片岡亮(ジャーナリスト)

 半年ほど前、以前から取材者として何度も顔を合わせている女性タレントと食事する機会があった。彼女は新興宗教団体の信者ながら世間ではそのことがほとんど知られていないため、思いきってその話題を出してみた。

 「あ、知っていましたか…この仕事をしてなかったら隠すこともないんですけど…」と答えた彼女が何を信じようがそれは自由だが、その宗教団体は「良いことが起きるのは信仰のおかげで、悪いことが起きるのは信仰が足りなかったせい」というような教義を説いており、意地悪な見方をすれば都合の良い後付けの論理とも思えるため、その見解を聞いてみた。

 「いやいや片岡さん、理屈じゃなくて体験が先なんですよ。ここ触れた直後にすごい体験をしたんです」と彼女。それが具体的に何かは教えてもらえなかったが、「理屈じゃなく」と言うのは、なぜその「すごい体験」が起こったかは考えない思考停止という風にも見える。
 事実、この女性タレントは宗教の歴史はおろか、神社と寺の区別もついていないような人で、キリスト教や仏教の基本的なことも何も知らなかった。選択の余地なく入信しているわけだが、「他の宗教行事に参加してはいけない」とされている教義に反して他宗派の神社に初詣に行くなど矛盾もある。「信者がいい人たちばかりなの!」と目を輝かす彼女の宗教活動は信仰というよりサークルのようなものにも見えた。

 ただ、彼女が特別におかしな感覚だとも思わない。過去、国内の新興宗教を多数取材してきたが、多くの信者は彼女同様、宗教に無知だった。仏教系の団体に属して多額の寄付までしているのに、大乗仏教と上座部仏教の違いも知らなかったりした。本来であれば宗教団体こそが活動の中でそういったものを学ばせるべきではないかと思うが、信者を広く募集する団体の多くはそれ自体が目的であるため、奇跡体験とか信仰の効果ばかりを伝える。これが日本の宗教に対する不信を生み、世間では「宗教活動をしている」というだけで異様な目で見られる。

 しかし、世界で見れば人類の約3割はキリスト教信者で、2割ほどがイスラム教、ヒンドゥー教や仏教、その他の宗教を合わせた信仰人口は9割近いとされる。海外に出ても宗教の色を感じずに出歩くことはまず不可能で、世界遺産の建造物から紛争の原因に至るまで宗教は人類に根付いている。

 日本では団体側の申告数を鵜呑みにすると信者が2億人を超えてしまうので信者数を誇張しているのが一目瞭然だが、体感的には「私は信者です」と名乗って過ごす人は1割以下だろう。世論調査でも約8割の人が「宗教を信じていない」と回答しているほど。一方、「私は無宗教です」と言いながら、初詣など参拝もするし祭りも参加、お守りを買うという習慣的な宗教行事をしていて、神仏混合の歴史もある日本の特殊な宗教環境があるといえる。

 全国各地で山とか海、古木や太陽や海産物や建築物にまで「神様がいる」という言い伝えがあったり、八百万の神なんて伝説もあるから、次々に登場する新興宗教もまた、七福神の仲間に加える程度の感覚があるのかもしれない。そのあたり筆者は宗教の専門学者ではないから正しい学説は専門家に任せるが、宗教観に緩い国民性に付け込んでいるのが一部の新興宗教団体であるのは間違いなく、巨額の霊感商法やマインドコントロールで信者を散財させるカルト団体も少なくない。その反発で国民の間には宗教そのものへの嫌悪感があるのも事実だ。

 本来、信仰は人々が苦難の人生を生きていく上で、その気を楽にするための方法論でもあり、何を信じようがそれで当人が健やかに過ごせるのなら良く、「神様なんていない」と思っていても、大ピンチに陥れば神頼みをしたくなるのが人間というもの。亡くなった大切な人が死後の世界から自分を見守ってくれているんじゃないか、と思う方が救われる。気の迷いから悪いことをしてしまったアメリカ人が教会に行って「神よ、お許しください」と懺悔するのも、実のところ罪悪感を薄めるための気休めであるように見える。

 そんな視点から見れば、信仰心は悪質なカルト団体に付け入るスキを与えるほどに、心の弱さの克服や依存心でもあるわけだが、日本の芸能人にやたら信者が多いのは、彼らが弱いからなのだろうか。一見して芸能人は誰よりもド派手な舞台で煌びやかに振舞う勝ち組の象徴みたいな存在だ。そこそこ成功すれば一般的な勤め人ではとても手にできない大きな報酬を手にすることができる。一方、その立場の危うさに満ちているのが芸能界でもある。