橋場日月(歴史研究家・歴史作家)


 今年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主役となる井伊直虎。そのいかにも戦国時代の人物らしい勇ましそうな名乗りの持ち主が、実は女性だったというギャップが、ドラマのキーとなりそうだ。直虎を生んだ井伊氏は藤原氏の流れというが、どうもその家系伝承はあやふやで、ほかに異説もある。いずれにしても古くから遠江国(現在の静岡県西部)の浜名湖北東山岳地帯の井伊谷周辺に勢力を張る豪族で、朝廷から遠江介(国司の次官)に任じられるほどの名門だったようだ。
龍譚寺にある井伊家御霊屋。右から元祖井伊共保、二十二代直盛、二十四代直政の木像が安置されている(同寺提供)
龍譚寺にある井伊家御霊屋。右から元祖井伊共保、二十二代直盛、二十四代直政の木像が安置されている(同寺提供
 だから、足利尊氏が後醍醐天皇から政権を奪い南北朝の動乱期を迎えると、井伊氏は後醍醐天皇の南朝に味方して足利一族で遠江・駿河(現在の静岡県東部)の守護職をあたえられた今川範国と刃を交えることになる。建武4(1337)年、範国は三方ヶ原で戦った井伊勢を「凶徒」と表現し、井伊氏は後醍醐天皇の子・宗良親王を三岳城に迎えている(この城はいざという時のための詰の城〈最後の砦〉で、その西向かいのもっと低い位置にあった井伊谷城が通常の居城だった)。

 井伊氏はこの戦いに敗れ、やむなく今川氏に従う。そして戦国時代に入ると今川氏に代わって遠江守護となっていた斯波氏の配下として今川氏と戦い、また負けて三岳城を攻め落とされた。この戦いで今川氏はふたたび遠江を支配するのだが、それまでの経緯が経緯なので今川氏は決して井伊氏に気を許すことはなかった。範国から7代、戦国時代に今川家の当主となった義元は天文13(1544)年井伊直満を謀反の嫌疑で自害に追い込み、同じ頃に井伊谷城の押さえとして万石(現浜松市中郡町)に砦を築かせ、兵を配置している。いかに井伊氏が警戒されていたかがわかるだろう。

 駿河・遠江だけでなく三河国(現在の愛知県東部)までも制する大勢力となった義元は、直満の跡を継いだ甥の直盛をも動員して永禄3(1560)年5月19日に尾張国(現在の愛知県西部)の織田信長との戦いに臨み、桶狭間で予想外の討ち死にを遂げる。この時直盛も義元と運命をともにしたが、それでも今川氏の井伊氏に対する疑心は解けず、2年後には義元の子・氏真が直親(男子の無い直盛の跡を継いだ従兄弟。直満の子)を織田への内通の疑いありと駿河へ呼びつけ、途中で殺してしまった。直親は父と主君の仇に寝返る筈が無いだろう」と身の潔白を主張していたという(『松平記』)。井伊谷は今川を見限って織田と同盟した松平元康(のちの徳川家康)の領国・三河との境に近いだけに、氏真としては因縁のある井伊氏に疑心暗鬼となったのだろう。

 このとき氏真は直親の子でわずか2歳の虎松まで殺そうとしたが、周囲の必死の運動で虎松は直盛の妻の兄(今川一族の新野親矩)に引き取られる。この虎松こそが、のちの徳川四天王のひとり、幕府の大老の家格となる彦根藩井伊家初代、井伊直政となるのだ。