門田隆将(ノンフィクション作家)

吉田所長本人が最も憤慨する内容


 ――9月11日に『朝日新聞』の木村伊量社長が記者会見を開き、同紙が5月20日の一面トップで「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割」と大々的に報じた記事について、「多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」と謝罪しました。

 5月20日の『朝日新聞』記事は当時、非公開だった「吉田調書」(吉田昌郎・福島第一原発所長が、政府事故調の聴取に答えたもの)を独占入手したとして報じたものでしたが、門田さんは「吉田調書」の内容が明らかになる前から、いち早くこの記事の問題性について発言されてきました。それはなぜだったのでしょう?

 門田 私は吉田昌郎さんに生前インタビューを行ない、さらに実際に現場で作業された方々など90名を取材して、『死の淵を見た男』(PHP研究所)を書きました。その取材の折に、吉田昌郎さんが強調されていたのは「私のことはどうでもいいから、現場で奮闘した人びとの真実を書いてほしい。彼らの姿を後世に残してほしいんだ」ということでした。その吉田さんが「多くの所員が逃げ出した」なんていうはずがない。いや、逆に「逃げ出した」なんて、吉田さん自身が最も憤慨する内容です。

 このことは、吉田さん本人にインタビューせずとも、少しでも現場を取材していればすぐにわかるはずでした。

 ――9月11日の記者会見で『朝日新聞』は、現場の所員たちへの裏付け取材などができていなかった、と述べていますね。

 門田 これだけの記事を書く以上、裏付け取材を幾重にもすることはジャーナリストの基本です。取材対象が少数で、しかも雲隠れしているようなときは、周辺取材と資料だけで記事を打つことはありえます。しかし今回は、現場の当事者がおよそ700人もいたのです。まして、『朝日新聞デジタル』も動員して大がかりな「吉田調書」キャンペーンを展開すべく取材していた。「取材できない」なんてことはありえません。

 私の取材に答えてくれた人たちが語ったのは、とてつもない葛藤でした。じつは誰を退避させるかという選別は、あの3月15日朝の実際の退避の数時間前から進められていました。班長を務めた人に聞くと、部下に「おまえは2F(福島第二原発)へ行ってくれ」というと「いや、自分は残ります」という答えが次々に返ってきて、説得が大変だった。では、班長たちはどうやって説得したか。「みんなここで一緒に大量被曝したら、次の作業ができなくなる。最初は俺たちがやる。俺たちがアウトになったら、あとは頼む。だからおまえたちはこの場から出てくれ。この事故は、そういう戦いなんだ」。自らの死をも覚悟して、そう部下たちを説得している。その場にいる誰もが、切迫した事態はわかっていました。葛藤のなかで、悩みながら去った人もいる。泣きながら退避した人もいる。そういう現場だったのです。

 ――しかし、『朝日新聞』は、「(命令違反の撤退で)事故対応が不十分になった可能性がある」と書きました。

 門田 まさに取材していなかったからこそ、あるいは反原発を推し進めようとする予断があったからこそ、そこまで現場の人びとを貶める記事にできたのだと思います。普通なら、こういう記事が記者から上がってきたら、担当デスクの段階で「現場は取材できているのか?」「ほかの証言がないじゃないか?」「こんな記事、怖くて出せないぞ」となるはずです。

 原発事故を取材していた別の新聞の記者からも、かなり早い段階で「門田さん、『朝日』の捏造記事は許せません」という声を聞きました。それがあの壮絶な現場を取材したことのある人間の普通の反応だと、私は思います。

 ――『朝日新聞デジタル』の特集記事でも、「所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある」と書いていますね。

