すでに、将棋の棋士たちは人工知能の対局を参考にして、将棋という未知の宇宙を探索し始めている。人間が従来の経験則や感性に邪魔されて発見できないでいた「新手」について、人工知能の助けを借りて学び始めているのだ。

 囲碁も同じである。アルファ碁も、それが進化したマスターも、人間の棋士では打たないような手で快勝した。人工知能は、すでに独創性を持ち始めている。その自由さにインスパイアされることで、生身の人間が対局するスポーツとしての将棋や囲碁はさらに進化し、魅力を増すことだろう。

 人工知能は、運動で言えば筋肉や運動機能を鍛える「ジム」の機能を果たすようになる。将棋や囲碁の棋士が、人工知能と戦い、人工知能の助けを借りて鍛錬することで、むしろ生身の人間としての能力を高めることができると期待されるのである。

 人工知能の助けを借りて人間が進化する。このような人間と人工知能の関わりは、他の分野でも生まれてくるものと思われる。

デビュー戦の藤井聡太四段(右)と対局する現役最年長の加藤一二三・九段
=2016年12月24日、東京都渋谷区の将棋会館
デビュー戦の藤井聡太四段(右)と対局する現役最年長の加藤一二三・九段 =2016年12月24日、東京都渋谷区の将棋会館
 たとえば、ネット上で100以上の言語の間の相互翻訳を提供する「グーグル翻訳」のような人工知能の発達で、将来的には、外国語を母語に直して理解することはやさしくなってくるかもしれない。しかし、その場合にも、生身の人間が何のアシストもなしに外国語を理解する「スポーツとしての外国語」の意味はなくならないだろう。

 むしろ、たとえ人工知能のサービスが存在しても、自分自身の生身の脳で外国語を駆使できることがあこがれと尊敬の念を持ってみられるようになるに違いない。

 人工知能は、将棋や囲碁だけでなく、さまざまな頭脳スポーツの発展を促す可能性が高いと、私は考えている。より深く、より強く考えたいというのは人間の本能の一つである。将棋や囲碁の棋士たちは、今、人工知能の切り開く新たな鍛錬の可能性を前に、身震いしているに違いない。

 ところで、スポーツの醍醐味は、生身の人間がそれを行うところである。薬物の助けを借りたりするドーピングは、興ざめとなる。

 同じように、人工知能で脳を鍛えるのは良いが、それに安易に頼ってしまっては、それは一種の人工知能ドーピングであり、スポーツとしての質を下げてしまうだろう。

 人工知能を、人間をより高みへと進化させるきっかけとして使うか、それとも、頼ってしまって衰退するか。人工知能時代の人間には、高い倫理観が求められる。自分自身を厳しく律することこそが、人工知能時代の頭脳スポーツのアスリートが心がけるべき、一番の課題であろう。