「力のアンバランス」がいじめを生む


 いじめの定義はいくつかあるが、「ある生徒が、繰り返し、長期にわたって、一人または複数の生徒による拒否的行動にさらされている場合、その生徒はいじめられている」というノルウェーのオルヴェウスの定義がよく使われている。 (文科省は「一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と少し緩やかな定義を使っている)

 「拒否的行動」とは「ある生徒が、他の生徒に意図的に攻撃を加えたり、加えようとしたり、怪我をさせたり、不安を与えたりすること」とする。(森田洋司『いじめとは何か』中公新書)

 2011年のいじめと1937年のいじめに共通するのは、「力のアンバランス」である。

 つまり、自分より弱いものに対する反復・継続した攻撃・排除であって、しかも攻撃されたものが苦痛を感じるものでなければならない。

 いじめとは、これほど卑劣なものだ。いつの時代にも、どこにでもある、と言うような言葉で済ませられるようなものではないのである。

 この世界にいじめは横行する。セクシャルハラスメント、職場でのいじめ・パワーハラスメント、アカデミックハラスメント、モラルハラスメント、配偶者や恋人・親など家族による暴力<ドメスティックバイオレンス>)

 大人の世界では様々な種類があるが、どれも質的には子どもの世界のものと同じである。

 このような「いじめ」にあった被害者がどのような人生を送るか、またはどのようにして自殺に追い込まれたか、ていねいな検証が行われない限り、繰り返し発生する。