ゲンの違和感


 あの戦争や原爆を描いたアニメ作品は多い。しかし、どの作品も「あの時代」と「あの時代を生きた」人々を他者としてとらえている。『はだしのゲン』の主人公中岡元。むろん、原作者・中沢啓治先生自身の投影だが、はっきり言ってスーパーマンに近い。戦前から翼賛体制に反発し、原爆を受けて原爆症になってもそれを克服し、戦後は右翼に平和と民主主義を説法し、戦前翼賛体制で威張り腐っていた町内会会長(戦後平和主義者に転向して議員に立候補する)の欺瞞を面前で糾弾する。そして東京に出て画家になる夢に向かう汽車のシーンで終わる。

『はだしのゲン』でゲンの言っていることはすべて正論だ。戦争は駄目だ、アメリカと原爆は許さない、日本は平和国家として通商の中で生きるべきだ、そして戦後人には戦争の反省が足りない…。全部正論だが、私がゲンに感じてしまう小さな違和感とは、彼が強すぎてスーパーマンにみえ、どうしても「他者」として認識してしまうのだ。

 ゲンが「他者」である以上、ゲンの存在したあの戦争の時代も他者である。たぶん、金科玉条のごとく「反戦平和」を何万回唱えても、人々に最終段階で伝わっていないのは、この「他者性」の問題だと思う。これまで、あの戦争を扱った映画やアニメや漫画は、あの戦争を生きた人々を「他者」として扱いすぎであった。或る時は反戦平和のスーパーマン、またある時は徹底的に凄惨な戦争の被害者として。
(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
 しかし、『この世界の片隅に』の主人公すずは、ちっこくて柔らかく、肉体的な意味でスーパーマンとは程遠い。精神的にも、むしろ翼賛体制に大きな疑問すら抱かず、ただ絵が好きなだけのボンヤリ少女で、日々の生活を工夫して生きるだけの市井の女性に過ぎない。だからこそ、私たちはすずを「他者」としては認識しない。すずは「他者」ではない。私たちと同じ皮膚感覚を持った普通の人間だった。