ジャーナリスト 櫻井よしこ

 朝日新聞社が九月十一日、記者会見を開き東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消しました。

 会見に臨んだ木村伊量社長は「所員の九割が吉田氏の待機命令に違反し撤退した」とする五月の報道を否定し「東電社員がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になった」として記事そのものを取り消し「読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします」と述べました。

 私がまず気になったのは朝日新聞が誰に謝っているのかということでした。彼らはまず「読者と東電所員」に謝っています。しかしこの出来事の本質を考えると、まず謝るべきは日本国民全員だったのではないでしょうか。確かに東電と所員は朝日報道に直接巻き込まれて濡れ衣を着せられたわけですから、彼らへの謝罪は当然だと思います。

 しかし、朝日新聞の記事によって「福島の英雄」たちは実は怖くて逃げ出していたのだ、と世界中の外国のメディアは発信しました。今年四月に韓国で起こった大型旅客船「セウォル号」の転覆・沈没事故になぞらえ、「韓国のセウォル号に匹敵する責任放棄だ」と報じた外国メディアもありました。セウォル号では事故後、乗客を置き去りにして船長はじめ乗員が逃げたという失態が起きましたが、それと命を懸けて事態の収拾に尽くした「福島の英雄」が同列視され貶められたのです。これは日本人全体の名誉に関わる問題です。その意味で朝日報道の罪は重く、まず彼らは日本国民全員に謝罪すべきだったのです。

相変わらずの自己弁護


 記者会見を受けた翌日十二日朝刊を見ても言い訳と自己弁護は相変わらずでした。なぜこんなことになったのか、という経緯の説明では、機密を扱う記者の数を絞り込んだため、チェック機能が働かなかった─と説明しています。しかし、ジャーナリズムを掲げる新聞社としてこんな説明は通用しないでしょう。特ダネやスクープを手掛ける際、出来る限りの少人数の精鋭で、絞り込んで取材に臨むのが常だからです。

 ニューヨーク・タイムズを出し抜いてウォーターゲート事件をスクープした際、ワシントン・ポスト紙で核心を掴んで取材したのは二人だけでした。その二人が厳しい二重三重のチェックを互いに課しながら、情報の真偽を確かめ事実を確定し、積み上げてスクープをものにしたのです。そうした事例と比べると今回、朝日が「取材源を秘匿するため、少人数の記者での取材にこだわるあまり、十分な人数での裏付け取材をすることや、その取材状況を確認する機能が働かなかった。紙面掲載を決める当日の会議でもチェックできなかった」とした説明が如何にお粗末か。もしこれが本当なら朝日の記者は、たとえ精鋭であっても情報の真偽すら確認する能力を有しないということになります。

 朝日が「撤退した」と述べた東電職員は六百五十人にのぼり、福島フィフティーと呼ばれた人は実際には六十九人を数えました。だから総勢七百人以上の現場関係者がいることになる。ところが、ジャーナリストの門田隆将氏は、朝日は誰一人としてインタビューをしていないと指摘します。

 さらに記事の作成過程も問題だらけです。確かに吉田所長の調書には《私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第二原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと》という件が出てきます。

 しかし、その前後を読んで見ると、調書はこうなっています。

 《本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGM(幹部)クラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。いま、二号機爆発があって、二号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して…》

 つまり、吉田所長は2Fに行けと言っていないけれども、行くとしたら2Fかという話をした。それが、伝言ゲームのように2Fに行け、と伝わった。そこで幹部から帰ってくることにした─というわけです。

 朝日の記事ではこうしたくだりは悉く削られています。吉田所長は「考えれば2Fに行った方がはるかに正しい」─とも語っていますが、それも記事にはありませんでした。実際に1Fに戻って仕事をしている幹部もいました。逃げたのであれば戻っては来ないでしょう。最後まで読めば、誰もがわかる。なのに、朝日は吉田所長の「2Fに行った方がはるかに正しい」というのは事後的な感想に過ぎず、必ずしも必要なデータではないと考えて盛り込まなかったと説明しましたが言い逃れです。

