麗澤大学教授 八木秀次

法の抜け道と役所の形式主義が招いた事態
 

 2010年6月、大阪市に住む70代の姉妹2人の親族の中国人48人が5~6月に我が国に入国した直後、そのうち46人が市に生活保護の受給を申請し、32人が既に受給していることが明らかになった。
 姉妹は中国残留孤児と見られ、2008年7月、中国・福建省から来日、11月に日本国籍を取得した。2010年5~6月、姉妹の介護名目で同省から親族48人を呼び寄せ、大阪入国管理局が審査した結果、48人は1年以上の定住資格を得たという。入国審査の際、48人は扶養する第三者の身元引受人を用意して在留資格を得たが、外国人登録後、46人が平均6日間で市内5区に「身元引受人に扶養してもらえない」として生活保護を申請。いずれも日本語は話せず、申請窓口には同じ不動産業者が付き添っていたという。生活保護を食い物にするブローカーの存在が窺えるというわけだ。
「出入国管理及び難民認定法」には「生活上国又は地方公共団体に生活上の負担となるおそれのある者」は「本邦に上陸することができない」(第5条第1項第3号)とされている。大阪市はこの中国人らのケースに生活保護法を準用することは同法の趣旨に反するとともに、本来、原則として外国人には適用されない生活保護法の趣旨にもそぐわないのではないかと懸念を示し、厚生労働省に対して今回のケースに関する生活保護法の準用の是非について照会を行い(7月13日)、一方で大阪入国管理局に対して在留資格の調査を申し入れた(6月24日、7月1日)。同時に今回のケースについてマスメディアに公開し、問題提起を行った。
 生活保護法はその目的を「日本国憲法第25条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長すること」(第1条)とする。あくまで対象は「国民」すなわち日本国籍保持者である。しかし、昭和29年5月8日付の各都道府県知事あての厚生省社会局長通知「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」には、「生活保護法(以下単に『法』という。)第1条により、外国人は法の適用対象とならないのであるが、当分の間、生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて左の手続により必要と認める保護を行うこと」と記されている。そこから生活保護法は外国人にも「当分の間」、準用されることになっているのだ。
 この通知は「現在も有効」(「参議院議員加賀谷健君提出外国人の生活保護に関する質問に対する答弁書」(2009年6月16日)で、今回のケースに関しても7月21日、厚生労働省は大阪市に対しての回答で「生活保護制度における外国籍を有する方の取扱いについては、『生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について(昭和29年5月8日社発第382号厚生省社会局長通知。以下「通知」という。)』において示すとおりであり、照会にある外国籍を有する方が通知において示す外国籍の方に該当する場合は、通知のとおり取り扱われるべきであり、保護の実施に要した経費については、同法の規定に準じ、国に対してその4分の3を請求することができる」と述べている。
 今回のケースは、在日中国人が第一段階として経済難民の入国を拒否する入管法を、第二段階として外国人にも準用される生活保護法を、それぞれ法の抜け道をすり抜け、他方、形式主義のお役所仕事がそれを許して受給に至ったものである。
 実際、入管の担当者は「身元引受人がきちんと扶養しているかどうかを継続的にチェックする制度はない。悪質な虚偽申請と見抜き、許可を取り消すのは現実的には難しい」と話し、大阪市も「生活保護の受給を前提に入国した可能性があり、極めて不自然」としながらも「入国を許可され、受給申請も形式的に要件が整っている以上、現段階では法的に支払いを保留することもできない」と述べている(『産経新聞』7月1日付電子版)。 
 7月21日現在、46人のうち20人はその後、申請を辞退し、10世帯26人については6月分の184万円が支給されている。7月分についてはさらに3世帯6人が加わって計241万円が支給されている。私たちの納めた血税が法の抜け道をすり抜けて彼らに流れた格好だ。

