著者 田中一成(東京都)

 かつて私は、かなりのアメリカ嫌いだった。しかしこの国に赴いて、多くの誠実な人たちを知るにおよび、自分の偏見を改めざるを得なくなった。同じようなことは、中国人や韓国人についても言える。何しろこの両国が、国を挙げて日本に浴びせた悪口雑言は凄まじかった。そのため私は、いつしか中国や韓国を嫌うようになった。しかし個人的につき合う限りは、憎悪の感情をそれほど強く感じたことはない。少数ではあるが友情を感じる相手さえいたほどだ。

 それにしても、個人としては憎悪の感情がないのに、国というマスで捉えたときは、どうしてあのように極端な昂ぶりになるのだろうか。その一つとして考えられるのは政策である。明らかに中国や韓国は、政情が不安定になると国民の不満をそらすために、憎悪の対象を日本に向けさせてきた。しかしもっと恐ろしいのは、マスコミである。この2国および日本の左傾新聞やテレビなどの媒体を通じて、24時間たえまなく日本悪しと喧伝されたら、たまったものではない。並みの人間なら、気がつかないうちに洗脳されてしまうだろう。

 現代社会では、マスコミの力は絶大である。それだけにこの仕事を生業にする人たちには、並外れた誠実さと謙虚さと良識の3つが望まれる。しかし実態はどうだろうか。誠実さについていえば、むしろ鼻持ちならぬ偽善しか感じられない。謙虚さについては、その対極にある傲慢そのものではないか。嘗て朝日新聞は、新聞の使命は啓蒙にあると嘯いた。つまり購読者を見下しているのである。良識についてはどうか。

 これも同じ朝日新聞記者の言であるが、そのモットーは反権力だという。その表れが、機械的ともいえる反政府一辺倒の論説であった。そもそもマスコミは、政治権力という言葉に偏見を持ちすぎている。現代政治における権力とは、意思決定をおこなうための一機能に過ぎない。意思決定機能がなければ、如何なる組織といえども機能することはできない。この程度のことは常識であり、自明のことではないか。それを悉く否定し反対するのはナンセンスとしか言いようがない。このようなマスコミ人の幼児的な権力アレルギーは、多分ヒトラーかスターリンのような独裁者のイメージに由来するのであろう。いわゆる進歩的マスコミの良識とは、この程度のものなのか。

 かくして、マスコミ特に大新聞に期待した誠実・謙虚・良識は、ことごとく裏切られるようになった。それでもマスコミは今なお健在で、立法、司法、行政に次ぐ第4の権力といわれている。しかし先年、民主党の政権樹立に貢献した朝日新聞グループの大キャンペーンを想起すると、マスコミはもはや第一の権力者にのし上がっているというべきであろう。