井上和彦(ジャーナリスト)

 昭和16年12月8日、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の6隻の空母から飛び立った350機の攻撃隊は、撃墜され未帰還となった29機と引き換えに、米太平洋艦隊の主力戦艦8隻を撃沈破した他、軽巡洋艦・駆逐艦・水上機母艦など10隻を撃沈破し、さらに300機以上もの敵機を撃破した。
1941年12月7日、ハワイの真珠湾で日本軍の奇襲を受け炎上する米戦艦ウェストバージニア(米国防省提供)
1941年12月7日、ハワイの真珠湾で日本軍の奇襲を受け炎上する米戦艦ウェストバージニア(米国防省提供)
 真珠湾攻撃は日本海軍のワンサイドゲームであった。

 だが、この真珠湾攻撃も実は、奇襲作戦の成否を左右しかねない「ミス」から始まっていたのだ。

 真珠湾攻撃は、一般に「真珠湾奇襲攻撃」とも言われる。その「奇襲」とは、我が方の攻撃が敵に察知されていない状況下、つまり敵戦闘機が迎撃に上がっていない状態での攻撃をいう。真珠湾攻撃では、飛行総隊長・淵田美津雄中佐の指揮官機からの信号弾1発が「奇襲」の合図であった。

 その場合、先ず魚雷を抱いた雷撃隊が先行して敵艦に魚雷攻撃を仕掛け、これに続いて水平爆撃隊と急降下爆撃機が、敵艦や地上目標めがけて上空から爆弾を投下する手順となっていた。

 ところが我が方の攻撃が敵に察知され、敵戦闘機が待ち構えている状態での攻撃は「強襲」となる。

 この場合、指揮官機が信号弾を2発発射し、奇襲のときとは逆に、戦闘機隊と急降下爆撃隊が先行して敵機を追い払い、対空陣地などを制圧した後に、雷撃隊および水平爆撃隊がこれに後続する手はずとなっていた。

 空母「加賀」の雷撃隊員として真珠湾攻撃に参加した九七式艦上攻撃機の偵察員だった前田武氏はこう証言する。

「飛行総隊長の淵田中佐機からまず1発の信号弾が上がりましたので、我々艦上攻撃機隊はこれを確認して突進を始めたんですが、援護する役目の戦闘機隊が動こうとしなかったんです。そこで、淵田中佐は、戦闘機隊が1発目の信号弾が見えなかったものと判断して2発目の信号弾を撃ってしまったんです。これが失敗でした。今度は、艦上爆撃隊が『信号弾2発』を確認して『強襲』と勘違いしてしまったんです」

 こうして九七式艦上攻撃機の魚雷攻撃の前に、爆弾を積んだ九九式艦上爆撃機の艦上攻撃隊が、戦闘機隊と共にフォード島の敵航空基地などに対地攻撃を開始したのであった。攻撃を受けた敵の地上施設や航空機は次々と撃破され、黒煙を噴き上げて炎上したのだった。