評論家・西尾幹二

 知人からいただいた残暑見舞いの一文に「韓国からの情報戦に対する政府の反応の鈍さが気がかりです」とあり、目が釘づけになった。8月5日朝日朝刊の「慰安婦問題 どう伝えたか/読者の疑問に答えます」が出てから2週間たった日の出来事である。多くの日本国民は、外電の伝える韓国の変わらぬ居丈高や、米国務省のサキ報道官らの韓国寄り対日道徳的叱責から受ける不快感と、露呈した朝日の取り返しのつかぬ国家犯罪との落差のスケールの余りの大きさに、あれからじっとうずくまるようにして忍耐している。だが無力感に苛まれるばかりで動けない。ネットで怒りの声はたくさん読んだ。朝日記者の国会喚問と社長の謝罪会見はいうまでもない。河野洋平氏の自民党籍剥奪と叙勲取り消しの要望もあった。一連のパフォーマンスで国際社会に強制連行はなかったことを政府が率先して強く訴えてほしい、と念じているが、2週間たってもそういう動きは見えない。「政府の反応の鈍さが気がかりです」の先の一文はこの点に触れている正直な一般国民の不安の表明である。

  20年以上も前になるが、ドイツの2つの代表紙で日本軍による20万人の少女の強制連行という記事を読んだときの居たたまれぬ恥辱感が甦る。ウソと知っていたからである。中学校の歴史の全教科書に慰安婦の偽りのストーリーが載せられたのを知り、怒りを共にした者が集まって「新しい歴史教科書をつくる会」を起ち上げたのはそれから間もなくであった。慰安婦問題こそが歴史教科書問題に火を点けた着火剤だった。そしてここから「歴史認識」という聞き慣れぬ言葉が一般にも普通に使われるようになった。

  インドに住むあるタイ人女性が挺身隊問題アジア連帯会議というところで、「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴える場面があったそうだ。すると、売春問題ととりくむ会という団体の事務局長の日本人女性が「黙りなさい。余計なことをいうな!」といきなり怒鳴ったという話がある記事で書かれていた(産経2014年5月25日)。ほんの少しでも日本軍の残虐行為に異議を唱えるとたちまち逆上するメンタリティ、これこそがほかでもない、「新しい歴史教科書をつくる会」の前に立ち塞がった高い壁、というより黒々とした深い沼のような心の闇だった。彼らの心情は理性では判断できない。正常な感覚では理解できない。つまりある病理学的なセンチメントの底の深さを目の前に、私たちメンバーはたじろいだ。

  これは日本人に特有の心情で、ドイツでは起こり得ないことを示すいい例がある。私が『諸君!』(1993年11月号)に書いた「ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領謝罪演説の欺瞞」の冒頭に紹介した次のエピソードである。

  「過日、ベルリンの小さな集会で、日本人とドイツ人が戦争の話をした。ナチ犯罪が相変わらず大きなテーマだった。大学のドイツ語の先生をしているある日本人が、まるで自らの善意を示すかのように、日本にも捕虜収容所があり、南京虐殺などの犯罪があったと、日本人もドイツ人と同じようなひどいことをしたという反省の言葉を語った。すると、そのとき居合わせたあるユダヤ人が、最後に「アメリカにもイギリスにも日本にも収容所はあったが、一民族を根絶するために収容所を作って、それを冷酷かつ合理的に運営した国はドイツの他には例がない」と言ったら、その日本人は顔色なく、シュンとなってしまったそうである。人から伝え聞いた話だが、面白いので印象に残っている」

  この場には勿論ドイツ人もいたはずである。ドイツ人はこんなものの言い方をされてもじつは平気なのである。感情には来ない。自分の世代のしたことではない、と思っているからだけではない。ウクライナでも、ルーマニアでも、ロシアでも、フランスでも、イタリアでも、スイスでもユダヤ人迫害はあった。虐殺もあった。ドイツのやったことは大規模だったが、他の国もみんな脛に傷を持つ身であって、とことん追及なんかできないことをドイツ人は暗黙のうちに知っているからである。ときどき政治的パフォーマンスで「反省」してみせるのは、ドイツが強くなり過ぎるのを周りの国々がこわがっているのだと承知していて、われわれは融和主義で行きますよと広告しているだけで、過去のことで心が震えてなんかいない。しゃあしゃあとしている。ヨーロッパ諸国もこれを了解している。お互いにユダヤ人迫害では歴史の共犯者だから、ドイツを必要以上に責める気はない。いわゆる「独仏和解」とはこういう共通心理の上に乗っている。

  日本人にはどうしてもこれが分からない。このドライな割り切り方と政治環境の違いが分からない。旧日本軍を肯定するとたちまち逆上するかの事務局長の女性や、日本も戦争犯罪をしたとわざわざ外国人の前で善意の反省を吹聴したがった大学のドイツ語の先生の例は、まことに病理学的心理の典型例であって、これが私や私の仲間たちがぶつかった手に負えない壁だった。日本ではこれが大学やメディアや言論界や歴史学界や教育委員会等でいわばとぐろを巻いて伏在している。ほかでもない、これこそが朝日新聞の32年間の大虚報を可能にした、他の国では考えられないばかばかしい「心の闇」の正体である。私は名付けて「朝日新聞的なもの」と呼ぶ。

