これは格闘技の話だが、「絶対にギブアップしない」という流派が話題となった。技を決められても絶対に「参った」をせず、勝機を探す流派である。他の流派からは鼻つまみ者だった。なぜか。技が決まっても負けを認めないのであれば、極めた側は怪我させるか、あるいは殺すしかないではないか。この流派は、自分より技量が優れた相手への敬意が無いから、他の流派から軽蔑されたのだった。将棋において、それは無い。アマチュアの将棋であっても。

 将棋において勝敗が決まる状況は二つ。一つは、自分の王様が追い詰められた状態。合戦でたとえると敵に包囲されて切腹を求められる状況。あるいは兵力が尽きて、勝ち目がない状態である。このいずれかの状況において、負けを悟った側が「負けました」と宣言して、一局の将棋が終わる。

 もちろん、王様の首が刎ねられる状況まで指し続けても良いが、既に負けている状態や絶対に勝ちが無い状況においては、負けを認めるのが美学であり作法とされる。

 かつて、木村義雄十四世名人と塚田正夫名人の戦いで面白いことがあった。場所は皇居済寧館で、昭和天皇の天覧に供した。塚田名人が負けを認めた局面を不思議に思った昭和天皇が側近と指してみると、なんと負けた側の昭和天皇が勝ったのだ。これはよくある話で、プロが相手なら絶対勝てない局面でも、アマチュア相手ならどう転ぶかわからないのだ。それほどプロの世界はレベルが違うのだ。こうした美学かつ作法は、不文のルールを形成している。

 また、将棋はこの世で最も完成されたルールのゲームでもある。

 もし双方が最善手を指し続ければどうなるのか。人類が考え出した中で、結論が出ていない唯一のゲームなのだ。たとえば、チェスは引き分けである。囲碁は先手有利、よって後手にハンディキャップをつけることになっている。ところが将棋だけは経験則で先手有利と思われているが、結論はわからない。もしかしたら引き分けが正解なのかもしれないし、一年だけ後手の勝率が上回った年もあった。

 以上、将棋というゲームは、ルールに対する絶対的な信頼性があるのがおわかりだろうか。世の中、不条理なルールで決まることが多い。それだけに不条理が無く、完成されたルールを持つ将棋は日本人が生み出した貴重な財産だろう。日本人、あまり認識していないようだが。

 さて、今回の事件である。一言で述べるならば、「界、道、盟」の危機である。

 将棋界、将棋道、将棋連盟を「界、道、盟」と言う。将棋にまつわる世界すべてが、将棋界である。将棋は今や国際的な広がりを見せている。ポーランド人の女流棋士もいれば、中国人がプロ棋士をめざす時代である。