上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

 年をとれば、誰もが病を患う。健康は高齢者の最大の関心と言っていい。では、高齢社会で医療はどうなるだろう。

 メディアで、「医療費を抑制しなければならない」、「医師や看護師が足りない」というニュースや記事を見かけない日は、いまや珍しい。我が国の医療が崩壊の瀬戸際にあるというのは、国民的なコンセンサスといっていいだろう。

 ただ、このようなマクロのニュースを読んでも、多くの読者は実感がわかないのではないだろうか。自分の住んでいる町がどうなるかを示されないと、イメージがわかないだろう。

 最近、将来の日本の地方都市の医療崩壊のモデルとなるようなケースがあった。舞台は、福島県広野町だ。

 広野町は、福島県浜通りに位置する。江戸時代には浜街道の宿場町として栄えた。21世紀に入っても、町内には東京電力の広野火力発電所があり、財政的に豊かだった。2010年度の財政力指数は1.12で、福島県内では大熊町(1.44)についで2位、全国では愛知県の小牧市と並び23位だった。

福島県楢葉町と広野町にまたがるサッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」のスタジアム。福島第1原発事故の収束作業にあたる関係者の中継基地になっており、フィールドには原発事故対応に当たる作業員らの宿舎が立ち並ぶ=2013年2月20日
福島県楢葉町と広野町にまたがるサッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」のスタジアム。福島第1原発事故の収束作業にあたる関係者の中継基地になっており、フィールドには原発事故対応に当たる作業員らの宿舎が立ち並ぶ=2013年2月20日
 冬場も雪が降らない温暖な気候のため、1997年にはJヴィレッジが設立された。日本サッカー協会、Jリーグ、福島県、東京電力が共同で出資した、日本サッカー界で初めてのナショナルトレーニングセンターである。

 この地域を東日本大震災・津波・原発事故が襲った。緊急時避難準備区域に認定され、住民は避難を余儀なくされた。この認定は2011年9月30日まで続き、広野町役場が元の場所に戻ったのは、2012年3月1日だった。震災前の2010年には5418人いた町民は5042人に減った。このうち、広野町で生活しているのは2849人だ。実に47%の人口減である。

 これからご紹介する高野病院は、広野町で唯一の病院だ。福島第一原発の南22キロに存在する慢性期病院で、1980年に高野英男氏が設立した。病床は内科65床、精神科53床で、毎日20名程度の外来患者や、数名の急患を引き受けていた。

 高野病院は高台にあったため、津波の被害は免れた。高野院長は「地域医療を守る」と言って、震災後も診療を続けた。震災前、双葉郡には5つの病院があったが、高野病院以外は閉鎖され、高野病院は双葉郡で操業する唯一の病院となった。

 震災前、二人いた常勤医のうち、一人は去った。この結果、高野院長は双葉郡で唯一人の「常勤医」となった。高野院長は孤軍奮闘した。病院の敷地内に住み、数名の非常勤医師とともに診療に従事した。

 この高野院長が12月30日に亡くなった。享年81才だった。娘で、事務長・理事長を務める高野己保さんは「寝たばこが原因の焼死です」と言う。過労が原因だろう。