  本当に子供っぽいのである。しかしこれは手ごわい。恐ろしい。日本人の愚劣さそのものだが、愚劣さは商売になるからである。朝から晩までテレビのコメンテーターは何を喋りまくっているか知っているだろう。集団的自衛権を批評するのは勿論いい。しかし中国が軍事的威嚇をしているという前提を決して言わない。日本政府が戦争の準備をしているとばかり言う。フェアーではない。愚民は騙される。千年一日のごとくこの調子である。朝日新聞は大誤報を告知したが、このあとも決して変わるまい。知能はあるが、知性のない手合いがこの新聞のお得意さまで、残念ながら後から後から量産される。「天声人語」は入試によく出る知性の結晶というコマーシャルを耳にするたびに、私は腹をかかえて笑う。

  ドイツの戦争は日本とは違ってまことに能動的積極的な侵略戦争であった。が、ドイツ人は今まで侵略について謝罪もしていないし、反省もしない。ヨーロッパの歴史で各国みなやっていたことを謝る理由はないからである。600万人とされるユダヤ人の虐殺、ホロコーストについてだけ謝る。それもドイツ民族がやったのではない、ナチ党という例外者がやったのだと言い募り、ドイツ人に「集団の罪」は認めない。罪はどこまでも「個人の心」の問題だと、宗教を持ち出して言い張る。だからドイツ国家に道徳的責任はない。ただし政治的責任があるので金は支払うというのである。これをしないと周辺国と貿易を出来なかったからである。

  私は自己欺瞞を重ねざるを得なかったドイツ人の苦しい胸の内に戦後ずっと同情してきたが、ホロコーストの歴史を知らない日本が謝罪や反省に関してドイツ人に付き合う必要はないと思ってきた。しかしここが「朝日新聞的なるもの」に埋没した人が理解しないか、わざと誤解して踏み出す点で、彼らは南京虐殺を持ち出して、日本はドイツと同じホロコーストをしたと言いふらし、このもの言いが中国や韓国に次第に伝わり、両国に乗り移って今の騒ぎになっている。

  南京虐殺の実在しないことは北村稔氏、東中野修道氏その他多くの方々の献身的作業で論じ尽くされ、敵性国家中国の対日攻撃手段の一つと今では見なされている。つまり、南京を言い立てる者は中国のイヌである。そこまで分かってきているが、それでも沼のようなあの「心の闇」に閉ざされている多くの日本人はまだ目覚めない。「どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大なメディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない」と書いているのは英国人ジャーナリストのストークス氏である。「慰安婦問題だけではない。いわゆる『南京大虐殺』も、歴史の事実としては存在しなかった。それなのに、なぜ『南京大虐殺』という表現が刷り込みのように使われるのか。この表現を報道ではもう使うべきではない」(ZAKZAK8月14日)。

  思えばまだ慰安婦も南京も話題ですらなかった1960年の安保騒動で、日本の立場を有利にするはずの条約改定の合理性には、いっさい目をつむり、安保改定は戦争への道と騒ぎ立てた筆頭は朝日新聞だった。反米の旗幟鮮明で、反米こそ朝日の平和主義の柱だった。それがアメリカへの甘えだということには気づかず、この会社はそのうちいつの間にか親米に傾き、アメリカの虎の威を借りて日本の国家としての主体性をなくそうとする潮流に今や夢中になって手を貸す方向に動いている。最近同紙に採用される言論人の所説をよく見てほしい。護憲左翼と親米保守が仲良く手を結んでいる曖昧さが特徴である。そこにはあの「心の闇」、世界がたとえ嵐でも、鵞鳥が砂の中に頭を突っ込んで動かないような盲目的敗北的平和主義、「何もしない」主義の未来喪失の姿を認めることができよう。そしてひたすら中国に媚びるのである。

  GHQが戦後七千余点、数十万冊の日本の本を没収廃棄したことは知られていようが、出版元別にみて最も多く廃棄されたベストスリーは、朝日新聞社140点、講談社83点、毎日新聞社81点の順であった。いうまでもなく戦時体制にその出版物で最も迎合的に協力した筆頭三社である。そしてこの三社は周知の通り、戦後長いあいだ反日左翼のムードを代弁し、日本の侵略、アジアの撹乱を言い続けてきた歴史自虐の代表マスコミである。見事に逆転した心理構造には私は尽きせぬ興味を感じている。ここには間違いなくあの「心の闇」の秘密が潜んでいる。

  岩波書店は日共系知識人に支配された出版社だから、そこの左傾化は純粋に戦後の現象である。朝日、毎日、講談社はそうではない。代表的戦時カラーから代表的戦後カラーにがらっとものの見事に衣替えした。戦前までの自分の姿を忘れたというより、さながら過去の自分を憎んでいるかのごとき情緒的反応である。GHQに「焚書」されたことと深層心理的に深い関係があると私は見ている。

  戦争の敗北者は精神の深部を叩き壊されると、勝利者にすり寄り、へつらい、勝利者の神をわが神として崇めるようになるものだからである。今の朝日新聞は戦争に敗れて自分を喪った敗残者の最も背徳的な無節操を代弁しているように見える。