一方、新興宗教にのめり込む側はどうか。

 「明日は不確かなものである」という〝人生の真理〟を生きる私たちは、常に不安がつきまとう。雇用をめぐる諸問題から子育て、年金、健康……等々、不安だらけだが、その正体をつきつめていけば、「明日」という不確かな近未来に対する漠然とした不安であることがわかる。だが、どんな苦しみも、「一年後に解放される」とわかっていれば何とか耐えることができる。すなわち、苦しみの正体は「現在の苦」にあるのではなく、「この苦しみがいつまで続くのか」という「不確かな明日」にあるのだ。

 不安から逃れる方法の一つは「努力」だ。スポーツ選手は練習に練習を重ね、「これほど苦しい練習をしてきたのだ」と自分に言い聞かせることで不安をねじ伏せようとする。ルーチンという儀式を通じて、気持ちを平静に保とうとする選手もいる。ビジネスパーソンであれば、努力してスキルを磨き、上司との人間関係に心を砕くだろう。
 苦しいのは芸能人だ。「一夜明ければシンデレラ」という僥倖に恵まれるということは、スポーツ選手やビジネスパーソンのように、目標に向かって階段をよじ登っていくような努力が通じにくいということでもある。暖簾に拳を打ち込むようなもので、努力が実感を伴う成果としてハネ返ってこない。スターになれたとしても、人気という不確かなものに支えられている以上、不安から解放されることはない。

 週刊誌記者時代、有名力士と女性人気歌手の対談を私が担当したとき、歌手はこんなことを言った。

「お相撲さんはいいですね。稽古して強くなれば勝てるんですから。芸能界はそうじゃない。努力したからといって勝てる世界じゃないんです。それが苦しい」

 だから芸能人は新興宗教に走る――と言えば短絡に過ぎるが、不安を努力で打ち消すことができない立場や状況に置かれれば、神・仏・霊といった新興宗教に救いを求めたくなる気持ちは理解できるだろう。すなわち、芸能人が抱えるであろう不安は、私たちが苛まれる不安の象徴であると、私自身は捉えている。

 いま韓国は「崔順実スキャンダル」に揺れている。母親を狙撃事件で亡くした傷心の朴槿恵に、崔順実の父・崔太敏が「私の霊的能力を通じて母親に会うことができる」と言って篭絡したと伝えられる。「人の心の弱さ」は、一国の大統領も、芸能人も、そしてこの私たちも等しく抱えるものであることに、あらためて気づかされる。

 明日に不安を感じ、新興宗教の〝救い〟に気持ちが動いたとき、「心の弱さを、わが身に問いなさい」と私は説法で言う。心の弱さを認めることこそ、心を強くする唯一の方法であると、逆説的に考えるのだ。