河合雅司(産経新聞 論説委員)


 昨年10月に実施された国勢調査において総人口が約1億2,709万5千人となった。5年前の前回調査に比べて約96万3千人の減だ。国勢調査で総人口が減ったのは1920年の初回調査以来、約100年にして初めてである。
 
 こうした流れを止めることは極めて難しい。これまでの少子化の影響で女児の出生数が減っており、今後、出産可能な年齢の女性数が大きく減少するためだ。
 
 人口が減ると国内市場は縮小する。消費が落ち込むと企業は設備投資に二の足を踏み、税収も増えなくなる。一方、高齢化で年金や医療や介護といったサービスを受け取る対象が増えることから、社会保障は負担増とサービスカットへと向かう。そうなれば国民の老後への不安が拡大し、ますます消費マインドを冷やす悪循環に陥っていく。
 
 安倍晋三首相が「アベノミクスのエンジンを最大限にふかす」と笛を吹いても消費が伸びないのは、国民にお金がないのではなく、将来に対する不安が国民全体を覆っているところが大きい。高齢者から若い世代に至るまで「老後」に備えて財布の紐を堅く締めてしまっているのである。政府は賃上げ要請に懸命だが、賃金が上がったとしてもその効果は限定的であろう。
 
 このように何かと悲観論をもって語られる人口減少ではあるが、最近の論壇では逆手にとったような論調が目立つようになってきた。「人口減少はチャンス」「人口が減ることは、むしろ経済成長にとって強みである」といった意見だ。
 
 確かに、少子高齢化が進んでも経済成長している国はいくつもある。日本より人口規模が小さくても豊かな国だって存在する。そもそも、戦後の日本の経済成長は人口の伸びではなく、イノベーション(技術革新)による産物だったとされる。人口が減るからといって、豊かな暮らしが出来なくなるわけではない。
 
 生産性を向上させ、同じ労働時間でより付加価値の高い仕事が行えるようにすればよいということだ。労働者1人当たりの国内総生産(GDP)が伸びさえすれば、個々の所得は増える。
 
 問題はどのように労働生産性を上げるかである。政治家や官僚からは〝危うさ〟を感じざるを得ない発言も聞こえてくる。
 
 例えば、外国人労働者への過度の依存だ。人口減少社会において労働力不足が最大の課題であることは言うまでもない。1人の人間が働くことのできる時間には限りがあるので、働く人の数が減少は経済活動の縮小に直結する。企業や業種のレベルで見れば、後継者が見つからず、やがて成り立たなくなるところも出てくるだろう。
 
 こうした事態を見据えて、安倍政権は「1億総活躍社会の実現」を掲げ、高齢者や女性が働きやすい環境を整えようとしているが、それでも足りない分を外国人労働者に頼ろうというのである。これまで日本は高度人材しか受け入れてこなかったが、これを根本から見直し「単純労働」を担う外国人労働者の受け入れを事実上、解禁しようとしている。
 
 安倍政権はすでに動きを加速させている。今国会において途上国の人々に技能や知識を身に付けてもらう外国人技能実習制度の拡大し、介護福祉士の資格を取得した留学生が日本で働き続けられるよう在留資格に「介護」を追加する法改正を行った。
衆院予算委員会で答弁に立つ安倍晋三首相=2016年10月12日、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)
衆院予算委員会で答弁に立つ安倍晋三首相
=2016年10月12日、国会・衆院第1委員室
(斎藤良雄撮影)
 
 団塊世代が75歳以上となる10年後には介護職が約38万人不足するとされる。これを手っ取り早く穴埋めしようというのであるが、単純労働を行う外国人労働者の受け入れ拡大は副作用が少なくない。外国人技能実習制度をめぐっては、これまでも「安い労働力」として当て込み、実習生の人権を無視するような働かせ方をするトラブルが後を絶たなかった。
 
 安い賃金で働く外国人が増えることになれば、その職種では日本人を含めた働き手全体の賃金が低く押さえ込まれる方向に流れるだろう。外国人が多数を占めれば日本人の離職が加速する事態も想定される。
 