 門田 しかも、本誌8月号での川村二郎さんとの対談(「『吉田調書』を全文公開せよ」)でも指摘したように、このデジタルの記事では放射線量の単位を使い分けて「印象操作」をやっています。吉田所長の1F構内での待機命令について述べる部分では 「毎時5ミリシーベルトだった」と、あたかも数値が低くて(命令が)妥当だったかのように書くのに対し、「退避したために対応が遅れた」と指摘する箇所では「1万1930マイクロシーベルト」に上昇したと書くのです。5ミリシーベルトとは、5000マイクロシーベルトのことです。このように同じ記事のなかで1000倍の違いのある単位を書き分けていることに、読者の印象を左右しようという意図を感じます。非常に悪質な書き方だと思いました。

 ――しかも、『朝日新聞デジタル』の記事はWebの特性を最大限に活かして、事故当時の生々しい写真や、爆発発生時の東電テレビ会議の音声などをふんだんに入れ込み、いかにも臨場感たっぷりにつくられています。吉田所長の緊迫した声などを聞かされると、記事の内容までもが、丸っきり本当であるかのように思えてしまいます。指摘されなければ、誰もが「ああ、現場はこうだったのだろう」と考えてしまっていたはずです。

 門田 メディアの発達に伴う「怖さ」の一つでしょう。ジャーナリズムの担い手は、ますます真実に真摯に向き合わなければならなくなっているともいえます。 ただ、膨大な「吉田調書」のごく一部だけを恣意的に切り出して「命令違反の撤退」と打ち出す手法そのものが、『朝日新聞』の報道手法の根幹に関わるものではなかったのか。そもそも、そこが問われねばなりません。

 8月末に『産経新聞』はじめ各紙が「吉田調書」を入手して「朝日の誤報」と打ち出したことからもわかるとおり、あの「吉田調書」を普通に読めば、「命令違反の撤退」などと報じられるはずがない。それなのに、なぜそんな偏向した記事になってしまったのか。それは、記事の目的が反原発、そして原発の再稼働反対を訴えるためのものだったということです。さらにもし、上司も、また会社全体も同様の考えをもっていれば、チェックは甘くなるに決まっています。事実を積み上げていって真実を報じるのではなく、自分が訴えたいことが先にあり、そのために「都合のいい」ことだけをピックアップして編集し、記事を作り上げてしまう。私はこれを「朝日的手法」と呼んでいますが、『朝日新聞』にはこの手の記事が多いですね。

『人民日報』と連動した大キャンペーン


 ――『朝日』の報道でさまざまな問題が引き起こされたことが、最近とみに指摘されるようになっています。

 門田 私は、恣意的な記事づくりという手法が大きな不幸をもたらした一つが「日中関係」だと思っています。じつは私は昭和57年(1982)から毎年、中国に行っていましたが、中国の人は基本的に人がよくて優しく、そのころ、嫌な思いをすることは少なかった。ところが、昭和60年(1985)を境にして、大きく変わってくるのです。

 このとき、中曽根首相が「戦後政治の総決算」をスローガンに、さまざまな政策を打ち出していました。それを打倒しようとしていたのが『朝日新聞』です。そのための一つのツールが、靖国神社公式参拝の阻止でした。昭和60年8月に『朝日』は「『靖国』問題 アジア諸国の目」と題して、アジア各地の人びとの靖国公式参拝に対する見方を伝える特集記事を掲載しました。いうまでもありませんが、アジアの人びとはそもそも靖国参拝問題など知らない。どうにかしてこれを問題化したかった『朝日』は、アジア各地にいる特派員に、その地の人びとがどのような思いでこの問題を見ているかを記事として出させたわけです。だが、いくら読んでも『朝日』の問題意識とはほとんど合っていない。当たり前です。関心がないわけですから。ただわかったのは、いかに『朝日』が靖国参拝を阻止したいのか、ということでした。

 しかし同月、ついに『人民日報』が動き、初めて靖国参拝で「日本の動きを注視している」と書くのです。さらに8月14日に中国政府のスポークスマンが「中曽根首相の靖国参拝はアジアの隣人の感情を傷つける」と表明します。私は「ああ、これはやってはいけないことをやったな」と、思いました。言論の自由が制限されている中国では、共産党の機関紙である『人民日報』の影響は日本人の想像をはるかに超えています。

