今こそ語りたい「光速」谷川浩司の凄さ

『倉山満』

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倉山満(憲政史家)

はじめに


 編集部より「将棋について書け」との依頼である。ということで書く。さて、何からはじめようか。

 縁台将棋という言葉がある。

 今の時代、縁台そのものが死語か。家の外にある、要するに腰掛なのだが、昔は近所のおじさんたちが縁台で将棋を指す光景がどこにでも見られた。将棋を指すことを、対局という。対局者どうしもあれやこれやとおしゃべりをしながら指すし、周りの人間もワイワイガヤガヤ言いながら見物している。

 お行儀がよくない「助言」もなされるが、「そこは御愛嬌」である。ある種の庶民的な空気が将棋文化を作ってきたとも言える。最近は雰囲気も変わり、「女性や頭が良い子供が入りやすい道場」を心掛けているとも聞くが。いずれにしても、アマチュアの世界では、あまり作法はうるさく言われない。

 一方、プロの将棋は別世界である。プロ棋士が指す本物の将棋は、恐ろしいばかりの静寂の中で行われる。毎週日曜朝に放映されているNHK杯将棋トーナメントでも、ある程度の雰囲気は伝わると思う。実際に対局場に足を踏み入れたものの、あまりの緊張感に逃げ出した人も一人や二人ではない。「助言」など、もってのほかである。

不正の証拠はなかったとする調査委員会の報告を受けて会見する三浦弘行九段(左から2人目)=平成28年12月27日、東京都新宿区   
 さて、あるプロ棋士がスマホ搭載のコンピューター将棋に「助言」を求めたとの事件が報道された。そして、調査により冤罪と断定された。この事件の中身については、以上の要約以外に一切触れない。

 疑いをかけられた棋士、疑いをかけた側の複数の棋士、運営に当たる将棋連盟。すべての当事者が傷ついた事件であるし、部外者がとやかく論評する話ではない。

 今回取り上げたいのは、この事件の意味である。この事件がどういう意味を持つのか。事件の推移は伝えているものの、そこで示された事実の意味を伝えているメディアがいかほどあろうか。縁台将棋の立場からであるが、今回の事件を契機に、将棋について思うところを書き連ねたいと思う。

将棋の本質

 そもそも、読者諸氏はどれくらい将棋の事を御存じだろうか。

 盤の上に四十枚の駒があって、二つの陣営にまったく対等の条件で二十枚ずつ配置されている。先手と後手を決めて一手ずつ指す。敵の王様を追い詰めれば、勝ち。二人で、対等の条件で、お互いに手の内がわかっているゲームである。そこに、運や情報格差が入り込む余地はない。すなわち、己の力以外の要素が入り込む余地が無いゲームなのだ。ということは、言い訳がきかない、ある意味で残酷なゲームである。負けたときに、自分が悪かった以外の理由が存在しないのだから。さらに言うと、将棋では負けた側が「負けました」と宣言して対局が終了する。この意味でも苛酷なゲームでもある。
「界、道、盟」の危機

 これは格闘技の話だが、「絶対にギブアップしない」という流派が話題となった。技を決められても絶対に「参った」をせず、勝機を探す流派である。他の流派からは鼻つまみ者だった。なぜか。技が決まっても負けを認めないのであれば、極めた側は怪我させるか、あるいは殺すしかないではないか。この流派は、自分より技量が優れた相手への敬意が無いから、他の流派から軽蔑されたのだった。将棋において、それは無い。アマチュアの将棋であっても。

 将棋において勝敗が決まる状況は二つ。一つは、自分の王様が追い詰められた状態。合戦でたとえると敵に包囲されて切腹を求められる状況。あるいは兵力が尽きて、勝ち目がない状態である。このいずれかの状況において、負けを悟った側が「負けました」と宣言して、一局の将棋が終わる。

 もちろん、王様の首が刎ねられる状況まで指し続けても良いが、既に負けている状態や絶対に勝ちが無い状況においては、負けを認めるのが美学であり作法とされる。

 かつて、木村義雄十四世名人と塚田正夫名人の戦いで面白いことがあった。場所は皇居済寧館で、昭和天皇の天覧に供した。塚田名人が負けを認めた局面を不思議に思った昭和天皇が側近と指してみると、なんと負けた側の昭和天皇が勝ったのだ。これはよくある話で、プロが相手なら絶対勝てない局面でも、アマチュア相手ならどう転ぶかわからないのだ。それほどプロの世界はレベルが違うのだ。こうした美学かつ作法は、不文のルールを形成している。

 また、将棋はこの世で最も完成されたルールのゲームでもある。

 もし双方が最善手を指し続ければどうなるのか。人類が考え出した中で、結論が出ていない唯一のゲームなのだ。たとえば、チェスは引き分けである。囲碁は先手有利、よって後手にハンディキャップをつけることになっている。ところが将棋だけは経験則で先手有利と思われているが、結論はわからない。もしかしたら引き分けが正解なのかもしれないし、一年だけ後手の勝率が上回った年もあった。

