一坂太郎(萩博物館特別学芸員)

 アイドルはトイレになど行かぬと信じられていたのは、大昔のことだ。AKB48では、男性問題で一度はズタボロになったコが平然とトップに立っているし、スマップの解散劇も、なにやら醜かった。いまの若者たちは、そんなことでは驚かない。人間臭さ、ずるさまでも魅力のひとつと考えられるようになったのは、成熟した証しではないか。

 歴史人物の人気投票が行われると、必ず上位にランキングされるのが、幕末の「志士」坂本龍馬だ。政財界でも、「尊敬する人」として龍馬の名を挙げる人は多い。それどころか、自分がまるで龍馬の生まれ変わりであるかのように振る舞う人もいる始末。いい年をした大人が現実逃避し、龍馬に理想を託して拝んでいるのも、いかがなものかと思う。

坂本龍馬が暗殺された近江屋跡に建つ石碑(魚眼レンズ使用)
=京都市中京区
坂本龍馬が暗殺された近江屋跡に建つ石碑(魚眼レンズ使用) =京都市中京区
 京都において龍馬が暗殺されたのは慶応3(1867)年11月15日のこと。享年33。その翌月には、王政復古の大号令が発せられて徳川政権が消滅し、翌年の9月には「明治」と改元された。

 かつて、幕府を倒す運動に参加し、生命を落とした者たちは「逆賊」だった。ところが明治維新の政権交代が行われるや、一転して「志士」として崇められるようになる。

 明治の初めころ、「志士」に対する世間の関心が高まるや、幾通りもの「志士」の列伝が出版された。『報国者絵入伝記』(明治7年)、『近世正義人名像伝』(同)、『義烈回天百首』(同)、『近世遺勲高名像伝』(明治12年)などで、大抵は錦絵風の肖像画に、詩歌や略歴が添えられている。

 ところが、である。これらの列伝の中に、龍馬は一度たりとも登場しないのだ。安政の大獄で弾圧された吉田松陰や梅田雲浜、桜田門外で大老井伊直弼を討った水戸浪士などは、どの列伝にも紹介されている。だが、現代ならトップ当選間違い無しの龍馬が、「志士」のベスト100にも入っていない。どうやら当時、龍馬はほとんど無名に近い人物だったようだ。

 にもかかわらず一躍有名になったのは、龍馬の故郷高知で起こった自由民権運動と深く関係する。明治16年1月より高知の地方紙「土陽新聞」に、龍馬を主人公にした『汗血千里駒』という講談小説が連載された。書いたのは坂崎紫瀾という、自由民権運動の論客である。

 そのころ、坂崎は薩長を中心とする明治政府を激しく非難したため、官憲から政治演説を禁じられていた。そこで、坂崎は十数年前に亡くなった、手垢の着いていない龍馬を引っ張り出して来て、自分たちの主義主張を語らせたのが『汗血千里駒』だ。史料による龍馬の正確な伝記を著すのが目的ではないから、我田引水も目につく。