9月に公表された文化庁の「国語に関する世論調査」(平成25年度)の結果によれば、「まんじりともせず」や「世間ずれ」の意味を取り違えている人が全体の半数を超えていた。

 「調査結果を言葉の正しい意味を知るきっかけとしたい」と社説に書く新聞があったように、正しい意味を知ることは確かに大切ではある。しかし同時に、世間で誤解が広がっている現状を調査結果から読み取るのもまた、大切なことだろう。

 言葉は生きものといわれるように、変化してやまないものであり、言葉に関する正誤も多分に相対的な判断に委ねられる。仮に100人が足をそろえて行進しているなか、1人だけ左右の出し方が逆だったとしたらどうだろう。たとえその1人が絶対に正しかったとしても、見物の目には「彼を除く99人こそが正しい」と映るはずだ。

 「独壇場(どくだんじょう)」が「独擅場(どくせんじょう)」の読み誤りからきた言葉だとしても、もはや国民の99%がドクダンジョウと言っていると思われる現状を考慮すれば、「今日の試合は田中投手のドクセンジョウだった」などと“正しく”発言したのでは、反対に人に笑われる結果になりかねない。

 「切れる(若者)」といえば、伝統的には「頭の働きがいい」ことを指すが、今では大抵が「理性的な対応ができない」意に解する。それを俗解だと断じるのは無論構わない。そんな意見も聞かれなくなってしまうと、本来の意味は忘れられ、古い文章の読解もできなくなる。

 だが、コミュニケーションというものが辞書に載る「正しい意味」だけで成り立つものでないことも、一面の真理だ。「嫌い」の意味を「好き」と書く辞書はないけれど、女性が「あなたなんか大ッ嫌い」と言うときの「嫌い」は、往々にして「好き」の意になる。言葉を介したメッセージが双方で共有されなければ、残念ながら2人は破局に向かうしかない。

 今回の調査で3割近くが「天地無用」の意味を誤って「上下を気にしないでよい」と捉えていた。「天地無用」のシールを貼った荷物を送るとき、自らはその言葉の本来の意味を知っているからといって、荷物が安全に相手に届くとは限らない。受け取った相手がシールを見て「上下を気にしないでよい」と判断し、ぞんざいに扱ったら、荷物はどうなるだろう。

 そこで感心したのが宅配業者の知恵だ。ヤマト運輸では「天地無用」よりも大きな字で「この面を上に」と書き、上下が一目瞭然となるよう矢印も示している。他の業者も同様の工夫をしているに違いない。

 ある言葉について、国民の大多数が本来の意味を知っているのなら齟齬(そご)もきたすまいが、誤解が浸透している場合には、そのことを念頭に、書き言葉と話し言葉の別、相手の年齢層や教養の程度、誤解がもたらす影響の大きさ…等々にも気を配りつつ言葉を使わないと、情報は正しく伝わらない。

 本来は「喜んでする」ことを表す「やぶさかでない」を「仕方なくする」と誤解している人が43.7%もいた。「○△党と合流するにやぶさかではない」などと政治家が頻繁に口にするこの言葉も、調査結果を見る限り、慎重に使った方が得策かと思われる。例えば議員の定数削減に意欲的に取り組もうとしている大臣が「削減するにやぶさかでない」と語ったとき、それを聞いた国民の4割以上が「仕方なくするのか」と受け止める結果となる。ここは「喜んで削減に取り組む」と言った方が思いは確実に伝わるだろう。

 それでは「やぶさかでない」は死語化する。本来の意味を国民によく知ってもらうためにも、あえてこの言葉を使い続けたい-もしも大臣がそのような意向だというのなら、それはそれで大いに結構なことであり、私もまた、その意気やよしと賛同するにやぶさかではない。
(産経新聞論説委員・清湖口 敏)