不正受給対策に消極的な厚労省


 大阪市は今回、メディアにも公開して問題提起した理由を次のように述べている(大阪市「中国国籍の方の生活保護集団申請について」、7月23日)。
 ①入国管理法では『生活上国又は地方公共団体の負担となるおそれのある者』は入国を拒否することになっているにも関わらず、今回のケースでは日本に入国してすぐ生活保護を申請している。このことから、法の趣旨を大きく逸脱した、在留資格の審査がなされている可能性がある。
 ②厚生労働省の通達(「通知」の間違いか?)では、形式的に在留資格を得ているだけで、生活保護制度を準用することになっている。
 ③結果的に、本市に何の裁量権もなく、生活保護法を適用しなければならないというのでは、市民の理解は得られにくく、また、4分の1の財政負担を余儀なくされる大阪市としても納得できるものではない。
 ④人道上の観点から、中国残留邦人の子孫の方たちの処遇をどう考えるのかという問題は国の責任において、別の制度、施策を設けて対応すべきものであり、生活保護の準用の是非という観点だけで本市に判断を委ねるのは大きな問題である。
 もっともな問題提起である。地方自治体レベルでは如何ともしがたい事態だからだ。なお、前掲の大阪市への厚生労働省の回答は生活保護の受給を目的とした入国であることが明らかである場合には生活保護法は準用しない旨を記したものだが、「これは今回の大阪市の個別の事案の照会に対する回答であり、一般に適用されるものではないという見解である」(大阪市「国に対する要請の趣旨(大阪市における中国国籍の方の生活保護集団申請を受けて)」、8月4日)という。これから起こるであろう、いや既に起きているであろう外国人による生活保護費の不正受給について厚生労働省は有効な手を打つ意思がないということだ。
 そのため大阪市は8月4日、「同種の事態は全国において生じることが想定される」(同上)ことから国に対して要請を行った。具体的には厚生労働省に対して「中国残留邦人の2世、3世に対する支援のあり方」「今回の事案に対する人道的観点からの配慮」「生活保護の準用に関する全国的な取り扱い」、法務省に対して「定住を認める中国残留邦人の2世、3世に対する支援のあり方に関する方針の策定」「入国管理法の趣旨を踏まえた厳格な運用の徹底」、総務省に対して「中国残留邦人の子孫に対する支援などの施策に関して、地方自治体に負担を強いることのないよう、適切な対応を関係省庁に要請する」といったものである。生活保護行政の実際を担う地方自治体として国の無作為に対して異議申し立てをした格好である。
 今回のケースに対しては在日中国人に向けた新聞(華字紙)も強い関心を示し、特集を組むところもあった。中には生活保護申請の詳細を紹介するなど「生活保護のススメ」のような内容のものもあった。この点について中国出身の評論家、石平氏は「中国国内では生活に困窮している人は何億人もいる。華字紙の特集には、中国人永住者や帰化した人らに対し『中国からどんどん家族や配偶者らを呼び寄せ、すきを突いて生活保護をもらえ』というメッセージや発想が感じられる」と述べている(『産経新聞』7月10日電子版)。
 まさに今回のケースは「すきを突いて」生活保護を受給しようとしたものであり、政府はこの事態に対して具体的な対策を講じる必要があろう。現状では私たちが経済の厳しい状況下でも納めた文字通りの゛血税″が不正に外国人や一部のブローカーに流失する回路を残していることになる。

国民優先の政治的判断を認めた最高裁判決


 ここで、生活保護を含む社会保障において外国人をどのように扱うかについて整理しておこう。最高裁は我が国の憲法が保障する基本的人権について「憲法第三章の規定する基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべき」としている(マクリーン事件判決、昭和53年10月4日)。判決文というのは独特の言い回しをするもので、要するに日本国民のみを対象とし外国人には保障されない権利と、外国人にも日本国民と同じように保障される権利との2種類があるということだ(権利性質説)。
 その日本国民にのみ保障され、外国人には保障されない権利の代表として一般に挙げられるのは「入国の自由」「政治活動の自由」「参政権」「社会権」である。外国人に我が国への入国の自由を認めてしまえば、我が国はもはや主権国家とはいえないし、政治活動の自由も同様である。外国人に公の意思の形成に関わる参政権を認めれば、これまた主権国家たり得ない。社会権は国家に積極的な福祉的給付を求める権利であるから国家の存在を前提としており、国家の構成員である「国民」のみを対象としている。社会権が「後国家的権利」、すなわち国家の存在を前提として成り立つ権利と呼ばれるのはそのためである。
 もちろん外国人にも社会保障を行うこともある。しかし、それはあくまで在留先の国家による恩恵的措置であって、外国人がその権利に基づいて社会保障を求めることはできないと考えられている。
 では、日本では、在留外国人への社会保障はどのような基準に基づいて行われているのだろうか。最高裁には次のような明確な判決がある。
「国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際関係、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下に福祉的給付を行うに当たり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」(塩見訴訟判決、平成元年3月2日)
 最高裁は憲法の解釈として自国民と在留外国人は区別されるものであり、社会保障において自国民を優先することも許されるという考えを示しているのである。ついでにいえば、ここには在留外国人の社会保障については本来的にはその国籍を有する本国が行うべきものであり、我が国がただちに在留外国人に社会保障をすることを求められるわけではないということも含意されているが、このことについては後述する。
 この最高裁の判断は極めて常識的なものであり、この判決の趣旨を政府は徹底させるべきだ。特に「限られた財源の下」という部分は国や地方自治体の財政が逼迫している今日、判決時よりもいっそう切実味を増している。財政が豊かで余裕のある状況では外国人にも恩恵的な社会保障は可能であったが、今日ではそれも難しくなっている。まして目まぐるしい経済発展によって経済的にも我が国を凌駕しようとしている近隣諸国の国民に社会保障上の恩恵を施すというのは本末転倒であり、我が国の国民の理解も得にくくなっている。

