しかしこれでは、いくらでも拡大解釈が可能である。福岡の小学校の事件や丸子実業の事件の母親のように、これを悪用して、「我が子がいじめられている」と学校に抗議を繰り返したり、「僕はあいつにいじめられている」とだれかを名指しすれば、その生徒はあっというまに「いじめっ子」にされてしまう。事実、丸子実業高校のバレー部の子供たちは、謂れのない加害者扱いに大変苦しんだ。

 同校バレー部の代理人を務めた弁護士のもとには、この事件をルポした拙著が発行された直後から、教育関連組織や教員による、次のような相談が殺到している。被害妄想に取りつかれた保護者が、存在しないいじめを執拗に訴え続け、その過剰な被害者意識が学校運営の妨げになっている。彼らは被害者ではなく加害者だ。「モンスターマザー」(拙著のタイトル)にそっくりだというのである。

 そもそも、「いじめられている側がいじめだと言えばいじめ」、「子供が体罰だと思えば体罰」「女性がセクハラだと言えばセクハラ」などという暴論がどうしてまかり通っているのか。(福岡の小学校の事件では実際に、教諭は校長から、「子供が体罰だと言えば体罰だ」と言われている)。

 これでは当然のごとく、逆の被害者、つまり冤罪を生む。少し前まで、女性が「この人チカンです!」と叫べば、有無を言わさず男性が逮捕され、チカン冤罪事件が社会問題になった。まさに、言った者勝ちだ。「いじめだ」「被害者だ」と自称すれば何でも許されるような最近の風潮は怖い。エセ被害者の跋扈は、本物のいじめ被害者にとっても迷惑だろう。被害を訴えると、クレーマーやモンスターペアレント扱いされかねないからだ。

 何が真実かを見極めることは確かに難しい。だが、思い込みや予断による過剰ないじめ被害者擁護は、一方で新たな被害者を生み、そのことが事態をなお一層ややこしく複雑化する。こうしたもうひとつの事実にも注目してほしいと思う。