「イスラム国」とは一体何なのか—。誕生した背景、集結する人材、その目指すところなどについて、中東の専門家が分析する。米国を中心に空爆が行われているが、その裏には彼らを育ててしまった「焦り」も垣間見える──。

 池内 恵(東京大学先端科学技術研究センター准教授)

 「イスラム国」への対処策には困難が伴う。イラクやシリアの支配領域がさらに拡大しないように封じ込めることは可能だろう。しかし、「イスラム国」とそれに類似し呼応する同様の運動がイラクやシリアで、あるいは世界各地でテロを行い紛争に関与し、そこに世界中からジハード戦士を名乗る義勇兵が集まってくる現象を根絶するのは困難である。

 最大の障害は、「イスラム国」の背後にあるグローバル・ジハード運動の組織原理である。この運動の組織の原理と実態は、過去10年に大きく変化し、中心組織や指揮命令系統のない、分散型の非集権的な組織、いわば「組織なき組織」に変貌した。テロ対策、軍事作戦とも、通常は「組織」に対して行われる。根幹で明確な組織がなく、各個人の自発的な結集によって成立するグローバル・ジハードの集団に対処することは、従来型の軍・警察に困難が伴う。

 世界各地でアル=カーイダや「イスラム国」に共鳴し、武装闘争やテロを繰り広げる諸集団は、黒旗などのシンボルや、ジハードによるイスラム教の支配の確立といった基本的な宗教的信念を共有するのみで、組織的つながりが明確ではない。諸組織のネットワーク的な緩やかなつながりによって結果として大きな運動が現れてくる。

 2001年の9・11事件を境に、米国は世界規模で大規模な「対テロ戦争」を行って、アル=カーイダは中心組織や拠点を失った。11年5月にはカリスマ的指導者のビン・ラーディンも米海軍特殊部隊の攻撃で殺害された

 米国主導の対テロ戦争に対応して、アル=カーイダ系の活動家たちは分散型で非集権的・ネットワーク的な組織論を提唱した。理論面での代表的な活動家はアブー・ムスアブ・アッ=スーリーである。スーリーはシリア出身で、アフガニスタンでの対ソ連ジハードを経たうえで、ビン・ラーディンの広報宣伝や理論面での側近となった。

 04年に大著『グローバルなイスラム抵抗への呼びかけ』をネット上で発表し、9・11事件以後のグローバル・ジハードの新たな組織論を展開した。強大な軍事力・警察力・諜報力を駆使して行われる「対テロ戦争」の前に、従来型の秘密組織は無力のため、当面は分散して潜伏し、極力組織化を避けて摘発を逃れ、欧米社会で小規模だが顕著なテロを繰り返す結果として、いわば「現象」としてグローバル・ジハード運動を成立させることを構想した。

 「ホームグロウン(地元育ち)」の過激派を養成し、「ローン・ウルフ(一匹狼)」型の小規模のテロを欧米社会の政治・経済の中枢的施設や象徴的な場所やイベントに対して行っていくのが分散型のジハードの手段となる。スーリーは同時に、やがてイスラム諸国の各地で政権が揺らぎ、統治が及ばない領域が現れてくると予想し、それを「開放された戦線」と呼んだ。「開放された戦線」が現れたときは、そこに世界中からジハード戦士が集結し、大規模に組織化・武装化して領域支配を行うことを長期的な目標として掲げた。

 スーリーが構想したグローバルな「開かれた戦線」への結集という理論は、各地のローカルな紛争の中で台頭した武装民兵勢力によって機会を与えられた。各地で緩やかにアル=カーイダへの共鳴や参加を表明して武装闘争を行う新世代の諸組織と人物は「アル=カーイダ2・0」とも呼ばれる。

 RAQQA MEDIA CENTER OF THE ISLAMIC STATE GROUP/AP/AFLO
米国らによる空爆を受けたものの「イスラム国」の勢力は弱まりそうにない
 (RAQQA MEDIA CENTER OF THE ISLAMIC STATE GROUP/AP/AFLO)
 その代表格が、「イスラム国」の直接の起源となった「イラクのアル=カーイダ」組織の指導者アブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィー(1966-2006年)である。03年のイラク戦争によるフセイン政権の崩壊後、駐留米軍やイラク新政府に対してテロ・武装蜂起を繰り広げた諸集団の離合集散の中でザルカーウィーは台頭した。