「差別論」も明確に否定


 しかしながら、このような社会保障において日本国民と在留外国人を区別し、場合によっては在留外国人に対する社会保障を限定するか行わないことに対しては以前から強い批判がある。とりわけ在日韓国・朝鮮人から日本国民と自分たちを区別するのは「国籍差別」であり、憲法や国際法によって禁止されているとの主張がなされてきた。
 実際、さきに挙げた塩見訴訟は、子供の頃、「はしか」にかかって失明した韓国人の女性が、後に日本国籍を取得し、障害者年金の受給を申請したが、失明した際に日本国籍でなかったことから国籍条項に引っ掛かり、申請が却下されたことから起きたものだ。気の毒なケースであり、何らかの救済が必要と思うが、女性側の裁判での主張は、もっぱら日本国民と在日韓国人という自らのかつての身分は平等に扱われるべきものだということで、国籍を重視しない、国籍を無にする方向で行われてきた。
 女性側が根拠に挙げたのは、憲法第14条第1項の「法の下の平等」や世界人権宣言、国際人権規約、ILO条約であったが、これらはことごとく最高裁によって退けられている。詳しくみてみる。
(1)憲法第14条第1項の法の下の平等の原則は「合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他の種々の事実上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定(憲法第14条第1項)に違反するものではない」ので、国籍に違いによる「取扱いの区別については、その合理性を否定することができず」、憲法第14条第1項に違反するものではない。
(2)ILO第102号条約(社会保障の最低基準に関する条約)第68条1の本文は「外国人居住者は、自国民居住者と同一の権利を有する」と規定しているが、その但し書きは「専ら又は主として公の資金を財源とする給付又は給付の部分及び過渡的な制度については、外国人及び自国の領域外で生まれた自国民に関する特別な規則を国内の法令で定めることができる」としており、「全額国庫負担の法(国民年金法)81条1項の障害福祉年金に係る国籍条項が同条約に違反しないことは明らかである」。
(3)国際人権規約A規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)第9条について「この規約の締結国は、社会保険その他の社会保障についてすべての者の権利を認める」と規定しているが、「これは締約国において、社会保障についての権利が国の社会政策により保護されるに値するものであることを確認し、右権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負うことを宣明したものであって、個人に対し即時に具体的権利を付与すべきことを定めたものではない」。したがって、「同規約は国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものとはいえない」。
(4)ILO第118号条約(社会保障における内国民及び非内国民の均等待遇に関する条約)については我が国はいまだ批准していない。
(5)国際連合第3回総会の世界人権宣言、同第26回総会の精神薄弱者の権利宣言、同第30回総会の障害者の権利宣言及び国際連合経済社会理事会の1975年5月6日の障害防止及び障害者のリハビリテーションに関する決議は、国際連合ないしその機関の考え方を表明したものであって、加盟国に対して法的拘束力を有するものではない。それゆえ、国籍条項を直ちに排斥する趣旨のものではない-といったものである。

