小林信也(作家、スポーツライター)

 稀勢の里が横綱に昇進。日本出身力士の横綱昇進は若乃花以来19年ぶりとあって、世間はお祭りムードに沸いている。27日の明治神宮奉納土俵入りには、貴乃花昇進時の2万人に次ぐ、史上2番目に多い1万8千人の見物客が集まった。土俵入りは午後3時からというのに、早朝6時40分の神社開門前から行列ができ、お昼過ぎには入場制限がなされたという。ここ数日、東京も朝方は氷点下を記録。この日も1度まで冷え込んだ中でこれだけの行列を作らせるのだから、稀勢の里の人気と期待の高さが窺える。

明治神宮で奉納土俵入りをする新横綱・稀勢の里
=1月27日、東京都渋谷区
明治神宮で奉納土俵入りをする新横綱・稀勢の里 =1月27日、東京都渋谷区
 私が稀勢の里の存在を知ったのは13年くらい前、まだ幕下のころだ。角界の次代を担う期待の力士を探す取材の中で、真っ先に名前が挙がったのが、稀勢の里になる前の萩原と、琴欧洲だった。二人の時代がきっと来ると、多くの相撲関係者が口をそろえた。北の湖理事長(当時)が、期待の若手を問われて、まだ幕下だった17歳の萩原を話題にしたのもその前後だった。堂々とした身体、正攻法の相撲ぶりにも好感を抱き、私自身、萩原そして稀勢の里に注目し続けてきた。だから、横綱昇進にはひとしきりの感慨がある。

 当時の評価や期待感からすれば、20代前半で横綱になる勢いだった。しかし現実は厳しい。思いのほか、年月がかかった。いや、昨年の後半から終盤にかけては、稀勢の里が横綱になるのはもう無理かと、観念したファンも多かっただろう。肝心な一番に勝てない。綱取りがかかる場所、優勝のかかる一番になると途端に稀勢の里はもろさを見せ、悲しいくらい硬くなって普段の力を出せない。ついにその弱さを克服できない稀勢の里に、ファンも観念し、綱取りは諦めて「最強の大関」という生き方に思いを転換するような雰囲気があった。それだけに、その稀勢の里の元に横綱昇進を伝える使者が来る展開になろうとは、感慨無量とも言えるし、同時にやはり戸惑いと違和感も拭いきれない。

 突然降って湧いたように、稀勢の里の「横綱昇進」がマスコミで話題になったのは、昨年11月の九州場所が千秋楽を迎えるころだ。端は八角理事長の発言だった。単独年間最多勝、5場所続けての二桁勝利、これは充分に綱取りの資格に相当するというのだ。

 九州場所では、白鵬、日馬富士、優勝した鶴竜の三横綱すべてを破った。稀勢の里の強さは疑いがない。誰もが認めるところだ。だが、従来の横綱昇進の基準は残念ながら満たしていない。そこで理事長自らが、相撲界全体の利益と発展を考慮し、苦慮した末なのだろう、これまでにない基準を示して、横綱・稀勢の里実現の近道を作った……。

 長い歴史の中で吟味され了解され、誰もが認める成績を基準にして、横綱の地位は確立されてきた。今回その基準を超越した(逸脱した)ことは、ごまかしようがない。