恥ずかしながらつい先日まで、鎌倉の名産品「女夫饅頭」は「めふまんじゅう」と読むのだと思い込んでいた。誤りに気付いたのは同僚であり、原稿執筆の師と秘かに考えている清湖口敏論説委員から「鎌倉の長谷には女夫と書く“めおと”饅頭があるそうですね」と聞かれたからだ。

 「あ、そうそう、ありますね」などと知ったかぶりをしてその場をつくろったものの、内心は「えっ、そうだったの」と冷や汗ものだ。鎌倉在住八年。世の無常をそこはかとなく伝える歴史の町に暮らしてもなお、見栄を張りたがる性格はなおらない。

 改めて訪ねてみると、長谷の交差点角にある老舗和菓子店恵比寿屋の店頭には「古代黒餡女夫満ぢう」の看板。「元祖 昔ながらの酒造り」と横に説明が付いている。

 鎌倉駅東口から若宮大路に出た角にある松風堂本店は『義経・静 女夫饅頭』。こし餡の義経が酒饅頭で、つぶし餡の静は利休饅頭だ。

 これから寒くなると、おまんじゅうをふかす湯気が路上にも流れてくる。楽しみですね。「めおと」は夫婦よりこっちの方が正統派であるという感じがだんだんしてきた。ネットで検索してもう少し調べてみると、女夫饅頭はお隣の江ノ島でもお土産として人気があるようだ。奈良県では「女夫饅頭」が復刻されたというニュースも紹介されている。

 考えて見れば、言葉は無常である。夫婦茶碗、夫婦善哉・・・。当たり前のように使っていたので疑問に思わなかったが、「夫婦」を「めおと」と読む方がむしろ不自然だ。予備知識なしにいきなり出されたら、かなり難読漢字なのではないかと思う。これからは再び「女夫」の方が輝く社会になるのかもしれない。男と女、あるいは女と男、そして、女と女、男と男・・・。カップルのあり方は多様だし、カップルを前提としない人間関係も世の中にはいろいろある。以前と比べると、時代はそうした多様性にずいぶん寛容になってきているように思うのだが、そうした変化がたとえば、「めおと」を表す漢字に影響を与えることはあるのだろうか。ひとつの読み方からも想像の翼が次々に広がっていく。言葉は面白い。

 「めおと」はかつて、女夫の方がポピュラーだったが、だんだんと夫婦になっていったのではないか・・・などと、ここで調子に乗って知ったかぶりを始めるとすぐにボロが出てしまいそうだ。自粛しておこう。言葉はたぶん、世の中の動きを反映して少しずつ変わっていく。時期によっては大幅に変わっていくこともあるかもしれない。いまはどうなのか。

 一方で、あまり変わってほしくないという気持ちも、心のどこかにはある。変わるものと変わらないものの微妙な関係にどう折り合いをつけるのか。日々に文章を書いてお給料をいただく、気の小さな新聞記者にとって、これはなかなか切実な問題でもある。ただし、理論化はなかなか難しい。ここは再び、清湖口論説委員にご登場願うしかないだろう。産経新聞の好評連載「国語逍遙」から日本語をめぐるいくつかの話題と論点を提供したい。