 『朝日新聞』の特派員には、退職後、『人民日報』や『人民中国』の日本側代理店となったり、編集顧問に就いたりした人がいます。これらのメディアと、それほど関係が深いのです。あの文革(文化大革命)のときも、批判的に報じる日本メディアが次々と追放されるなかで、『朝日』は唯一、北京に特派員を置くことが許されるなど、一貫して中国共産党と濃密な関係にありました。

 だから、いくら中曽根政権打倒という自分たちの目的のためとはいえ、『人民日報』を動かすのはまずい、と思ったわけです。 戦後、靖国神社には日本の総理大臣が60回以上参拝し、昭和53年(1978)にA級戦犯が合祀されてから昭和59年(1984)までの6年間だけでも19回もしています。

 それでも、靖国参拝は中国側に一度も問題視されたことはなかった。それがこの昭和60年に、中曽根政権の戦後政治の総決算を阻止しようとする『朝日』の大キャンペーンと『人民日報』との連動によって一挙に国際問題になり、靖国参拝が中国の外交カードになってしまったわけです。

 ――それまで中国共産党は「日本の軍国主義は悪かった。しかし現在の一般の日本人民と日本軍国主義は違う」という言い方をしてきましたね。

 門田 そうです。しかし、靖国参拝を取り上げることによって「軍国主義」が「いま現在」のものになってしまいました。さらにその後、江沢民政権が反日教育を進めたことで、決定的に対日感情が悪化し、いまでは日中関係は完全に破壊されています。きっかけは、『朝日新聞』なのです。

 私は『朝日新聞』によって日中関係が破壊される昭和60年以前の中国の人びとの姿を知っているので、ますます何ともいえない感慨を覚えます。『朝日新聞』には、日中関係をそこまで破壊して嬉しいのか、と聞きたいですね。

 ――9月11日の記者会見で、『朝日』の木村社長は慰安婦誤報についても部分的な謝罪を行ないましたが、この問題が日韓問題に及ぼした影響も大きいですね。

 門田 慰安婦という薄幸な女性たちがいたことは歴史の厳然たる事実です。社会保障も整備されていないあの貧困の時代、何かがあれば、娘が身を売らなければならなかったあの時代のことを思うと胸が痛みます。『朝日』がいう慰安婦の大半が朝鮮人だったというのは誤りで、日本人慰安婦のほうが圧倒的に多かった。しかし、幸せ薄い女性たちへの同情は、現在を生きる日本国民の皆にあるはずです。

 しかし、彼女たちへのそういった同情と、日本軍が彼女たちを無理やり戦場に連行して「性奴隷(sex slaves)」にしたという“虚偽”とを一緒にしてはいけません。『朝日』は、「女子挺身隊」の名で、戦場に連行されていった朝鮮人女性が8万とも、20万人ともいわれる、と報じ、これが、日本人が「性奴隷を弄んだ民族」として世界中で非難を浴びる原点となったのです。『朝日』の責任は、計り知れないほど大きいと思います。 

 ――『朝日』が書き立てた「強制連行報道」の罪は重いですね。

 門田 強制連行とは拉致・監禁・強姦という意味です。無理やり連行したなら「拉致」であり、それで慰安所に閉じ込めたら「監禁」、そして意に沿わない性交渉を強いたとしたら「強姦」だからです。すなわち「強制連行」があったとなれば、それは、文字どおり「性奴隷」ということになります。

 しかし、これは事実とまったく違います。当時の朝鮮の新聞には「慰安婦大募集 月収三百圓保証 委細面談」という広告がよく出ていました。上等兵の給料が十圓のときに三百圓を保証するというのです。兵士の給料の30倍です。先に述べたように、さまざまな事情で身を売らなければならなかった女性が慰安婦となりました。

