将棋は駒の動かし方といった江戸時代以来の明文化されたルールの他に、対局を一日で行うか二日に分けて行うかなどの運営のためのルール、そして作法のような不文のルールで成り立っている。対局者以外が「助言をしてはならない」は不文のルールであるが、この不文のルールを守る美徳こそが将棋の「道」を支えてきたのだ。

 コンピューター将棋がプロ棋士に匹敵、ある面で凌駕するようになったのは近年のことである。つい十数年前はコンピューター将棋がプロと対等に戦えるなど、遠い未来と考えられてきた。だから、「対局中にスマホを見るな」などと明文化しなくても、運営に支障はなかった。

 そのころ、チェスの世界ではコンピューターが世界チャンピオンに勝利しており、コンピューターチェスがプロの世界でも通用すると証明された。コンピューターチェスの有用性を認識した時点で、チェス界は二日制の対局を取りやめた。一晩目の夜、一方がコンピューターを使って研究すれば、それは一対一の勝負ではなくなる。たとえるなら、素手の格闘技で武器を持ちこむようなものである。よもやプロのチェス棋士がそんな不正を行うとは思わないが、痛くない腹を探らせないようにしようとの配慮である。

 一方、将棋界ではコンピューター将棋がプロを負かすようになっても、制度改革は見送られた。将棋道に基づく性善説により、「そんなことをして勝っても意味が無いのだから、そんなことをする棋士がいるはずがないだろう」と考えられてきたのだ。それでも、対局中のスマホ持ち込み禁止を導入しようとした矢先の事件であった。

 悪名は無名に優ると言ってよいかわからないが、今回の事件で世間の注目が集まったのだから、むしろこれを機会に将棋の魅力を伝えられれば良いと考えている。

会見する佐藤康光会長=2月6日、日本将棋連盟
会見する佐藤康光会長=2月6日、日本将棋連盟
 この記事を書きながら、将棋連盟の臨時総会で佐藤康光九段(元名人)が新会長に選出されたとのニュースを聞いた。難局に当たるにふさわしいと、満場一致でみなされた人選だと聞く。もちろん縁台の野次馬として、応援する次第である。

 残念なのは前会長の谷川浩司九段(十七世名人)が責任を取り辞任、様々な心労が重なり、入院されたとのことだ。谷川名人――私が将棋を覚えた時の名人なので谷川名人と呼ぶ――には、お気の毒な事態と思う。組織の責任者として、自分の落ち度で一人の人間を傷つけてしまった格好になっているのだから。

 私如きが言うも僭越だが、本当の意味での挫折なのではないだろうか。辛かろうと思う。繰り返しになるが、今回の事件をテコとして、すべての関係者によりよき方向に進めばと願う。