この力関係を正しく理解できた子どもは、相手を死に追いやるほどのイジメはしない。新潟の小学校で福島から避難して来た児童がイジメにあっていた。周りの児童たちに「弱者は守る」という優しさが決定的に欠けている。そして、驚くことに担任がその児童に「菌」をつけて呼んでいたという。

 俄かには信じがたい事象である。これはもう、教師の資質の崩壊である。長く教職にいた者として言わせてもらえば、この児童の転校時に、児童が置かれている状況を危機的と捉え、真剣な「誠」でもって級友に語り継げば放射能に関する偏見やイジメなど絶対に起きないと強く断言する。学力一辺倒で世の中を生き、人間の機微や感性を忘却してしまった教師が大量にその採用試験を潜り抜けている。事なかれ主義の教師が蠢(うごめ)いている

 日本でもある時期、「規制緩和」が叫ばれた。競争原理を活発化させるには必要な方策であったのかもしれない。しかし、結果として「緩和」による事件、事故が後を絶たないという負の一面も表面化した。ましてや教育界は、競争、強制をしないという価値観の現況において子どもたちは、叱られない、叩かれない、規則や規範もなく、義務や責任も持たさず、自由や個性や人権の美名のもとに「わがまま」が罷(まか)り通ってきた。

岩手県で行われた日教組の教育研究全国集会
=2016年2月5日、岩手県滝沢市
岩手県で行われた日教組の教育研究全国集会 =2016年2月5日、岩手県滝沢市
 戦後の日教組教育に蹂躝(じゅうりん)された「武士道的徳育」は遥か彼方へと喪失してしまった。「卑怯」であることが最大の「恥」であった武士道は廃(すた)ってしまった。会津藩は「什(じゅう)の掟」でもって子どもたちを厳しく律してきた。 

 その中に「弱い者をいじめてはなりませぬ」とある。人としての道を「掟」として規正したのだ。

 「日本のこころ」を忘れた教育が横行し、公(利他)に尽くすことの喜びも学ぶことなく、自分中心の価値観で生きる「わがままな子」に育てられる彼らこそ戦後教育の一番の犠牲者である。すべては教育の歪みから正していかねばならないことを強く叫びたい。

 大人よ! 教師よ! 幼少期には、悪を懲らしめ、善を推奨する物語りを語れ! 人として、卑怯であることを疎み、「力」は弱者を救済することのみに全うされることの「道義」を教え込め!

 いじめ問題の解決は、日本の「こころの教育」を正すことに他ならないのである。