 当時、原発の二号機が危機的な状況にあるという認識が吉田所長には強くありました。もし、ここでサブチャン(圧力抑制室)が爆発などしようものなら、強い放射能が拡散されてしまう。その時に第一原発の屋外などに職員がいようものならとても危険だ。第二原発に行った方が良かったと考えたわけでしょう。それが「(1F周辺で)何時間も退避していて、死んでしまうよね」という発言になったのです。

 一方で、今いる免震棟は屋外よりも一番安全な場所ではあっても食べ物も足りない、トイレもないという過酷な状況が続いていました。限界に近い状況のなかで、踏みとどまって頑張っている職員、主としてホワイトカラーの人達をこのまま残しておくのが妥当なのか。自分自身が撤退する気は毛頭無いが、必要な人数だけ残して、それ以外の人達は今のうちに安全なところへ退避させたほうがいいのではないかと考えて、決断するわけですね。

 調書には、最初四十人くらい行方不明者が出たと聞かされたとき「本当に行方不明になったら自分はここで腹括って死のう」と考えたという件がありました。吉田所長らは死ぬ覚悟をしていたのです。

 予想外の困難に命がけで立ち向かった人達に対して「逃げた」─それも所長の命令に違反して─という報道は人間的に許せない。朝日の記者の人間教育はどうなっているのか、とさえ考えてしまいます。反原発のためなら、人間の名誉や誠実さなどは無視しても良いのか、という思いもこみ上げてきます。何よりもまず全体状況を把握したうえでの判断がない。なぜか。それは自分達の思惑に沿って報道することを優先したからだと言わざるをえません。

 記事の取り消しが遅れた理由を見ても朝日の説明は狡猾だと感じました。他社は報道したけれども肝心の調書を全て持っていない。自分達は調書を持っている。だから自分達の判断が正しいという考えは変えずに訂正しなかった─というのです。

 吉田氏と事故調との間には調書を公開しないという約束がありました。政府には吉田氏との約束を守らなければいけないという思いが、当然、あるわけです。従って公開しないだろう、公開できないだろうから他社は入手出来ないだろう。従って朝日新聞の判断を出しても否定されることはないだろうと考えていたとしか思えません。その一方で紙面では政府に吉田調書を公開せよ、と突きつけているわけです。こうした姿勢は公正ではありません。尊大で狡い姿勢だと思います。

他人事で論じて欲しくない


 吉田調書をめぐる報道と慰安婦をめぐる報道は根本的にとてもよく似ています。ある特定の意図がまずあって、それに向けて見合った事実を当てはめていく─そのために公正な判断は後回しにされてしまうという共通点です。

 九月十四日付朝刊に星浩特別編集委員が「(日曜に想う)事実と正直に向き合いたい」と題して次のようなことを書いています。

 《政治記者の仕事は、取材でできるだけ多くのファクトを集め、寝る前の風呂に入る時に、日本の明日、一週間後、一カ月後、一年後、十年後がどうなるかを考える。それを毎日、更新していくことだ…(中略)…だから、今回の慰安婦問題と「吉田調書」報道の記事取り消しは、悔しくてしようがない。慰安婦問題の吉田清治氏の証言が事実かどうか、なぜもっと早く点検できなかったのか。吉田調書を、なぜ思い込みを捨てて淡々と読み込めなかったのか。池上彰氏のコラム掲載を見合わせたことも併せて、私たちは猛省しなければならない》

 星氏は今回の二つの問題を完全に自分とは切り離しているようです。「なぜもっと早く点検できなかったのか」とありますが、他人事のように言わないでほしい。朝日を代表するコラムニストがなぜ、これまで点検しなかったのか、というのが私達の抱く当然の疑問です。

 私自身の体験でいいますと、一九九六年秋に横浜で開かれた教職員の講演会で「慰安婦は強制連行ではない」と講演したことがありました。当時は朝日の主張がまかり通っていた時代で、かなり激しいバッシングにあいました。私の発言が正しいことは、今は広く認識されていますが当時はそうではなかった。事実をいっているのに散々叩かれ、排除される。慰安婦の強制連行は間違いない、日本が悪い、こうした方々を助け、賠償しなければならない。こういう主張が大手を振ってまかり通っていたのです。では、このように主張した人達は例えば秦郁彦氏の研究に目を通していたのか。事実は何かとまじめに考えてきたのか、といえば決してそうではありませんでした。