 ザルカーウィーはアル=カーイダへの参加を表明し、現在のアル=カーイダ中枢のアイマン・ザワーヒリーから承認を受けたが、それまでのアル=カーイダにはない要素を加えた。それはシーア派を異端と非難しジハードの対象とする、宗派主義的な要素である。

 アル=カーイダ中枢からは、イスラム世界の団結を乱し、不要な反発を招いて敵側を利するものとして批判を受けたものの、イラクの文脈では、宗派主義を煽ったことによって内戦を激化させ、新政府の基盤の弱体化、米軍への大きな犠牲を強いたことで、ザルカーウィーの組織と路線は頭角を現した。

 ヨルダン人ジャーナリストが聞き取って05年に発表したルポによれば、ザルカーウィーらは20年までに世界規模のカリフ国家を設立する行動計画を温めていた。この計画によれば、10年から13年初頭にかけてアラブ世界の諸政権は「正当性と存在意義を徐々に失っていく」と想定された。揺らぐアラブ諸政権を打倒して、アル=カーイダ系の勢力が権力を握る「復活と権力奪取と変革」の時期がくると構想されていたのである。

 宗派紛争を引き金に泥沼化したイラクの治安を、米国ブッシュ政権は07年に大規模なを行って鎮静化させた。ザルカーウィーは06年に米軍の攻撃で殺害されており、後継組織も打撃を受けて弱体化した。そのため、「20年までにカリフ制を設立する」というザルカーウィーらの構想は夢と終ったかと思われた。

 しかし、11年の「アラブの春」の後、この構想は息を吹き返した。アサド政権が反政府抗議行動に過酷な武力弾圧を続け、一般市民が殺害される映像が出回ると、反政府勢力側に立ってジハードを行うと称する義勇兵が世界各地からシリアに流入した。「イラクのイスラム国」と改称していたアル=カーイダ系勢力も越境してシリアの紛争に参入した。

 ここに各国から集まる世代は「アル=カーイダ3・0」とも呼ばれる。20代半ばまでの世代が多く、ビン・ラーディンなどの第1世代からはもちろん、ザルカーウィーらの第2世代からも大きく隔たっている。第3世代には特に目新しい思想・理論はなく、インターネット上に流布している既存の宣伝文書や映像を受け入れ、グローバル化や情報化によって得たインフラを使いこなして世界を流動して戦闘に参加する。

「イラクのイスラム国」は、シリア土着の勢力を中核に台頭した「ヌスラ戦線」に共闘を申し入れ、13年に合併して「イラクとシャーム(拡大シリア)のイスラム国」を設立したと宣言した。しかしこれにはヌスラ戦線の活動家から異論が出て、アル=カーイダ中枢のザワーヒリーも合併を認めないと声明を出した。この時点から、「イスラム国」はアル=カーイダの中枢と袂を分かち、ヌスラ戦線と激しく衝突している。

 このようにイラクとシリアで、「イスラム国」は、宗派主義的なローカルな対立構造を利用して紛争を煽り台頭した。宗派主義的な政治対立の土壌を根絶しなければ根本的な対処策とはならない。同時に、グローバルなジハード運動は非集権的で分散的なため、世界各地からの戦闘員の流入の阻止や、先進国で自発的にテロを行う「一匹狼型」のテロを完全に防ぐことも容易ではない。

 イラクやシリアで組織を軍事的に破壊したとしても、世界各地で組織的つながりなしに行われるテロは阻止できない。軍事作戦に反発し、勝手にテロを行って「イスラム国」への支援・参加を表明する組織や個人が出現する危険性もある。

 グローバル・ジハードの思想と組織論に立脚したアメーバのような「イスラム国」の脅威を、世界は緊張を持って見守っている。