芸能人もそうでない人と同様、社会に生きる人間であることに変わりはなく、個人の状況によって新宗教に心惹かれ、入信する者もいれば、そうでない者もいるであろう。以上はいわゆる一世信者としての入信に関することであるが、新宗教の中には成立後一定以上の時間を経過している教団も多く、生まれたときからの信者(二世)が芸能人となることもある。つまり、芸能人が新宗教にハマるという状況を、そうでない人のケースと分けて考えられるか否か自体、明らかとは言えない。

 それを前提に、あえて芸能人が新宗教に入信する、そうでない人とは異なる特殊要因を仮説的に考えてみるならば、まず芸能界での実力や成功は人気や運というつかみどころのないものに影響される部分が大きいと考えられており、成功に至る方法論・手続き論がその他の職業に比して不明瞭であることがあげられよう。

 演技力や歌唱力やルックスが良いからと言って、売れるわけではないのが芸能界である。新宗教の特徴の一つは現世利益の強調であり、「どうすれば成功するのかわからない」状況にいる芸能人に対して、信仰に励めばよい結果が出るという新宗教の提示するオルタナティブな方法論が魅力的に映ることはありうる。

 また、当該新宗教がすでに大きな規模を有している場合、新宗教共同体のネットワークが、芸能人をサポートできるファン層や芸能界内のツテ・コネを提供する世俗的ネットワークとなり得ることも芸能人と新宗教を接近させる要因の一つと考えられる。

 以上のような仮説が一定の説明として成り立つことは、逆に、「あの芸能人がなぜ売れたのだ」という問いに対して、○○の信者だからだ、という説明が(実態はともかく)一定の説得力を持つことを同時に意味する。

 アイドルという言葉がもともと「偶像」「崇拝される人や物」という意味を持つように、ファンと芸能人の関係は、信仰関係の一種ともいえる。芸能人はメディアを通じて我々の日常に近しくかかわりつつ、一方でその人物のすべてがわれわれに晒されることはなく、常に秘密を孕む存在である。近しくかかわりながら秘密を有する存在について、もっと詳しく知りたいと思うことは、人間の本能であろう。

 そして本能によってもたらされる知りたいという人々の欲求に答えることは、メディアの本性である。インターネットの発達によって、マスメディアに依らない芸能人に関する情報が流通しやすくなった状況もある。

 個人の信仰は基本的にプライバシーの領域に含まれるが、芸能人という存在は自らの公開性を飯のタネにすることによって成り立っているため、プライバシーの境界についての取り扱いが難しい。一般人の信仰が事件とのかかわりでもない限りほとんど社会的関心を呼ばないことに対して、芸能人の信仰が「事件性」とのかかわりがなくても人々の関心を呼び続けるのは、このような理由によるのである。