨が発達せず、軟骨が極めて多い(参照:「別冊整形外科No.64」(南江堂))。

投げ過ぎの基準は球数以外にも強度やフォームも考慮


 馬見塚さんがもう一つ警鐘を鳴らすのは、「投げ過ぎが球数だけで考慮されている野球界を取り巻く空気」だ。大リーグでは先発投手の交代の目安は100球。青少年も「1試合75球以下、1シーズン600球」を推奨する野球ガイドラインがあるが、野球肘などの障害防止の特効薬にはなっていない。

 日本でも同様の興味深いデータがある。小学生の投手149人を対象に、1年間追跡した調査で、1日50球以上投げていた62人中42人(66.1%)が肘などの障害が発生した。一方、50球以下の障害発生は少なくなったものの87人中25人(28.7%)が発症している。このことは「肘痛の減少に球数を抑えることは有効だが、球数を少なくしても、約30%が肘痛を発症していることは、投球数制限だけでは十分ではないことを示している」(馬見塚さん)。

 では、何が重要かと言えば、投球の強度とフォームという。全力投球は肘に負担がかかることをこどもたちに教えることはとても大事である。そしてその指導は決して将来の投球スピードを減らすものではないことを知ることである。じっくり成長を待つことが大切だ。

 また、ストレートの肘への負担を100とすると、カーブは91、チェンジアップは83と適切な指導を受けた場合変化球は決して負担の多い球種ではない。「学童野球ではチェンジアップなどを許可し、指導者講習会などで指導者に指導法を学んでいただくことも大事だ」と馬見塚さんは強調する。

 もう一つは、肘や肩に負担の少ないフォームを身につけることだ。フォームが身についていないと、球数が増え、疲労がたまると投げ方が悪くなりがちだ。年齢に応じた筋力とスタミナをつけないと、フォームを修正しても昔の癖が抜けきらないことがある。

 田中投手らが大リーグで活躍することは、未来を担う少年たちにも大きな夢となる。今後、田中投手の一挙手一投足には注目が集まるが、今回のDL入りは、日本、アメリカのプロ、アマチュア、ジュニアを超えて、改めて野球を冷静に見直す良い機会を与えてくれた。科学的に野球をすることの大切さだ。
   
マー君の故障 米では原因を日本での投げ過ぎに求める声強い  (ともに週刊ポスト 2014年8月8日号)