 にもかかわらず、従軍慰安婦とは、無理やり日本軍によって戦場に強制連行された「性奴隷」である、と『朝日』は世界中に流布させたのです。しかも、これは虚偽です。そのことによって、日韓関係が少しでもよくなったでしょうか? 「ノー」 です。逆に徹底的に破壊されました。「これで満足ですか」と、『朝日』には、ここでも聞きたいのです。

 いまでは、『朝日』は「強制連行」を引っ込め、「広義の強制性はあった」と、論理をすり替えてきています。朝鮮人女性を強制連行したという「吉田清治証言」をあれだけ垂れ流し、「性奴隷」という認識をここまで大きくし、「吉田清治証言」の信憑性が疑われたらとことん頬被りし、どうにもならなくなった時点で「吉田証言」を取り消しつつ、「広義の強制性はあった」と開き直る。なおかつ、先の記者会見でも「あの慰安婦報道検証記事には自信をもっています」と胸を張ってみせました。この報道で大きなマイナスイメージを背負わされてしまった日本人の一人として、もはや「何をいっているんだ」と声を上げざるをえません。

 しかし、彼らは日中関係、日韓関係を破壊したくて、そんな報道をしたわけではないと思うんですね。ただ、「中曽根政権を倒す」「安倍政権を倒す」「権力と対峙し、監視する」という目的があっただけなのでしょう。そういう目的で報道し、そういう自分自身にある意味、酔っていたかもしれません。しかし、だからこそ、より罪が深いともいえます。

 日本や日本人を自分たちが貶めているという意識さえもたず、「俺たちは戦争を礼賛する右翼と闘っているのだ」とさえ思っている。自分たちで勝手に敵をつくり、そこにレッテル貼りをして、自己満足している。そうとしか思えません。そして、自分たちの立ち位置が、中国や韓国と一体化して、日本を貶めているだけだという“現実”に気付こうともしない。大多数の日本人にとって、本当にどうしようもない存在となっていることが彼らはわかっていないように思います。

 私は、今回の記者会見から、いよいよ『朝日新聞』問題の本質を問う「本番の戦い」が始まると思っています。『朝日新聞』が再生したいなら、国連の人権委員会にも、また、韓国にも足を運んで「強制連行報道は間違いでした」と心からお詫びすることから始めるしかないのではないでしょうか。

『朝日新聞』が直面した3度の危機


 ――多くの人にとって、なぜ『朝日』が権力に対峙する体質なのかは、じつに不思議です。

 門田 それを探るためには、『朝日』の歴史をひもとかねばなりません。ブログにも書きましたが、私は今回の件は『朝日新聞』の3度目の危機だと思うのです。

 1度目は、大正7年(1918)の白虹事件です。当時、『朝日』は大正デモクラシーの風潮に乗った記事を盛んに書いていましたが、米騒動が起こって寺内正毅内閣への批判が巻き起こったときに、『朝日』は「白虹日を貫けり」と書くのです。

 「白い虹」というのは、始皇帝の暗殺を荊軻が企てたときに現れた自然現象とされます。つまり帝に危害を与え、内乱の引き金になるような不吉な兆候です。この記事は大きな問題となり、怒った右翼が『朝日』不買運動を起こし、ついには当時の村山龍平社長の人力車を襲撃して、全裸にして電柱に縛り付け、首に「国賊」と書いた札をぶらさげる事態にまで至ったのです。

 結局、村山社長は辞任し、長谷川如是閑社会部長をはじめ幹部も多数退社します。『朝日』の論調はここで大きく転換して、その後、どの社よりもすごい軍国主義礼賛の新聞社になっていきます。

 『正論』10月号(「廃刊せよ!消えぬ反日報道の大罪」)で櫻井よしこさんも指摘していますが、『朝日』は昭和20年(1945)8月14日の社説(資料1)で原爆の惨禍に対して「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」と書いています。このときにはすでに、日本がポツダム宣言を受諾する方向であることはつかんでいたはずなのに、臆面もなく、こういう扇動的な記事を載せていたのです。