 以上、将棋というゲームは、ルールに対する絶対的な信頼性があるのがおわかりだろうか。世の中、不条理なルールで決まることが多い。それだけに不条理が無く、完成されたルールを持つ将棋は日本人が生み出した貴重な財産だろう。日本人、あまり認識していないようだが。

 さて、今回の事件である。一言で述べるならば、「界、道、盟」の危機である。

 将棋界、将棋道、将棋連盟を「界、道、盟」と言う。将棋にまつわる世界すべてが、将棋界である。将棋は今や国際的な広がりを見せている。ポーランド人の女流棋士もいれば、中国人がプロ棋士をめざす時代である。
「界、道、盟」の危機

 将棋は駒の動かし方といった江戸時代以来の明文化されたルールの他に、対局を一日で行うか二日に分けて行うかなどの運営のためのルール、そして作法のような不文のルールで成り立っている。対局者以外が「助言をしてはならない」は不文のルールであるが、この不文のルールを守る美徳こそが将棋の「道」を支えてきたのだ。

 コンピューター将棋がプロ棋士に匹敵、ある面で凌駕するようになったのは近年のことである。つい十数年前はコンピューター将棋がプロと対等に戦えるなど、遠い未来と考えられてきた。だから、「対局中にスマホを見るな」などと明文化しなくても、運営に支障はなかった。

 そのころ、チェスの世界ではコンピューターが世界チャンピオンに勝利しており、コンピューターチェスがプロの世界でも通用すると証明された。コンピューターチェスの有用性を認識した時点で、チェス界は二日制の対局を取りやめた。一晩目の夜、一方がコンピューターを使って研究すれば、それは一対一の勝負ではなくなる。たとえるなら、素手の格闘技で武器を持ちこむようなものである。よもやプロのチェス棋士がそんな不正を行うとは思わないが、痛くない腹を探らせないようにしようとの配慮である。

 一方、将棋界ではコンピューター将棋がプロを負かすようになっても、制度改革は見送られた。将棋道に基づく性善説により、「そんなことをして勝っても意味が無いのだから、そんなことをする棋士がいるはずがないだろう」と考えられてきたのだ。それでも、対局中のスマホ持ち込み禁止を導入しようとした矢先の事件であった。

 悪名は無名に優ると言ってよいかわからないが、今回の事件で世間の注目が集まったのだから、むしろこれを機会に将棋の魅力を伝えられれば良いと考えている。

会見する佐藤康光会長=2月6日、日本将棋連盟
 この記事を書きながら、将棋連盟の臨時総会で佐藤康光九段(元名人)が新会長に選出されたとのニュースを聞いた。難局に当たるにふさわしいと、満場一致でみなされた人選だと聞く。もちろん縁台の野次馬として、応援する次第である。

 残念なのは前会長の谷川浩司九段(十七世名人)が責任を取り辞任、様々な心労が重なり、入院されたとのことだ。谷川名人――私が将棋を覚えた時の名人なので谷川名人と呼ぶ――には、お気の毒な事態と思う。組織の責任者として、自分の落ち度で一人の人間を傷つけてしまった格好になっているのだから。

 私如きが言うも僭越だが、本当の意味での挫折なのではないだろうか。辛かろうと思う。繰り返しになるが、今回の事件をテコとして、すべての関係者によりよき方向に進めばと願う。
谷川浩司という不世出の棋士について

谷川浩司という不世出の棋士について


 谷川名人は、古今東西あらゆる分野の中で不世出の勝負師と思う。徒然なるままに説明しよう。

 将棋界の宝、羽生善治十九世名人(引退後に襲名予定)だろう。その知名度は圧倒的である。平成14年から平成27年まで名人位は羽生と森内俊之十八世名人(引退後に襲名予定)の二人だけが占め続けた。この14年間、羽生6勝に森内8勝である(この間の直接対決は、羽生3勝、森内6勝)。現在は佐藤天彦名人に冠位が移っているが、それでも羽生ブランドは圧倒的だ。

羽生善治(右)が谷川浩司を下し五冠に返り咲いた=平成12年7月31日、箱根ホテル花月園 
 将棋を少しでも知る人は、史上最強の棋士に羽生善治をあげる。それでも、私は谷川浩司を不世出の勝負師にあげる。対戦成績は羽生圧勝であり、勝負どころでことごとく敗れている。けれども、私にとって羽生善治とは「あの谷川浩司に勝った棋士」なのである。

