渡辺寛人(社会福祉士)

 小田原市で生活保護利用者の自立支援を担当していた市職員64人が、「保護なめんな」「不正受給はクズ」などと英文でプリントされたジャンパーを着用して業務にあたっていたことが明らかになり、大きな問題となっている。このジャンパー事件は、行政の職員が生活保護利用者を「不正受給者予備軍」とみなすような差別的な認識を持っていたこと。そして、当該ジャンパーを着用することで、実際に利用者に対する差別表現を行い、利用者の人権を侵害したことに問題の本質がある。

 本稿では、小田原市による人権侵害を、不正受給対策に傾倒してきた生活保護行政の構造的な問題から捉えていく。そして、小田原市だけにとどまらない行政による違法行為や人権侵害の実態と、それがもたらす社会的な弊害を論じていく。


深刻なのは「不正受給」ではなく「漏給」

 生活保護と聞くと、ほとんど反射的に「不正受給が多い」というイメージを抱く人が多いと思われる。しかし、実際の統計データを見ると、不正受給の割合は金額ベースで0.5%程度であり、「不正受給が多い」というイメージとはかけ離れている。

 他方で、メディアなどではあまり取り上げられないが、生活保護制度は不正受給よりもはるかに深刻な問題を抱えている。それは、生活保護制度を利用すべき人が利用できていないという漏給問題である。生活保護制度を利用できる人のうち実際に利用している人の割合(捕捉率)は15〜20%程度であり、ヨーロッパ各国の公的扶助制度の捕捉率が6〜9割であるのと比べて、日本の制度捕捉率は深刻なほど低い。生活保護制度は、日本社会で生きる最低限度の水準を保障する制度であるから、膨大な数の人々が最低限度を割った生活を強いられていることになる。

 このように、生活保護制度の「問題」を考えた時、より深刻なのは「不正受給」ではなく、「漏給」なのである。この基本的な事実があまりにも共有されていない。本来、住民の生活を守る立場の行政は、最低限度以下の生活を強いられている住民が生活保護制度を利用していけるよう、漏給対策を積極的に行うべきである。しかしながら、現実には、行政は極めて数の少ない不正受給対策に傾倒し、漏給対策にはほとんど関心を払わない。むしろ、保護率をあげること自体を忌避する傾向がある。なぜこのような状況になってしまっているのだろうか。

 実は、現行の生活保護制度がスタートした当初、政府は漏給を解決していこうという問題意識を持っていた。そのため、1953年から1965年まで政府は毎年、生活保護制度の捕捉率についての統計データを集め公表し続けてきた。ところが1965年を最後に、政府は捕捉率の統計データを公表するのをやめてしまった。そして、この頃から、漏給問題など存在しないかのように生活保護行政が行われていくようになった。

 不正受給対策が生活保護行政のなかで大きな位置を占めるようになったのは、1980年代以降である。社会保障の削減を通じて「財政健全化」を目指す臨調行革のもと、国庫負担の重い生活保護の分野では、生活保護利用者を抑制する「適正化」政策の推進が掲げられた。これと連動するように、暴力団による「不正受給」をきっかけにして、生活保護制度の不正受給に関する報道が増加していった(なお、この当時の不正受給の割合は金額ベースで0.2%だった)。つまり、不正受給対策は、社会保障削減と不可分の政策として行われてきたのである。

「生活保護悪撲滅チーム」を示す「SHAT」のマークが袖に付いた夏用のポロシャツ
「生活保護悪撲滅チーム」を示す「SHAT」のマークが袖に付いた夏用のポロシャツ
 そして、不正受給対策が強調されていく中で、生活保護の現場が大きく変容していく。住民の最低限度の保障と自立の助長から、「不正受給を防止する」ことそれ自体が目的へとすり替わり、調査の徹底が指示され、生活保護制度を利用するための手続きは複雑化していった。生活保護を利用している者、これから利用しようとする者から「不正受給者」を洗い出すための業務へと内容が改変され、ケースワーカーの仕事は、生活保護利用者を潜在的な不正受給者として疑い、徹底的に調査するといった、まるで「警察官」のような仕事へと変貌していった。

 当然のことながら、疑いの目を向けられる利用者との間に援助の基礎となる信頼関係を構築することはできず、互いに不信感が募るため、こうした関係はトラブルの温床となる。今回、小田原市で生活保護が「誰もやりたがらない人気のない仕事」になってしまっていたのは、政府の「適正化」政策が現場に暗い影を落としているからだ。

 本来、福祉的なケースワークは、利用者と信頼関係を結ぶことから始まるため、利用者を「疑う」ということが前提になる不正受給対策とは馴染まない。ケースワークと不正受給対策は対立するのである。したがって、業務内容が不正受給対策へと傾倒していけば、現場からケースワークが失われ、知らず知らずのうちに生活保護利用者をまるで「犯罪者予備軍」としてみなすような差別的な眼差しが形成されていくことになる。

 相談援助における専門性やそれを担保する組織体制が、こうした差別的な意識に対する防波堤として機能するべきであるが、福祉事務所には専門性をもった職員が配置されていない。ケースワーカーとして業務を行うためには社会福祉主事という任用資格を持つことが条件とされているが、資格取得率は75%程度にとどまる。また、社会福祉主事は大学の指定科目のうち三つを履修するだけで取得できる資格であることから、「三科目主事」などと揶揄され、その専門性には疑問符がつけられている。そのため、相談援助の基本や生活保護法についてほとんど知らない「素人」がケースワーカーとして配属される自治体は決して珍しくない。

 さらに、そのような状況にもかかわらず、研修体制も不十分な場合が多く、生活保護法についての知識が不十分なまま業務に当たっているケースワーカーも少なくない。今回事件が起きた小田原市も、十分な研修体制がとれていなかったという。

 専門性の不在や不十分な研修体制が「当たり前」となっており、差別意識に歯止めがかからない。小田原市が2007年に起きた利用者とのトラブルを契機にこのジャンパーを作成し、それが10年間も告発されることなく続いてきた背景には、こうした生活保護制度の運用体制が抱える構造的な問題がある。