 その『朝日』が2番目の危機に直面したのが、太平洋戦争の敗戦でしょう。『朝日』は同年10月24日に「一億火の玉」路線から大転換します。一面(資料2)で「戦争責任明確化 民主主義体制実現」と大々的に打ち出して村山長挙社長以下、幹部が総退陣することを発表し、社説では「吾人が今にして決然起って自らの旧殻を破砕するは、同胞の間になお遺存する数多の残滓の破砕への序曲をなすものである」と書きました。

 ――これまた、何とも「猛々しい」主張ですね。

 門田 『朝日』の特徴は極端に振れることです。「白虹事件」で右翼新聞になり、今度は占領軍(GHQ)路線、つまり過去の日本を徹底的に攻撃し、貶める路線に転換していく。それは占領時代が終わっても、さらに加速していきました。

 それが全盛を迎えたのは、1970年代でしょう。この時代のベトナム反戦やアメリカの公民権運動、学生運動などの世界的な潮流を追い風にして、全共闘世代、すなわち団塊の世代に『朝日』の主張は広範な支持を得ていく。その過程で『朝日』は「自分たちの主張が受け入れられている」という自信と驕りをもつようになった。そして、「自分たちの主張やイデオロギーに従って、情報を加工して都合よく編集し、どんどん大衆に下げ渡していく」という手法に慣れ、麻痺してしまうのです。

 そんな『朝日』に「それは違う」と対抗していく役割を担ったのが雑誌メディアでした。『朝日』の主張が先鋭化すればするほど、それを衝く週刊誌や月刊誌も売れて、出版文化も全盛時代を迎えていくのです。

 ――もちつ、もたれつだったわけですね。

ファクトを基にした新聞社に生まれ変われるか


 ――そしていまが、『朝日』の3度目の危機ですか。

 門田 私は今回、『朝日新聞』は“ニューメディアの時代”の本当の意味を理解できずに敗れ去ったと思っています。インターネットの登場で、「情報」というものがそれまでとは決定的に変わりました。情報が、マスコミが独占するものではなくなったのです。インターネットを通じて、誰もがさまざまな情報を取得することができ、さらに個人個人が情報を発信するツールを手にしました。私は、これを“情報ビッグバン”と呼んでいます。かつては、大衆は新聞に情報を与えられても、それを検証する術をもちませんでした。しかし、いまは違います。メディアが情報を独占し、それを自分たちの主張やイデオロギーに沿って都合よく“加工”して下げ渡せる時代ではなくなったのです。

 ――門田さんが最初に「吉田調書」報道に反論したのも、ブログでのことでした。

 門田 たまたま5月後半に取材で台湾に行っていたこともあって、ブログに「お粗末な朝日新聞『吉田調書』のキャンペーン記事」と題して「これは誤報である」と書いたのは帰国後の5月31日のことでした。すると、それがあちこちに転載されて広がっていった。それを読んだ旧知の『週刊ポスト』の編集長から「自分の編集長最後の号だから書いてくれないか」と依頼され、「朝日新聞“吉田調書”スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」という記事を寄稿したわけです。その記事に対して『朝日』は、「報道機関としての朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損しており、到底看過できない」「誠実な対応をとらない場合は法的措置をとることも検討する」との抗議書を送ってきました。

 これは言論機関としてだけでなく、一般企業の危機管理の面からいっても、最低のやり方でした。新聞社というのは、いったいどんな“商品”を売っているのか、木村伊量社長にはわかっていない証拠でもあります。新聞社は、何も書いていない白い紙に「情報」と「論評」という付加価値を付けた活字を印刷し、それを商品として読者に売っています。つまり紙面に掲載されている「記事」というのは、新聞社が売る商品の「根幹」です。しかも今回の場合は、デジタル版まで動員した大キャンペーンです。その大々的な記事に対して、故・吉田昌郎所長をはじめ数多くの現場の人間を取材して『死の淵を見た男』というノンフィクションを書いた人間が「誤報」だと申し立ててきた。

