先月、テレビのクイズ番組を見ていたら、「身も蓋もない」の意味は①どうしようもない②はっきりとしすぎた③大まかな-のうち、どれかという出題があった。某有名中学の入試に出た問題らしいが、私は迷いに迷った揚げ句、①と答えた。正解は②だった。

 悔しくて手当たり次第に辞書を引いた。広辞苑には「露骨すぎて、情味も含蓄もない」とあり、大辞林や大辞泉もほぼ同様の意味を載せている。「露骨すぎる」から判断すれば、ややニュアンスは異なるものの「はっきりとしすぎた」の②が最も正解に近いということにはなるだろう(「露骨」は小学生に難しすぎるとして「はっきりとしすぎた」に言い換えられたものかもしれない)。

 身(容器の本体)も蓋もないと、隠す部分がなく、全てをさらけ出すので「露骨すぎる」ことになり、そこから「情味も含蓄もない」につながったと思われる。そこで考えたいのは、この慣用句が実際に使われるにあたって要となるべき意味は「露骨すぎる」なのか、それとも「情味も含蓄もない」なのか-という点である。

 後者とするのが私の語感だ。「身も蓋もない話」といえば大抵の人は、「露骨すぎる話」というより「情味も含蓄もない話」「そう言ってしまえばにべもない話」「味も素っ気もない話」として受け止めるのではなかろうか。私が①と答えたのも、そんなニュアンスを含む「どうしようもない」がむしろ正解に近いと考えたからだ。

 例えば「右顧左眄(うこさべん)」の意味がもし、字義通りに「右を見たり左を見たりすること」とのみ示されたとしたら、私は即座に異を唱えるだろう。「右顧左眄して踏切を渡る」とは言わないように、この四字熟語の要の意味は「左右を見ること」ではなく、そこから転じた「決断できないこと」にあるはずだ。

 先ごろ結果が公表された「国語に関する世論調査」(平成23年度、文化庁実施)では、「失笑する」の本来の意味は「ア=こらえ切れず吹き出して笑う」か「イ=笑いも出ないくらいあきれる」か-と尋ねており、6割が誤答のイを選んでいた。

 多くの辞書が「おかしさをこらえることができず吹き出すこと」(大辞林)などと書いていることから、イの「笑いも出ない」は明らかな誤りだ。しかし正答とするアの説明にも釈然としないところがある。

 新明解国語辞典が「あきれた余り、思わず笑ってしまうこと」とし、講談社類語大辞典も「あきれて、思わず笑ってしまうこと」と書いているように、「あきれる」が「失笑」の、要とはいえないまでも、欠かすことのできない要素となっている点は十分に察せられる。国語学者の中村明さんも「薄ら笑い、つくり笑い、失笑、憫笑(びんしょう)などは愉快な笑いとは違う」(『笑いの日本語事典』)と指摘する。

 本来は「吹き出して笑う」意だとしても、今日の一般的なニュアンスでは「失笑」は、ある種の屈折した心理をはらんだ言葉といってもよいだろう。

 文化庁はあくまで「本来の意味」の理解度を調べただけかもしれないし、ましてや次のような意図は全くなかったものと信じるが、「失笑」のキーワードの一つともいうべき「あきれる」が正答のアではなく誤答のイに取り込まれたあたりに、私はなんだか引っかけの臭いを嗅ぎ取ってしまい、“失笑”を禁じ得なかったのである。
(産経新聞論説委員・清湖口 敏)