小和田哲男(静岡大学名誉教授)

 今年のNHK大河ドラマは『おんな城主 直虎』である。私と大石泰史さんの二人で時代考証を担当する。

 おそらく、多くの人は、井伊直虎という名前を見て、男だと思っただろう。そして、「本当に城主などになったの?」と疑いを持ったのではないだろうか。たしかに、昔から、「雌鶏(めんどり)うたえば家滅ぶ」といった諺があるように、「女が男のやっている仕事に口出しをすると失敗する」といわれ、また、「三従の教え」といわれるように、女は、子どものときには父に、結婚してからは夫に、老いてからは子どもに従うことが義務づけられていたようにいわれてきたからなおさらである。
龍譚寺にある井伊直虎の墓所。右から直虎母の祐椿尼、直虎、直親(龍譚寺提供)
龍譚寺にある井伊直虎の墓所。右から直虎母の祐椿尼、直虎、直親(同寺提供
 しかし、そうした男尊女卑の考え方が一般化するのは江戸時代に入ってからで、戦国時代までは、女性も男性と対等の扱いを受けていたのである。

 これについては、戦国時代、キリスト教のイエズス会宣教師として来日していたルイス・フロイスが、『日欧文化比較』という本の中で、いくつかの注目すべき観察をしている。たとえば、「ヨーロッパでは、妻は夫の後を歩くが、日本では、夫が妻の後を歩く」と書いており、また、夫婦別産制のことも指摘している。私が一番びっくりしたのは、

ヨーロッパでは、夫婦間において財産は共有である。日本では、各々が自分のわけまえを所有しており、ときには妻が夫に高利で貸しつける。

 といった記述である。特例ではあるかもしれないが、山内一豊の妻千代が、鏡箱の底から10両を取り出し、夫一豊に名馬を買わせたエピソードもあるので、ありえた話ではないかと考えている。

 また、一般的に、江戸時代の無嗣(むし)断絶、つまり、跡とりの男子がいなかったために大名家が取りつぶしにあったという例が結構あるので、家督は男子しか継げなかったという受けとめ方をされているが、戦国時代には、男子がおらず、女子だけだった場合、女子に家督が譲られていたのである。

 たとえば、大友宗麟の軍師として有名な立花道雪は、誾千代(ぎんちよ)という名前の女の子しかいなかったので、家督と立花城督(じょうとく)という地位を娘に譲りたいと申し出て、大友宗麟から許されているのである。

 そこで井伊直虎であるが、井伊家は遠江(静岡県西部)の国人領主で、戦国期には戦国大名今川氏の重臣として、井伊谷(いいのや)城(静岡県浜松市北区引佐(いなさ)町)の城主で、井伊谷領を支配していた。直虎の父直盛には女の子しかいなかった。その女の子が後に直虎となる。