つまり多くのいじめは、閉鎖的なクラスの中で、人間関係のストレスが顕在化する時期に起きている。一方で、受験を控えた中学3年でのいじめは相対的に少ない。これは高校受験を見据え、生徒たちが「高校での生活」に準拠し始めるからだろう。ここではない、次のステージでの可能性があることが感じられれば、今の人間関係で馴れ合わなくてもいい。生徒にとって、少し先の未来が感じられるのは、真っ暗な箱が少し開いて、上から一筋の光が差し込んでくるようなものだ。

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 中学3年は受験勉強のため、周囲の友だちが「ライバル」に見えてくる時期でもある。この時期にいじめが減ることから、勉強という目的はいじめの減少に有効である可能性がある。仲良しのお友達でなくてもいい、むしろ勉学のライバルとして付き合ったほうが、いじめは減るのではないか。



 同じことが部活でもいえる。ただでさえ閉鎖的な学校空間のなかで、さらに閉鎖的な「部活動」なる集団にも所属しなければならないこと、その集団での人間関係のストレスは、いじめにつながる。部活動で人格を育むのはいいが、何も学校ですべてまかなう必要はないだろう。学校を閉鎖的な空間でなくするためにも、地域との連携を密にし(その地域が崩壊していれば問題も出てくるだろうが)部活動くらいは外に開放すべきである。



 高校野球での暴力問題が毎年のように問題になるが、狭い人間関係、上下関係しかないとなれば、大人も子どもも、一部はいじめに走ってしまうのだ。課外活動を部活として認めれば、1日中狭い人間関係の中で閉じ込められ、闇を深くすることはない。

 クラスをなくし、学校を「勉学の場」と明確に位置づける。習熟度別のクラスは、できるだけ少人数がのぞましい。それには、科目ごとの教員の増加などコストもかかるだろう。さらに、これらの処方箋がもし実現しても、いじめがゼロになることはない。何度も述べているように、いじめは大人社会の排除のメカニズムが、子どもの社会に反映された行為だからだ。

 それでも、いじめの温床である閉鎖的な空間を少しでも外へ開くことができれば、今、いじめに苦しむ子どもたちや、次は自分がいじめに遭わないか汲々として「空気を読み合う」子どもたちには、一筋の希望の光が見えるのではないかと思う。