また、会議の中ではEUに対する不満やグローバリズムへの危機感などが話し合われた。移民によって自国の文化がなくなるのでは…という心配もあった。愛国者の人たちがまず、これを考え、そして他国と話し合う。それが戦争を防ぐものになる。だって戦争が起こる時、「国難」に対してまず愛国者が声を上げ、立ち上がる。そしてメディアが応援し、戦争が始まる。誤った判断や情報に基づいて、戦争になることも多い。

 普段から「愛国者」同士が連絡をとっていれば、こうした誤った情報に基づく戦争を阻止することができる。では愛国者の努力にかかわらず戦争が始まった場合、どうなるのか。この話も出た。「その時は国のために闘う」「いや、非国民と言われてもいいから戦争に反対する」と。もし戦争を阻止できなかったら、「国と国」という全面戦争にしないで、「愛国者」と「愛国者」の戦いにとどめることを考えてもいいのではないか。という人もいた。これは凄いと思った。「愛国者」というと、各国の中で最も戦闘的で、いつも戦争をアジっていると思っていたが、違うのだ。それに、この集会は「愛国者の大会」ではない。「世界平和をもたらす」愛国者の大会だ。随分と取材も来ていた。「これは愛国者インターナショナルだ」とか「反戦平和の集会だ」と書いたところが多かった。これはかなり前の段階から深見氏の理想や哲学が入っているのではないか、と思ったほどだ。

たちばな出版個展集合写真 =2015年3月20日
2015年3月に開催した個展でテープカットする深見氏(写真中央)  
 初めに「宗教団体」ありきで、そこに集まる数多くの人と多くの資金がある。その上で深見氏は、オペラ、ゴルフコンペ、政治家とのトーク、などをやってきたのだろうと思っていた。でも、この考えは間違っていた。しょせん「燕雀」の考えに過ぎなかった。むしろ、「深見東州」という才能がまずあって、そこからいろんな動きが生まれてきた。

 ライブやトークや出版や、その一つとして「宗教」もある。だからそこに集まった人からの金でいろんな活動をしているわけではない。そのことが分かった。いろんな人たちに聞いて分かったのだ。だから、「宗教部門」はなくとも構わないのだろう。そして思った。そうか、そういう方法があったのか、と。

 学生時代、僕は「生長の家」の運動をしていた。それを基にして右派学生運動をつくった。大学を卒業してから、プロ的な活動家になるか、あるいは「生長の家」の本部に入り宗教活動をするか、迷った。宗教活動にもひかれたが、「自分」を出せない。すでにある「教義」を人々に知らせることに専念し、自分の解釈や自分の考えを出してはいけない。それでは、自分の生きる意味もないと思った。だから、少しでも自分の考え、自分を出せる右派運動の方を選んだ。

 でも、今、考えると、そうか、この方法があったのかと思ったのだ。深見氏のやり方を見て、同じように悔しがっている人は多いと思う。もちろん、これも「燕雀」の考えだ。深見氏はその余りある才能があったので初めてできた。それなのに「もしかしたら俺たちだって出来たのかもしれない」などと一瞬でも考えた自分が愚かだったと思う。ただ、深見氏に対する理解が少しだけ進んだような気がする。