大月隆寛(民俗学者、札幌国際大学人文学部教授)

 有馬記念は、スタンド右斜めうしろからの夕陽と、黄色く枯れた芝の色だ。今みたいな洋芝の、管理万全行き届いた馬場でなく、11月にゃもう見事に枯れちまう昔の芝馬場に、釣瓶落としの暮れの陽がさしている。
オルウェーブルが有終の美を飾った第58回有馬記念の2周目1コーナー=2013年12月22日、中山競馬場(横幕雅大撮影)
オルウェーブルが有終の美を飾った第58回有馬記念の2周目1コーナー=2013年12月22日、中山競馬場(横幕雅大撮影)
 スタートはほぼ正面からの迎え陽に始まり四角あたりまで、いい感じの陽の光を浴びて馬たちが駆けてゆく。1周目スタンド前で日陰に入る。それまで光の中にいた馬たちは一瞬、毛色もわからないほどのアンダー気味の一群となって駆けてゆく。着ぶくれたろくでなしたちからの拍手と歓声、そして思い思いの怒声やかけ声の祝福も共に投げかけられて、もう一周の旅に。再びの向こう正面から二周目三角過ぎあたりから出入りが激しくなって、一気に競馬が競馬になる。

 さっきより気持ち深くなった、その分鈍い琥珀色にもなった斜陽の中、勝負どころの四角から直線、中山のあの深い坂下、見る位置によっては馬群が見えなくなるかとさえ思うそのわずかな時間の後に、年の瀬の英雄たちはスタンド前の日陰の中に次から次へと姿を現わす、その光と影とのコントラストに煽られるのが、気分だ。

 あとはもうどうでもいい、贔屓の馬、目当てのノリヤクめがけて息を詰めたまんま、あるいは丸めた予想紙を片手に振りかざし、あるいは両手拳を握りしめ、いずれ精一杯、渾身の応援をしてやる数十秒の至福。ああ年末最後の大勝負、有馬記念は「グランプリ」の光景とは、いつの年も概ねこんな感じで記憶の銀幕に再生されることになっていた。

 ヒカリデュール、という馬がいた。

 当時「マル地」とシルシつけられた地方競馬出身の豪傑。母系はサラ系、そこまで目立った戦績でもなかったものの、大井から名古屋は土古経由で中央入り。見立て通りに芝馬場が合ったらしく、後方待機からの眼のさめるような差し脚を繰り出し頭角を現わし、始まって2年目のジャパンカップでも勝ったハーフアイストからコンマ3秒差の5着入線は前年第一回、浦和のゴールドスペンサーに続く日本馬最先着で、僚馬カズシゲの6着と共に「マル地」二頭のまずは大殊勲。同じ河内を鞍上に、そのまま1982年は暮れの有馬へと矛先を向けた。

 あの年の有馬は雨だったか、降ってなくてもガチの重馬場。ただでさえ暗い暮れの中山がほんとにとっぷり暗かったという印象がある。レースは出遅れて最後方追走、それでも最後の最後、あれは確か渋谷か新宿の場外のモニター越しだったけれども、ほんとに一瞬何が起こったかわからないくらいの末脚でゴール前、一気に飛び込んできたのが真っ黒なその一頭。内側ラチ沿いでほぼ勝ちを手にしていた当時の最強馬アンバーシャダイを、きっちりアタマだけ差しきっていた。

 ああ、平日真っ昼間っから開催してる地方競馬ってやつにゃ、実にこういうとんでもない馬がうっかりひそんでるんだ、ということを、泥まみれの赤と黄色の橋本善吉氏の服色と共に、満天下に思い知らせてくれたものだ。地方競馬通いにより深く、足踏み入れるようになった頃の、今となってはもう昔話。