 介護職を解禁したことを受けて、多くの業界団体から単純労働を行う外国人の受け入れ職種を増やすよう求め始めている。政府・与党はどこまで受入数を増やすつもりか分からないが、日本の生産年齢人口は2040年までの約25年間で1,850万人近く減ると推計されている。そのすべてを外国人労働者で穴埋めしようというのはそもそも無理がある。「必要は発明の母」と言われるが、安易な外国人の受け入れ拡大はイノベーションの機運を削ぐことにもなる。
 
 外国人を大規模に受け入れたヨーロッパ諸国で排斥運動が起こるなど社会の混乱を来していることから目を背けてはならない。英国のEUからの離脱や、米国大統領選において過激な発言を繰り返してきたトランプ氏が当選した背景には、格差が広がりもあったが、増えすぎた移民や外国人労働者に対する不満があった。
 
 日本でも非正規労働者が増える一方で、社会保障や税による所得の再分配機能は衰えを見せており、いたずらに外国人を受け入れれば社会の分断を招くこともあり得よう。排外主義になってはならないが、「外国人の受け入れ=開かれた国」といった理想論を語るだけでは済まされない現実があることも忘れてはならない。
 
 〝危うさ〟を感じる例をもう一つ挙げよう。「AI(人工知能)信仰」だ。
 
 AIの技術開発には目覚ましいものがあり、人間の能力を超える存在として語られることが少なくない。その成果は日本が経済成長を成し遂げる上で必要である。政府・与党も研究開発を促進させるためのプロジェクトをスタートさせるなど力を入れている。
 
 だが、いまだ人間の知能を凌駕し、労働力不足を補うAIが開発される見通しは立っていない。AIの開発スピードが、日本の労働力人口の減少スピードに間に合うかどうかは分からないのである。AIを人口減少社会の課題を解決する「切り札」のように説明する人もいるが、現実の問題として何をどこまで変えるのかは冷静に見極める必要がある。
 
 それ以前の問題として、AIの開発者たちが人口減少後の社会をどう描いているかよく見えてこない。AIは大量のデータを学習することで精度を上げていく。「正解」が明確な定型的な仕事にはその能力を発揮するが、その「正解」は人間が定義している。
 
 求められているのは現状の業務を単にAIに置き換える作業ではなく、人口が大きく減った時代の課題にAIをどう活用するかの展望だ。何をもって「正解」とするかは、開発者が人口減少社会をどのように先読みするかで大きく変わってくるということだ。
 
 開発者たちがAIを使った未来図を描くことなく単なる精度競争に引きずられたならば、人口減少社会における課題解決に役立たぬものにしかならない可能性もある。
 
 AIについては、人間の仕事の大半を代替するといった見通しもあるが、人々がこなしている仕事は「正解」が不明確なもののほうが多い。AIには限界があると認識すべきであろう。AIの開発と同時に、人口減少過程でどのような課題が生じるのかをしっかりと整理し、AIと人間の役割分担を考えていく必要がある。
 
 外国人労働者への安易な依存とAIへの過度な期待に共通するのは、人口が増えていた時代の発想から脱却し切れていない点である。外部から「新しい力」を持ち込めば、これまで成功してきたやり方を少しでも長く続けられるのではないかという幻想だ。
 
 だが、こうした試みはいつまでも続かない。取り組むべきは、人口減少を前提として社会の作り替えを急ぐことである。
 
 そのためには日本の強みをより伸ばすことだ。「捨てるところは捨てる」決断である。何でも国内で製造しようとするのではなく国際分業を推進する。「24時間サービス」を見直す。さらには、地域に拠点を設けて人が集まり住むことで行政サービスや民間サービスを効率的に受けられる環境の実現など検討すべきテーマはいくらでもある。
 
 成長戦略というと、政治家や官僚からは相変わらず大型プロジェクトの構想が出てくるが、もっと「戦略的に縮む」という発想を持つべきだろう。労働生産性を向上させるためのイノベーションというのは、こうした決断による変化の中から生まれてくるものだ。
 
 人口激減後にどのような社会をつくるのか、われわれの構想力が試されている。いまこそ「20世紀型の成功体験」と決別するときである。
 
※「先見創意の会」2016年08月30日コラムを転載。