 秦氏の調査結果は九二年に、またその前に済州新聞の女性記者のレポートも明らかにされていました。私はそれらを読み「慰安婦は強制連行ではない」と確信し、その他の取材ももとにして発言していました。では朝日の人たちはどうだったのでしょう。「朝日新聞」という看板の影に隠れて、秦氏の研究などに真摯に目を通すことがなかったのではないでしょうか。星氏は「事実をできるだけ集めて考える」という記者としての教育を受けたそうですが、朝日がやってきたことはそれとは逆で一方の事実だけを集めて論陣を張っていたといわざるを得ません。

未だ謝罪なき慰安婦報道


 慰安婦問題についても記者会見で木村社長らは謝罪しました。しかし、この謝罪は記事を撤回することが遅れたことに対するお詫びに過ぎません。撤回したのは吉田清治氏の証言を取りあげた記事だけで、それ以外の記事に対するお詫びはありません。また八月五日と六日の両日に掲載された検証特集記事の中身について、会見では「自信を持っている」と述べています。国際社会の対日非難や日韓関係に与えた影響や禍根などは第三者委員会に委ねるということで、朝日自身の反省などは全く語られませんでした。特に批判を浴びている植村隆記者の記事には全くといっていいほど触れず、真摯な反省は伝わって来ませんでした。

 勤労女子挺身隊と慰安婦を結びつけた植村隆元記者の記事は意図的に「挺身隊は慰安婦ではない」という事実に目をつぶったとしか言いようがないものです。八月の検証特集記事で、朝日は、慰安婦について十分な学問的研究がなされていなかったと強調しました。しかし、あの当時生きていた韓国の人達は、勤労女子挺身隊と慰安婦が全くの別物だということは常識として知っていました。それは誰かに確認すれば簡単に確認できる類いの話です。吉田清治氏の吹聴した済州島の女性狩りもそうです。前川惠司氏のように朝日新聞にいながら自分が聞く限り、嫌がる女性を強制的に連れて行って慰安婦にした例は全くありません─といった記者もいたわけです。朝日社内でも強制連行はなかった、という意見があったわけです。そう考えると植村氏の報道は意図的な捏造だとしか考えられません。

報道ステーション検証の問題点

 同じ朝日系のテレビ朝日の報道ステーションは記者会見があった当日に慰安婦問題の特集を放送していました。朝日新聞が慰安婦報道で誤報を認め謝罪した─という内容でしたが、番組では名乗り出た慰安婦として金学順さんを報道していました。しかし、金学順さんが女子挺身隊と全く関係がなく、家が貧しく十四歳の時にキーセン学校に親から四十円で売られたこと、さらに十七歳のときにキーセン宿のオーナーによって日本軍のいる慰安所にまた売られたことなどは一切触れずじまいでした。

 彼女はそのことを訴状にも書いていましたし、一度たりとも「自分は女子挺身隊の一員だったが騙されて慰安婦として強制連行された」とは言っていませんでした。ここは朝日が作り上げた部分ですが、朝日新聞もテレビ朝日も頬被りしたままです。

 植村氏が挺身隊と慰安婦を結びつけ、強制連行したと書いた。このことがどのような感情的な反発を韓国側にもたらしたのか。これも記者会見で説明はありませんでした。小学校を卒業したくらいの女の子から二十代前半のうら若き女性達を強制連行して軍の慰み者にしたと書いたのですから、それが事実ならどこの国の人だって怒る話です。

 朝日新聞は今になって慰安婦問題は女性の人権問題であると言い始めています。確かにその通りです。慰安婦という存在を日本は未来永劫作らない、繰り返さない。繰り返してはいけないという思いはほぼ全員が共有しているといってよいでしょう。慰安婦として売られた貧しい女性達に対する同情もほぼ全員が共有しています。