 普通なら、これは企業にとっては、大変なことです。商品の根幹に対するクレームなのですから、まさに「修羅場がやって来た」と捉えてもいいでしょう。『朝日』を自動車メーカーに例えるなら、「エンジンに欠陥がある」という指摘が、いわば専門家から突き付けられたようなものです。まともな自動車メーカーだったら大慌てで、実際にどうなのか、必死で検証するでしょう。しかし『朝日』は検証するのでも、言論で反論するのでもなく、「くだらぬことをいったら、お白洲(法廷)に引っ張り出すぞ」と法的措置をチラつかせる脅しを行なったのです。 おそらく、驕りと傲慢さで目がくらみ、ノンフィクション作家の一人や二人、簡単に踏みつぶせるとでも思っていたのでしょう。とても言論機関がやることではないし、企業体としての危機管理もなっていない。正直、呆れるようなやり方だったと思います。

 ――そのような『朝日』の姿勢がWebでも取り上げられ、批判がさらに広がっていくことになりました。

 門田 インターネット上では、「どう見ても門田に分がある」という意見が早くから多く書き込まれていました。しかし『朝日』は最後の最後まで突っ張った。8月18日付『産経新聞』に私が寄稿した記事にも抗議書が送られてきました。私が『週刊新潮』にいた時代も『朝日』は強烈な抗議をかなりしてきたものですが、だんだん官僚組織のような硬直化して居丈高な対応が際立つようになってきたように感じます。しかし新聞各社が「吉田調書」を入手して『朝日』の誤報を指摘しはじめると、完全に『朝日』包囲網が形づくられました。結局、『朝日』の木村社長が「改革と再生の道筋をつけた上で進退を決める」と表明し、杉浦信之・取締役編集担当、市川速水・ゼネラルマネジャー兼東京本社報道局長、渡辺勉・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長、市川誠一・東京本社特別報道部長を解任するという事態にまでなってしまいました。まさに「三度目の危機」に直面しているのです。

 ――『朝日新聞』が今後どうなるか、注目されます。

 門田 コツコツと努力し、一生懸命生きている多くの日本人が、ここまで日本を貶めてきた『朝日新聞』を、許すはずがありません。『朝日』が生き残るには、「ファクトを基にした新聞社に生まれ変われるかどうか」でしょう。根底に横たわっているのは、『朝日』のみならず戦後ジャーナリズムが陥っている偽善だと思います。つまり、すべてを単純正義に基づいて類型化してしまう態度です。

 今回の記事でいえば、「原発=悪、東電=悪、東電社員=悪」という図式で簡単に切って捨てる。拙著『死の淵を見た男』をお読みいただければわかると思いますが、これは東電本店に対する現場の反乱の本ともいえるものです。現場は、じつは事故と戦っただけではなくて、官邸とも戦い、東電本店とも戦っていた。なぜなら、現場の所員の多くは福島県浜通り出身の地元の人間で、その人たちが、愛する郷土とそこに住む人びとを守るために奮闘したという側面があるからです。物事をきちんとファクトに基づいて分析していけば、ただ「東電=現場=悪」とひと括りにできるようなものではないことに気付かされます。

 太平洋戦争における日本軍も、大本営、指揮官、中堅、兵隊を全部ひと括りにして批判できるようなものではない。物事とは、光をどちらから当てるかによって、いろいろな相貌をもつものです。亡くなられた兵士一人ひとりの無念を思うと、物事を類型化して一緒くたに切り捨ててしまうというようなことは、とてもできないわけです。

 戦後ジャーナリズムでは、自分たちのイデオロギーと主張に基づいて一面から光を当てただけで「よし」とされてきました。そんな驕りに満ちた単純化は、インターネットが発達して、誰もが多様な議論を受発信できるようになった現在、もはや通用しません。その意味で『朝日新聞』が謝罪記者会見を開いた2014年9月11日は、ジャーナリズムの転換点であり、時代の転換点でもあった、と私は思っています。

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