谷川浩司という不世出の棋士について


 谷川名人は、古今東西あらゆる分野の中で不世出の勝負師と思う。徒然なるままに説明しよう。

 将棋界の宝、羽生善治十九世名人(引退後に襲名予定)だろう。その知名度は圧倒的である。平成14年から平成27年まで名人位は羽生と森内俊之十八世名人(引退後に襲名予定)の二人だけが占め続けた。この14年間、羽生6勝に森内8勝である(この間の直接対決は、羽生3勝、森内6勝)。現在は佐藤天彦名人に冠位が移っているが、それでも羽生ブランドは圧倒的だ。

羽生善治(右)が谷川浩司を下し五冠に返り咲いた=2000年7月31日、箱根ホテル花月園
羽生善治(右)が谷川浩司を下し五冠に返り咲いた=平成12年7月31日、箱根ホテル花月園 
 将棋を少しでも知る人は、史上最強の棋士に羽生善治をあげる。それでも、私は谷川浩司を不世出の勝負師にあげる。対戦成績は羽生圧勝であり、勝負どころでことごとく敗れている。けれども、私にとって羽生善治とは「あの谷川浩司に勝った棋士」なのである。

 私の推定棋力アマ二段だった頃に見たのが、「谷川浩司9歳の棋譜」だった。当時一流棋士として知られた内藤国雄九段とのハンディ戦(二枚落ち、内藤九段が飛車角抜きで戦う)だったが、とてつもなく強い少年だった。プロ相手にどんどん攻めていく。まるで「罠があるなら嵌めてみろ!」と言わんばかりに。内藤九段がいなしつつも乱戦に持ち込む。そして引き分けに持ち込んであげようと手心を加えたように見えた瞬間に、谷川少年が上手の玉をとらえた。その捉え方が、切り死に覚悟で相手の懐に飛び込むような戦い方だったのに感動を覚えた。後の名人となる才能とはこういうものか、努力では追いつけない世界があると感じたものだった。

 ちなみにその少し後に「羽生善治12歳の棋譜」というものも見たが、こちらはあまり衝撃が無かった。この見方が正しいのかどうかはわからないが、私の中では「谷川浩司9歳>羽生善治12歳」という構図だったので、「あの谷川に勝った羽生」なのだ。

 谷川少年はプロの養成機関である奨励会に入る。全国から将棋の天才が集まり、ここに入れるのは十人に一人。そして多くが挫折して去っていく。その奨励会を谷川少年はわずか3年で駆け抜け、14歳で棋士となる。中学生棋士は、加藤一二三九段、谷川、羽生、渡辺明竜王、そして最近話題となった藤井聡太四段の五人しかいない。加藤、谷川、羽生は名人、渡辺は竜王と、そろって将棋界の最高位に登りつめている(当然、藤井四段にも期待がかかっている)。