だが、それだけではない。周囲が母親のうそを信じ込んだ大きな要因はなんといっても、「我が子がいじめられた!」の第一声だ。「いじめ」という言葉には、マスコミや世間を思考停止にさせるだけの魔力があるようだ。事実がまだわからないにもかかわらず、人々は条件反射のように、「けしからん」といきり立ち、「加害者を厳罰に処すべきだ」と叫ぶ。

 そして実際、「マスゴミ」と蔑視しつつ、なぜかいじめ報道だけはマスコミの第一報を盲目的に信じ込むネットの住人によって、「加害者」が糾弾され、身元が特定されて晒し上げられる。リンチと言っていい。時には、別人の名前や写真がアップされてしまい、間違われた当人はとんでもない目にあう。

 そもそも、いじめか否かは、かなり踏み込んだ調査をしなければわからないことが多い。第一、悪ふざけやけんかといじめの区別はどうつけるのか。この点について私が疑問を覚えるのは、文部科学省が行っているいじめの定義である。
※写真はイメージ
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 2006年以前の定義では、「自分より弱い者に対して一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされており、「自分より弱い者に対して一方的に~」という箇所に、けんかなどとの明確な線引きが示されていた。

 ところが、06年度の新定義ではこの一文がなくなり、「継続的」「深刻な」の言葉も消え、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされた。非常に曖昧な表現である。

 これが、13年に施行されたいじめ防止対策推進法による最新の定義となると、もはやどうにでも解釈できる文章だ。

 「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍している学校に在籍している等、当該児童生徒と一定の人間関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」

 このいじめ防止対策推進法は、11年に滋賀県の大津市の市立中学校で起きたいじめ自殺事件をきっかけに成立したものだ。陰湿化、巧妙化するいじめから児童生徒を守るために、あえて、定義の基準を緩やかにしたのであろうということはわかる。