ふと思い出して机の隅を探した。あった、あった。2000年のシドニー・パラリンピック当時、国際パラリンピック委員会(IPC)会長ロバート・ステッドワードにインタビューしたときの切り抜きだ。
 変色した新聞記事の中の私はステッドワードにこう聞いている。パラリンピックは競技スポーツ大会なのか、障害者のリハビリ・スポーツ大会なのか…。

 「IPCは、オリンピックがそうであるようにパラリンピックをトップ選手が高い技術を誇る競技大会との見方をしている」

 ステッドワードはそう話した。だが、私は意地が悪い。エリート大会なら改善すべき問題は多く、資金や施設に恵まれない発展途上国の選手は出場が困難だ。障害者のためのという視点が薄れていけば、弱者の切り捨てにつながりはしないかとたたみ込む。

 1989年に創設されたIPCの初代会長は正面から受け止める。「障害度で多岐にわたるクラス分けの減少は必要、金メダルの価値も高まる」「ローカルレベルでの広がりのため、IPCは資金援助から技術や装備、組織づくりまで支援する」「重要事項は女性、重度の障害者、発展途上国支援。さらに紛争地域での被害者支援などオリンピックと違う活動をしていく」

 オリンピックとの連動の始まりは88年ソウル大会、初めて同じ会場が使用された。以後競技性が高まり、98年長野冬季大会を経てシドニーで新時代を迎えた。IPCと国際オリンピック委員会(IOC)が連携で基本合意、ステッドワードはIOC委員ともなった。

車いすマラソンの土田和歌子選手(左)とアルペンスキー女子回転座位の大日方邦子選手(右)
 競技の普及には裾野の広がりと同時に、人気選手やスター選手の出現による押し上げ効果が必要だ。日本のパラリンピックは河合純一を先駆に成田真由美や土田和歌子、大日方邦子らの活躍で存在感が増し、今日車いすテニス界に国枝慎吾という偉大な選手が輩出。14年前の私のような疑問は抱かないかもしれない。

 2020年へ、選手強化予算は文部科学省の概算要求に盛り込まれもした。しかし、今月5日の日本スポーツ振興センター助成事業審査委員会の席上、委員の一人、日本障がい者スポーツ協会会長の鳥原光憲が何度もこう念を押した。「アスリート助成ではパラリンピックを忘れずに」と…。

 いわゆる心のバリアの解消も含め、ステッドワードが話した事柄の実現はいまだ道半ばである。=敬称略
(産経新聞特別記者・佐野慎輔)