国民と在留外国人を区別するもの


 女性側の主張は日本国民と在留外国人たる在日韓国人の社会保障上における法的地位を平等に扱えというものである。しかし、最高裁は、社会保障はあくまで国家を前提として国家が積極的な福祉的給付を行うことであるから、国家の構成員である自国民と在留外国人は区別せざるを得ないと判断したのである。
 これは地球の上に国境があり、誰もがどこかの国家に帰属し、その国籍を有するという近代社会における論理的な帰結である。また、本来、社会保障というのは、「国民の共同連帯」によって成り立つものでもある。この塩見訴訟の判決でも最高裁は国民年金制度について次のように述べている。
「国民年金制度は、憲法25条2項の規定の趣旨を実現するため、老齢、障害又は死亡によって国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によって防止することを目的とし、保険方式により被保険者の拠出した保険料を基として年金給付を行うことを基本として創設されたものである」
 ここでいう「国民の共同連帯」は単に同じ地域に住んでいるということから生じるものではない。敢えていえば、防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員として他の者と連帯し、相互扶助を行うということから生じると考えるべきだ。防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員とは、「その国のために死に得る存在」であるということであり、その国に「国防の義務」を負う存在であるということでもある。そして防衛共同体ないし運命共同体としての国家の構成員であることの指標が国籍ということなのである。
 要するに国籍を有するということからその国家への共同防衛の義務が生じ、その共同連帯の対価として社会保障の権利が保障されると考えるべきなのである。そのことは我が国においても近代的社会保障が明治8年の軍人に対する年金制度に始まり、それが徐々にその対象を軍人から民間人へと広げていったことからも分かる。
 同じ地域に住みながらも国籍によって自国民には国防の義務が生じ、在留外国人にはその国への国防の義務が生じないのと同様に、社会保障においても自国民と在留外国人は区別されなければならないのである。それはその在留外国人の生活の本拠が我が国にだけあるだとか、母国語はできず、日本語しかできないとか、交友関係が日本人だけだとかといった個々の事情とは何の関係もないことである。近代社会における国籍が異なることから生じる論理必然の帰結なのである。
 在日韓国・朝鮮人のことを「外国籍を持ちながら外国人意識が稀薄であるという国籍ボケ」と断じたのは首都大学東京教授の鄭大均氏だが(『在日韓国人の終焉』文春新書、2001年他)、この訴訟の原告の女性も「国籍ボケ」以外の何ものでもない。国籍が何を意味するのか、国籍が異なることからどのようなことが生じるのかということについての理解がまるでなされていない。
 このことはなにもこの女性に限られたことではない。本国への帰属意識を強烈に持つ一部の者を除く圧倒的多数の在日韓国・朝鮮人もそうだし、当の日本国民にしても「日本国籍を持ちながら日本人意識が稀薄であるという国籍ボケ」に陥っている。生活に困窮する外国人に慈しみの心をもって生活保護や年金などの生活扶助が必要と考えるのは日本の優しい国民性の現われだが、在留外国人を日本国民と同様に考え、両者の区別を「国籍差別」や「民族差別」と理解する日本国民も多い。しかし、それこそが「国籍ボケ」というべきものである。