 しかし、日本がこのことで責められる唯一の理由はそれが軍などによる組織的な強制連行だったということと、もうひとつは十二、三歳のいたいけな少女まで対象にしたという二点があるからです。これはいずれも朝日がつくり出した事実無根の─捏造と言っていいでしょう─物語によってもたらされたものです。そこのところを無視して女性の人権問題だというのは明らかに論点のすり替えです。

 女性の人権問題であるということは万人が認める話ですし、日本人は皆反省しているといっていいでしょう。ただ、女性の人権問題だという以上、中国や韓国、米国やドイツなどにも同じような話はあって見逃すことはできないはずです。占領中の在日米軍も然り。朝鮮戦争の米軍も、ベトナム戦争における韓国軍など、同じような話は少なくないわけで、同様に反省を求めていかなければ筋が通らない。日本だけが批判されるのは、紛れもなく朝日がつくり出した前述の二点が原因だと強調したいと思います。その種を蒔いた朝日は全く答えていないのです。

 朝日新聞は慰安婦を性奴隷だと規定したクマラスワミ報告は吉田清治証言だけで成り立っているのではない、という論法を取っています。これも自己弁護以外の何者でもありません。クマラスワミ報告の出発点も紛れもなく日本軍による強制連行と、挺身隊と慰安婦を混同したことに原点があります。

 朝日が審議を委ねるという第三者委員会にはどのような人が集められるのか。リベラルで朝日寄りの識者らが集められて朝日の「自己弁護」に利用されたり、都合の良い結論が導かれるようでは見識が問われることになるでしょう。

本末転倒の朝日報道


 ジャーナリズムにおいては事実を事実のままに伝えることが大事です。コップを上から見ると丸く見えるが横から見ると四角に見え、視点を変えて斜め上から見るとコップの全体像となる円柱に見える。このように、視点を工夫することで実態を言葉で伝えていくのがジャーナリズムです。

 しかし、朝日はそういう努力をしていないように思えます。むしろ、自分達の信じるひとつのイメージを故意に作り上げようとするのが、朝日新聞なのではないでしょうか。

 結論があって、そこに到達するために報道をしている感じがします。事実を伝えるよりも先にイデオロギーを伝える、そのために事実を活用している。どうしても本末転倒に思えます。

 私は先月号の座談会で朝日新聞のしたことは廃刊に値するといいました。その気持ちに変わりはありません。

 しかし、大事なことは廃刊が目的ではないのです。問うべきは十分な反省もできないで、きちんとしたジャーナリズムができるのか、ということなのです。

 はじめは英文も出していませんでした。後に会社のウェブで公表しましたが、朝日新聞は日本の名誉を傷つけたことをもっと真摯に受け止め「日本に批判が集中している慰安婦問題で、私達は致命的な誤報をしました。日本のメディアとして非常に恥ずかしいことだ」というメッセージを自ら世界に発信すべきだと思います。

 今、韓国では「右翼から攻撃されている朝日新聞を何とか助ける方法はないか」といった議論が起きているそうです。反日の旗を掲げる韓国メディアに擁護される朝日の姿が朝日問題を象徴しているようです。日本のメディアとして、朝日新聞の存在意義はどこにあるのかと問いたい思いです。

 池上彰さんの原稿掲載が中止になった─誰が見てもおかしな判断ですが─時、多くの朝日の記者が疑義を唱えたそうです。良いことですが、「では、疑義を唱えた朝日の人は慰安婦問題についてどう考えているのか」と思ってしまいます。

 三十二年間もの長期にわたって事実を正さずに頬被りできる感覚自体が新聞社としてどうなのか。吉田証言について事実に真摯に向き合えと朝日新聞は訴えてきました。その自分達は事実にこれほどの長期間、頬被りできる。そして今なお自己弁護に明け暮れている。「この新聞は果たして大丈夫なのか」という思いが強まるのは当然です。
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櫻井よしこ氏 ハワイ州立大学歴史学部卒業。日本テレビ・ニュースキャスターなどを経てフリー・ジャーナリストに。第26回大宅壮一ノンフィクション賞、第46回菊池寛賞、第26回正論大賞を受賞。平成19年、国家基本問題研究所を設立し理事長に就任。著書に『宰相の資格』『日本の試練』『甦れ、日本』『明治人の姿』など多数。