なお、清水さんは両親の影響で、若いころから信者として熱心に活動してきました。しかし、私がオウム真理教で経験したところでは、幼い時に、両親の影響で信仰を行い、反社会的な思想を一時的に形成したとしても、清水さんのように、一般の学校での友人とのふれあいや、芸能活動などの社会生活の経験が確保される限りは、本人の意思で、その影響は、解消され得ると思います。その意味で、清水さんは、親の影響で信者になったにしても、今現在も信者であり続けている以上、本人の性格や性質が、(善悪は別として)信仰に向いていたのだろうと思います。

女優の清水富美加さん
=2016年9月22日、東京都港区(撮影・高橋朋彦)
女優の清水富美加さん =2016年9月22日、
東京都港区(撮影・高橋朋彦)
 さて、世間一般では、清水さんに対して、宗教自体を否定する視点から「洗脳から目を覚ましてほしい」という意見や、また、突然辞めて仕事を途中で放り出し迷惑をかけるという視点から「無責任である」である、という批判がなされていると思います。しかし、これに対して、一部の人からは、「批判しかできない人たち」「清水さんの気持ちを理解していない」といった反発もあるようです。これは、今日の同世代の若者のメンタリティが複雑であることを示しているように思います。

 まず、1994年に生まれた清水富美加さんの世代とは、何の因縁か、ちょうどオウム真理教事件とも重なる世代です。彼らは、高度成長が終わり、オウム真理教の事件とその教団の崩壊と時期をほぼ同じくして、日本のバブル経済の崩壊が始まった頃に生まれ、その後のデフレの時代に育ちました。そして、一部には、ワーキングプアーという言葉から、最近は物欲が乏しい「悟り世代」という表現もあるようです。

 よって、お金や名誉を求める従来の価値観が、必ずしも自分が生きる価値にならない若者が増えているのではないかと思います。すると、はなから主流の価値観が正しく、宗教を洗脳と断じる視点で批判すれば、望ましくない分裂が生じるかもしれません。実際、清水さんのコメントには、長年の葛藤があったことや、洗脳と思われることを予期しつつ決断したことが述べられています。

 次に、突然辞める無責任さに関しては、私自身が、宇宙開発事業団の職員でありながら、オウム真理教に出家した時に経験があるので、その経験に基づいて考えると、おそらく彼女は、芸能事務所には、いくら話しても理解してもらえない中で、仕事の整理をつける一定期間、それに耐えることが、非常に辛く感じられたのだと思います。私の場合は、初期の研修期間中にやめてしまったので、整理すべき残った仕事がありませんでしたから、彼女のような問題はなかったのですが、相当辛いだろうなとは思います。

 もちろん、その自分の弱さと闘うことが責任ある行動なのですが、本人としては耐えられなかったのではないでしょうか。彼女の告白の中に、嫌な仕事を断ると干されるのが怖くて断れなかったという趣旨のものがあります。芸能人として多くの人に愛されることを長らく求めてきた彼女だからこそ、それが一転して否定・批判の目に晒されることは、非常に辛く感じられたのかもしれません。いわゆるナイーブというか、辛口な表現をすれば、自己愛ということでしょうか。