見え隠れする朝鮮総連の影

朝鮮総連中央本部ビル=東京都千代田区
 これとの関連で取り上げなければならないのは、在留外国人の無年金問題である。国民年金法は農業者、自営業者等を対象にした制度として昭和34年11月1日に施行されたもので、老齢、障害または死亡について必要な給付を行う社会保険制度である。
 日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民が原則として被保険者とされ、被保険者が保険料を納付し、それを主な財源として拠出するという拠出制を前提としていたが、国庫も毎年度、国民年金事業に要する費用に当てるため一定額を負担することにされていた。
 昭和60年の国民年金法改正により、国民年金の適用は全国民に拡大され、全国民共通の基礎年金を国民年金制度から支給することとし、その上に厚生年金や共済年金の被用者年金制度から所得比例等の年金を上乗せするという「2階建て」の体系に公的年金制度が再編、統一された。
 ここで問題となるのは在留外国人に対する対応である。発足当時の国民年金制度は、被保険者の資格について前記のように「日本国内に住所を有する20歳以上60歳未満の日本国民は、国民年金の被保険者とする」(国民年金法第7条第1項)と規定し、日本国籍のない在留外国人を老齢年金の支給対象から除外していた。昭和56年、「難民の地位に関する条約」を批准したことに伴って制定された関連法規の「整備法」により、「日本国民」の文言が「者」に改められ、国籍条項が撤廃された。これは難民に限って国民年金法を適用することは公平の観点から適当でないことに鑑みて在留外国人にも適用されたものである。
 しかし、他方、整備法附則四項では国籍条項が撤廃された効果は過去にまで遡及されないことも明記された。
 以上のような経緯の中で、一部の在日韓国・朝鮮人が、国民年金に加入しなかったことから無年金状態となり、国民年金が支給されないのは「国籍差別」であるとして国に対して各地で裁判を起こした。
 2009年2月3日、一連の裁判のうち最後に最高裁で判決が確定した事案では、原告5人のうち3人は整備法の施行日である昭和57年1月1日当時および新国民年金法の施行日である昭和61年4月1日当時、既に60歳以上で、20歳以上60歳未満という被保険者の資格要件を充たさなかったために、国籍条項の撤廃後も国民年金に加入することができなかった。残る2人は国籍条項撤廃後、年齢の上では国民年金の被保険者資格を有していたが、国民年金に加入しなかったというものである。
 国民年金の保険金を一切払うことなく、年金だけはもらいたいというのは虫が良すぎるし、それが適わないと「国籍差別」だと主張するというのでは余りに身勝手というものだ。またはじめから、保険金を払う気もなかったのに「国籍条項」で加入できなかったと主張するもの後から取って付けた理由だというしかない。
 この裁判の最高裁確定判決(原審・京都地方裁判所、平成19年2月23日、控訴審・大阪高等裁判所、平成20年4月25日)を見てみよう。そこでは原告らの主張を退ける理由を前記の塩見訴訟判決を踏まえながら次のように言ってのけている。 なお、この一連の裁判には朝鮮総連の姿が見え隠れしている。「在日外国人高齢者・障がい者無年金問題のページ」を運営する「都市問題研究所・日朝友好促進京都婦人会議」(京都市左京区)のホームページには「日朝友好」の言葉や「共同アピール 民族差別・外国人排斥に反対し、多民族共生社会をつくりだそう!朝鮮学校攻撃を許さない!」というスローガンが掲載されている。共同アピールには朝鮮総連の友好団体や個人が名を連ねている。
 彼らはただただ日本政府に日本国民と同一の社会保障を与える法的義務があると主張するだけである。そして裁判所に退けられると次には日弁連に人権救済申し立てを行い、それを受けて日弁連は2010年4月7日、厚生労働大臣、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に会長名で勧告書を提出している。また、国連人権委員会でのロビー活動も活発化させている。 
 しかし、被告らは韓国政府にはそのようなことを求めない。韓国では1988年に国民年金制度が始まっているが、彼らはそれに加入することも求めない。また、被告らを支援していると思われる民団なり朝鮮総連なりが在日韓国・朝鮮人を対象にした独自の共済年金制度を設けているという話も聞かない。 なかなか思い切ったことをいった判決である。確かに「我が国に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」。その通りである。我が国政府が行っている社会保障は第一義的には当然、日本国民を対象にしているのであって、在留外国人を対象にしているのではない。韓国籍の人々の社会保障について第一次的に責任を負っているのは韓国政府である。当然のことである。「憲法25条2項は、その性質上、我が国の在留外国人にも一定の限度で適用され得るものであるが、他方で、日本国民の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは我が国であるのに対し、我が国に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国であるから、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについては、我が国は、特別の条約の存しない限り、当該外国人の属する国との外交関係、変動する国際情勢、国内の政治・経済・社会的諸事情等に照らしながら、その政治的判断によりこれを決定することができるのであり、その限られた財源の下で福祉的給付を行うにあたり、日本国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されると解される」

