カルト化:宗教が危険になるとき


 すいません、少しややこしい問題です。その宗教団体の教義自体は伝統的内容であっても、その団体内の人間関係に歪みが生じ、まるで破壊的カルトの教祖がしているような問題行動が起きてしまうことがあります。

 破壊的カルト問題の研究者、実践者の中には、「カルト化」と呼び、警鐘を鳴らしている人もいます。
 キリスト教などの一神教では、神のみが絶対であり、完全に正しい人間などはいないはずです。本来の一神教は、「私たち人間の理解や考えが常に不十分だと思い起こさせるもの」です(「一神教は危険か:世界の常識キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を知り、現代を理解するために」)。

 それなのに、世俗的な領土問題や民族問題が入り込むと、テロリストたちが生まれます。

 また、宗教団体の中で、牧師神父僧侶などが神仏のような絶対的存在として信者を支配し始めると、カルト化が始まります。本当に悪い指導者で犯罪行為をすることもありますが、中には善意と信念によってカルト化が進んでしまうこともあります。

 朝日新聞6月6日大阪版では、次のような記事がありました。

 カルト教団による被害救済に取り組む「日本キリスト教異端相談所」は~「キリスト教信者にとっては大きな迷惑だ」~「教義に従わない者は排除する傾向が強く、文化財に油をかけて破壊する犯罪行為をいとわないのもカルトの典型」と指摘。カルト教団からの脱会を支援する「アッセンブリー京都教会」(京都市)の村上密(ひそか)牧師も「自分の信じる教義を違法な行為に結びつける団体で悪質だ」と話した。

 異端か、カルトかどうかは微妙なところもあります。彼の設立した団体は、新しい宗教や教会ではありません。この部分は、やや誤解を招く表現だと思います。村上密牧師は、以前から伝統宗教内の「カルト化」の問題提起をされてきた先生です。

 宗教は人類の福祉におきな貢献をしてきました。

 今回の事件が、明らかな破壊的カルトによる犯罪であれば、恐ろしいことではありますが、わかりやすい犯罪とも言えたでしょう。しかしそうではなくて、「カルト化」が進み、立派だったはずの個人がまるで破壊的カルトのような違法活動を行ってしまったことが、むしろ大きな社会問題と感じられます。

 「熱心な宗教心や政治思想が悪いわけではありません。しかし、自分の言動が第三者から見たときにどう思われるのかという客観性と「愛」を失ったとき、カルト化の道は始まるのです」(神社油まき清め男の正体:カルト宗教でもなく異常者でもないからこその社会的問題)。