 私の推定棋力アマ二段だった頃に見たのが、「谷川浩司9歳の棋譜」だった。当時一流棋士として知られた内藤国雄九段とのハンディ戦(二枚落ち、内藤九段が飛車角抜きで戦う)だったが、とてつもなく強い少年だった。プロ相手にどんどん攻めていく。まるで「罠があるなら嵌めてみろ!」と言わんばかりに。内藤九段がいなしつつも乱戦に持ち込む。そして引き分けに持ち込んであげようと手心を加えたように見えた瞬間に、谷川少年が上手の玉をとらえた。その捉え方が、切り死に覚悟で相手の懐に飛び込むような戦い方だったのに感動を覚えた。後の名人となる才能とはこういうものか、努力では追いつけない世界があると感じたものだった。

 ちなみにその少し後に「羽生善治12歳の棋譜」というものも見たが、こちらはあまり衝撃が無かった。この見方が正しいのかどうかはわからないが、私の中では「谷川浩司9歳>羽生善治12歳」という構図だったので、「あの谷川に勝った羽生」なのだ。

 谷川少年はプロの養成機関である奨励会に入る。全国から将棋の天才が集まり、ここに入れるのは十人に一人。そして多くが挫折して去っていく。その奨励会を谷川少年はわずか3年で駆け抜け、14歳で棋士となる。中学生棋士は、加藤一二三九段、谷川、羽生、渡辺明竜王、そして最近話題となった藤井聡太四段の五人しかいない。加藤、谷川、羽生は名人、渡辺は竜王と、そろって将棋界の最高位に登りつめている(当然、藤井四段にも期待がかかっている)。
記憶の勝負師

 将棋界には七大タイトルと言われる冠位が存在するのだが、名人は独特である。一つは江戸時代から続いている唯一のタイトルであること。もう一つは、最短で五年かけないとたどりつけないことである。将棋の棋士は、トーナメントあるいはリーグ戦でタイトルを争うのだが、すべて一年で決着がつく。ところが名人だけは順位戦を勝ち抜いた挑戦者が時の名人と戦い、勝敗を決する。この順位戦は、C級2組、1組、B級2組、1組、A級と勝ち上がらなければいけない。それぞれ一年をかけて戦うので、名人に挑戦するのは最短でも五年かかるのだ。
 
 谷川は一年目のC級2組を足踏みしただけで、あとは一気に名人まで駆け上った。これは中原誠十六世名人と並ぶ最短記録である。そして21歳で名人を獲得した。こちらは史上最年少である(中原は24歳)。その後、上の世代の中原や米長邦雄、下の世代の羽生。森内・佐藤といった強豪と一進一退の攻防を繰り返している。名人は五期獲得すると永世名人を名乗る資格があるが、谷川は十七世名人である。

 プロ棋士の強さを測る一つのバロメーターが、七大タイトルをいくつ獲得したかにある。記録上位には名人の中の名人とも言うべき、永世名人が並ぶ。

三浦弘行八段(左)と対局した谷川浩司九段
=平成14年、 静岡市民文化会館(段位は当時)
 1位:羽生善治十九世97期、2位:大山康晴十五世80期、3位:中原誠十六世64期、4位谷川浩司十七世27期と続く。ちなみに5位に米長邦雄19期と続き、名人経験者を並べると、森内俊之十八世は12期、佐藤康光13期、加藤一二三8期、丸山忠久3期、佐藤天彦1期である。歴代4位は立派な成績である。

 だが、私が推すのは記録ではなく記憶である。なぜ、「古今東西あらゆる分野の中で不世出の勝負師」なのか。

 谷川将棋は「光速の寄せ」と呼ばれるほど、終盤が強い。将棋は大きく、序盤・中盤・終盤に分かれる。序盤はお互いが陣形を整えている段階、中盤は戦いが始まってからの段階、終盤は勝敗が決する段階である。谷川以前の棋士は終盤の入り口で相手をどう仕留めるかを読んでいた。ところが、谷川以後は中盤の入り口で収束を読む。敵は「気が付いたら首と胴体が離れていた」という負かされ方をする。「光速の寄せ」と呼ばれるゆえんである。

 あまりにも美しい勝ち方ゆえに、負けた相手が感動する。あらゆる勝負の世界で、そのような勝ち方ができる勝負師が何人いるだろうか。羽生、森内、佐藤、あるいは映画『聖の青春』で有名になった村山聖らは「羽生世代」と呼ばれるが、彼らは一様に谷川将棋を目指した。棋士全員に聞いたわけでもなんでもないが、谷川以後の棋士で谷川将棋に憧れなかった人が居るのだろうか。

おわりに

 将棋とは様式美の世界である。完成されたルールと不文の作法が、様式美を形成している。それが「道」となっている。ところが今回、不幸な事件で「道」のみならず、界・道・盟が深刻な傷を負った。災い転じて福となす努力をしてほしいと、縁台から思う。



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