責任は「本国」にあり


 判決文に戻ろう。判決には次のような部分もある。
「社会保障は、その社会を構成する者に対し、実施されるべきであるとの一面を有しているが、そのことをもって、国籍の有無に関係なく、在留外国人も自国民と全く同一の社会保障を受ける権利を有しているとまではいえない。また、仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられないとしても、そのことをもって、我が国が、原告ら在日韓国・朝鮮人に対し日本国民と全く同一の社会保障を与える法的義務があると解する理由とはならず…」
 前にも記したように「我が国に在留する外国人の社会保障につき、第一次的に責任を負っているのは、その者らの本国である」のであり、「仮に、在日韓国・朝鮮人が、その本国政府から何らかの救済措置を講じられない」のであれば、我が国政府の取るべきは、韓国政府に対して在日韓国人の無年金者の救済を行うよう要請することではないか。韓国併合百年に当たっておかしな謝罪談話を出すことよりも、現に困窮している無年金者を救済することこそが先決ではないか。また、被告らの支援者も国籍を無きものとするというイデオロギーは差し置いて、被告らを救済すべく韓国政府に働きかけることではないか。
 韓国はかつての貧しい韓国ではない。経済的にも豊かになっている。韓国政府に対し、在日韓国人の社会保障について第一次的に責任を負う存在としてしかるべき対応をするよう、日本政府も在日韓国人の諸団体も日本の支援者も働きかける必要があるのではないか。それをしないで「国籍差別」であるとして我が国政府に日本国民と同一の待遇を求めるのは筋違い以外の何ものでもない。
 参政権との関係でもしばしば問題とされることだが、判決は社会保障と税金の納付との関係についても述べている。
「在日韓国・朝鮮人が、我が国に対し、租税を納付しているとしても、租税は、国又は地方公共団体が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてではなく、これらの団体の経費に充てるための財源調達の目的をもって、法律の定める課税要件に該当するすべての者に対し、一般的標準により、均等に賦課する金銭給付であり、租税の納付と社会保障の享受とは直接の対価関係にはない」「租税を納付していることをもって、我が国が、在日韓国・朝鮮人に対し日本国民と全く同一の社会保障を与える法的義務があるということはできない」
 税金が行政サービスの対価であり、外国人にも自国民と等しく適用されるのに対して、社会保障はあくまで第一義的には自国民を対象にしたものであり、外国人に自国民と同一の社会保障を受けさせる権利を保障したものではないということだ。政府や地方自治体の関係者にはここで示された考えを正確に理解してもらいたい(判決の「社会保障」は「参政権」と言い換えられることはいうまでもない)。
 こうして日本国民と同一の年金の保障を受けたいという彼らの要求はこのような判決もあってひとまずは阻止されている。ところが、彼らは一方で全国の地方自治体に対して、在日韓国・朝鮮人に年金の代わりとして「福祉給付金」ないし「特別給付金」を支給するよう働きかけている。民団が組織として行っていることもあって現在、全国で800以上の自治体が支給している。金額は月額5千円から三万数千円(神戸市)までである。
 いっそう問題なのは、在日韓国・朝鮮人の無年金者が、年金が受給できないとなると今度は生活保護の申請をし、そのほとんどが受理されていることである。大阪市では外国人の受給者が2010年に1万人を突破したが、その92%が在日韓国・朝鮮人である。国民年金に加入していない「無年金世代」が高齢化したことがその理由と見られている。
 また、生活保護受給者が、まじめに保険料を納めた年金受給者よりも国から多額の資金を受け取るという不公平な実態も浮かび上がっている(『産経新聞』6月14日付電子版)。これは在日中国人による生活保護不正受給よりも、人数においても金額においても深刻な問題である。
 繰り返すが、在日韓国人の社会保障は第一義的には本国である韓国政府が行うべきことだ。日本政府にはこの件について韓国政府と早急に話を付けて欲しい。在日中国人の生活保護不正受給には毅然とした対応をした大阪市にも在日韓国・朝鮮人の問題でも改めて国に要請してもらいたい。
 政府は事業仕分けでみみっちく歳出を削るのもいいが、本来は本国が行うべき社会保障の費用が国費から莫大な金額で失われていることにもっと留意すべきだ。さもなければ、我が国は在留外国人によって食い潰されることになる。

八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 昭和37(1962)年広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院政治学研究科博士課程中退。専攻は憲法学、思想史。著書に『明治憲法の思想』『日本国憲法とは何か』『日本を愛する者が自覚すべきこと』(PHP研究所)、『国民の思想』(産経新聞社)など多数。最新刊に『「テレビ政治」の内幕』(共著、PHP研究所)。平成14年第2回正論新風賞受賞。