「ノリ」が学校と子どもを支配する


 「ノリ」から外れる恐怖感は子ども世界では強い。「ノリ」が子どもを死に追いやった事件も少なくない。例えば、1986年、東京都の中学2年生鹿川裕史君が死んだ「葬式ごっこ」のいじめでは、担任の教師さえもクラスでつくられた色紙の寄せ書きに名前を書き、いじめに加担していた。

 こういう「ノリ」は日本社会ではよくみられる集団行動主義の一つだ。いつ、仲間から外されてしまうかもしれない。そうならないために気遣いをしながら生きる子どもや若者たちは少なくない。

 友だちとの間でスムーズな関係性を維持するために若者たちがつくったのが「キャラ」づくりである。集団内で、一人ひとりが演じる役割を決め、衝突を避ける。

 「切れキャラ」「いじられキャラ」などと役柄を決め、集団を盛り上げる。「いじられキャラ」とされるとその集団では延々と演じ続けなければならない。ある意味、いじめ対象として公認することだが、多くの人々はその残酷性に気づいていない。それができないとKY(空気読めない)と集団から排除されていくことになる。子どもや若者の世界では、この場ではどのような役割を演じ、発言をしていけばいいのか、緊張の中で生きざるを得なくなっているのである。

なぜ、学校はいじめを隠すのか


 いじめ事件が起きると過去、学校がとった方針は二つ。一つは、この事件は「子ども同士のケンカなどのトラブル」とすること。他の一つは、「親などの家庭が原因」とすることである。学校や教師に原因があることになると、教委や校長ら誰かが責任をとらなければならなくなり、履歴に傷がつくことになる。賠償責任を負うことにもなる。そうしないためには、原因をできるだけ明らかにしないように対策をとる必要がある。だから隠すのである。

 しかし、背後には、いじめられるのは本人の性格の弱さにも問題がある、親の育て方や家庭に問題があるという俗説がまだまだ根強く、学校と地域がいじめた多数の子どもをかばおうという意識が根強いという風潮がある。