徳川四天王のひとりで、武勇はもとより、戦略と政略に優れた井伊直政は、戦国屈指の武将に数えられる。武田家の遺臣からなる「井伊の赤備え」を率いて武功をあげて「井伊の赤鬼」の異名をとどろかせた勇将である。
イラスト・奈日恵太
イラスト・奈日恵太
 そんな直政の立身出世のストーリーは、およそ「リストラ」とは縁がなさそうに見える。しかし、彼の人生はもともと「ゼロ」どころか「マイナス」からのスタートだった。じつはリストラ以上に厳しい境遇を乗り越えて生き残った類まれな武将なのである。

 井伊家は代々今川家に仕えていたが、父の直親(なおちか)はあらぬ謀反の疑いをかけられて暗殺され、直政は生まれながらに今川から命を狙われる存在だった。出家させて敵の目を逃れ、その後は女性でありながら一時的に当主となっていた井伊直虎(なおとら)に育てられる。養母の直虎は、井伊家の跡継ぎとして直政に英才教育を施した。成長した直政は、寺を出て鷹匠として働いていたところを、鷹狩りに訪れた徳川家康に見いだされて小姓を務めるようになる。直虎の死後は正式に井伊家の当主となり、家康に仕えた。

 とはいえ、徳川家にとっては新参者に過ぎない。古くから仕えてきた家臣たちに実力を認めさせるには「結果を出すしかない」と合戦で直政は常に命がけで戦い、鬼神のような活躍を見せる。

 もともとは地獄から始まった人生である。どん底の自分を拾ってくれた主君への忠誠心は、誰よりも強かった。つまり「肝の据わり方」が他人とは段違いだったのだろう。すべてを失って地獄を見た男だからこそ、命を失うことなど怖くなかったのかもしれない。

 現代のビジネスでも、リスクを恐れてチャンスを失うことは少なくない。安定した生活を失うのは誰でも怖い。変化に対してつい及び腰になるのは仕方のないことだろう。それでも、直政のような経験をしていれば、「失うことなど怖くもない」のである。だからこそ、肝が据わっているのだ。

 ただ、彼にとって幸運だったのは、「赤備え」で知られる旧武田軍の優秀な家臣団に支えられたことだ。彼らは若い直政に実戦でのテクニックや武将としての心構えを伝えた。彼らにもかつて戦国最強と呼ばれた甲州軍団の意地があった。「井伊軍は強い」と評判が立てば、「やはり武田軍は強かった」と認められるので彼らも必死だったのだ。

 関ヶ原では島津豊久を討ち取ったものの、追撃中に敵の銃弾を受けて重傷を負った。戦後も生き残った西軍の諸将との講和や幕府の基礎固めに尽力したが2年後に急逝。関ヶ原での鉄砲傷の影響で、敗血症を発症して死を招いたという。最期まで勇猛さを貫いた人生だった。(渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)